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『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』法理研究 第4回:婚姻契約(ketubah:ケトゥバー)に基づく扶養優先権、共同相続財産の改良法理、危篤時贈与における撤回可能性と挙証責任の帰属

*旧約聖書の最高権威であるトーラ及びミシュナによって、「Nezikin」(損害の部)」に属する『Bava Batra』の土地所有権、相続、遺言などの権利関係を解説するシリーズ4回目。

 今回は、遺産が僅少である場合の息子の相続と娘の扶養プライオリティ(婚姻契約書[ketubah:ケトゥバー]の法的拘束力)、共同相続財産への改良行為に伴う所有権・収益権の変動、そして危篤状態(shechiv mera:シェヒヴ・メラ)の者が行う贈与契約の撤回可能性と、その健康状態をめぐる法廷での挙証責任(ラビ・メイルとラビたちの論争)について、伝統的なhalachah(ハラーハー:ユダヤ法)に基づき、手加減なしに詳解する。


前回の振り返り


 前回は、ミシュナ『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』8章4〜7節に基づき、「遺言による相続分指定の禁止」「贈与」の法理、および「所有権」と「収益権(果実)」の分離について解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】父母の遺産における相続と扶養の差異

 相続のルールにおいて、父親と母親の遺産では扱いが異なる。

①長子の2倍相続

 長男が遺産を2倍受け取れる原則は、父親の遺産のみに適用され、母親の遺産には適用されない。

②娘の扶養

 父親が死んだ後、未婚の娘たちは父親の地所で扶養される。これは婚姻契約書(ketubah:ケトゥバー)に記される義務であり、相続順位よりも優先されるが、母親の財産にはこの扶養義務は適用されない。

【2】「遺言」による相続分の指定禁止と「贈与」による有効化

 ユダヤ法では、トーラで定められた相続分を遺言によって変更することは出来ない。

 「長男に2倍与えない」や「特定の息子には相続させない」といった指定は、トーラに矛盾するため無効である。

 相続ではなく「贈与」という文言を用いることで、特定の者に多く与えることが法的に有効になる。特に臨終の床にある者による口頭の贈与は、死後に効果を発揮するものとして認められる。

【3】「今日から、そして死んだ後」の法理

 健康な者が、将来の相続を確実にするために生前贈与を行う際の特殊な定型句について扱った。

①所有権と収益権の分離

 「今日から、そして死んだ後」と記すことで、「土地の所有権」は即座に受贈者(息子など)に移転するが、「そこから生じる収益(果実)を得る権利」は父親が死ぬまで保持される。

②処分の制限

 この契約を結んだ場合、父親は所有権がないので土地を売れず、息子は収益権がないので父の死まで土地を自由に出来ない。

 もし父親が強引に売却しても、彼の死までの期間に、収益権の譲渡という形に限られる。

【4】作物の帰属

 父親が亡くなった際、その土地にある作物の帰属は以下のようになる。

①収穫済みの作物

 通常の相続財産となり、相続人全員で共有される。

②未収穫の作物(地面に付随するもの)

 土地の所有権と共に、受贈者のものとなる。

以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』法理研究 第3回:遺言による相続分指定の禁止原則と「贈与」文言による物権・収益権分離の法理

https://note.com/mishnah/n/nc4880fa4814d

「Bava Batra」9章1節:相続財産の多寡と扶養優先の原則


 今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Bava Batra」9章1節からである。

 もし誰かが死に、息子たち、娘たちがおり、多くの財産があるのなら、息子たちは相続し、娘たちは養われる。もしほとんどの財産が無いのなら、娘たちは扶養され、息子たちは物乞いする。

(Bava Batra 9:1)

 これは以下のようにまとめられる。

(1)相続財産が潤沢である場合。

 原則通り息子たちがすべての不動産・財産を相続し、娘たちが成人、または結婚するまで扶養する。

(2)相続財産が僅少である場合

 相続財産は法廷、または法廷が任命する代理人の管理に置かれる。娘たちはそこから費用を支弁される。

 息子たちは娘たちの扶養の分の後に残るものを得る。もし娘たちの扶養にも十分でないなら、息子たちは物乞いに出かけることになる。

 続きには以下のように書かれている。

 アドモンは言う、「私は男であるので、私は失うのだろうか?」ラッバン・ガマリエルは言った、「私はアドモンの見解を支持する。 」

(Bava Batra 9:1)

 アドモンはトーラにおいて、息子が財産の相続では優先するのに、ラビの規定によって財産が僅少の場合、娘が優先することに不満を示している。

 これについて、ラッバン・ガマリエルも同意する。しかしこの見解はhalachahではない。

 父親は母親と結婚する時、自らの死と相続よりもずっと前に、生まれる娘の扶養について、ketubahで約束している。

 従って財産が僅少の場合、娘の扶養が優先する。

 次に「Bava Batra」9章3節に進む。

「Bava Batra」9章3節:相続人による共通財産の改良と権利帰属

 もし彼が成人した息子と未成年を残し、―成人した息子たちが改良するなら、共通の財産の為に改良したのである。もし彼らが「父が私たちに残したものを見なさい。私たちは働き、私たちの為に食べなくてはならない」と言ったなら、彼らは彼らの為に改良したのである。

(Bava Batra 9:3)

 これは父親が成人した息子と未成年を残して死去したが、成人した息子たち(Aたち)が遺産に改良を加え、その価値を増加させた場合について言っている。

 改良工事を相続財産の中から支弁したのであれば、Aたちはその為に補償されることはない。兄弟たちは相続財産を共有しており、業者に依頼すること等、手配の労力は共通の利益の為であると見なされる。

 もしも自ら費用を支弁し、または自ら働いたのであるなら、工事によって上昇した価値は彼らに属する。しかしそれが簡単なものであるなら、やはり相続財産の一部となる。

 これが本節の前半部分である。

 後半部分は法廷における宣言である。

 「父が私たちに残したものを見なさい。私たちは働き、私たちの為に食べなくてはならない」という宣言は婉曲的であるが、相続財産に加える工事は、彼ら自身の為であることを述べている。

 これは同時に、即時に財産分割を申し出ている意思表示と見なされる。

 続きである。

 同様に財産を改良した妻は共通の財産の為に改良したのである。もし彼女が「夫が私たちに残したものを見なさい。私は働き、私の為に食べなくてはならない」と言ったなら、彼女は彼女の為に改良したのである。

(Bava Batra 9:3)

 本節の「妻」は夫を亡くし、相続人の1人となっている。

 これも今の事例と同様である。しかし次の点は重要である。

 もし妻が相続財産から扶養を受けるのであるなら、改良による利益は受けられない。

 続きである。

「Bava Batra」9章6節:病床・危篤状態(shechiv mera:シェヒヴ・メラ)における贈与の特則

 もし誰かが病気で伏せていて、他者へ全ての財産を与えると書いており、他方で幾らかの財産を保持しているなら、彼の贈与は守られる。もし彼が如何なる財産も保持しないなら、彼の贈与は守られない。

(Bava Batra 9:6)

 本文に入る前に原則を確認する。

 以前の記事で見た通り、通常所有権の移転にはkinyanを要する。しかし病床にあり、死の危険が現実的である者に関しては、たとえ口頭による贈与の意思でも有効と定められた。

 その効果は本人の死によって発生する。これは「自分の意思が実行されないかもしれない」という本人の心配を考慮した特則である。

 ここに問題を内包することになる。

 もし彼が死去することなく回復するなら、彼の意思は実行されない。

 逆に彼自身、回復した場合はその意思が実行されないことを意図していたとしても、客観的に「生前贈与」と見なされる状況もあり得る。

 この場合、意思表示の後の本人の状態に関わりなく、贈与による権利変動が確定する。

 本節はこの問題を扱ったものである。

 まず「もし誰かが病気で伏せていて、他者へ全ての財産を与えると書いており、他方で幾らかの財産を保持しているなら、彼の贈与は守られる」とあるのは、危篤状態で財産を譲る意志を示したが、自分の手元に幾らかでも残しておいた場合である。

 この場合は本人が死去した場合でも、回復した場合でも、有効な贈与とされる。たとえ彼が回復したとしても、譲った財産は戻らない。

 自分の手元に幾らかでも残しているのだから、回復する可能性を見込んだ意思表示と見なされる。

 他方で「もし彼が如何なる財産も保持しないなら、彼の贈与は守られない。」

 これは危篤状態で誰かに全ての財産を譲ったなら、死を条件とする贈与の意志と認められる。

 そこで本人が回復したなら、所有権は移転しない。

 次はこの状況で争いが生じた場合である。つまり全財産を贈与した本人が「病気から回復したから贈与は無効である」と主張するのに対して、受贈者側が「あなたはあの時、健康な状態で生前贈与した」と反論した場合である。

 当然、健康な状態での意思表示であるなら、その時点で有効な律法上の行為になる。次のように書かれている。

 もし彼が病気であることを記録しておらず 、病気であることを言っているなら 、他方で彼が健康であったと彼らが言うなら、彼は病気であった証拠を持って来なくてはならない。これらはラビ・メイルの言葉である。しかしラビたちは言う、「挙証責任は請求する側にある。」

(Bava Batra 9:6)

 本人は危篤状態の意思表示であったと主張している。

 受贈者は健康な状態での意思表示であったと主張している。

 どちらが事実と認定されるかによって、結論が全く異なる。

①ラビ・メイルの見解

 現在本人は健康であるので、客観的に危篤状態であったと信じる根拠がない。そこで本人がその状態であった証拠を提示するべきである。

②ラビたちの見解

 挙証責任は受贈者側にあるとする。

 ここまで「Bava Batra」の法理を解説してきた。相続や遺言に関してはまだ詳解出来る事例はあるが、ここで一応の区切りとする。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】『Bava Kamma』『Bava Metzia』『Bava Batra』の「3つの門」の基本的な法理研究

https://note.com/mishnah/n/n8377d72f85f0


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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