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マリアの妊娠とヨセフの離縁――ミシュナ(口伝律法)から読み解く石打ちの刑と離縁の法的要件

※本記事は、古代イスラエルの律法(モーセ五書および口伝律法ミシュナ)における法廷運用と賠償制度を、宗教史・法制史の観点から解説する学術的考察です。一部、当時の法律用語に基づいた表現を含みます。

 マタイ福音書1章に記された「ヨセフの離縁」の決断。律法の規定に従うなら、彼には妊娠したマリアを告発することは可能でした。

 本稿では旧約聖書の最高権威であるトーラ(モーセ五書)に加え、口伝律法『ミシュナ』の「Sanhedrin(サンヘドリン篇)」「Gittin(ギッティン篇)」を参照しながら、マリアの年齢区分である「naarah(ナアラー)」の特殊な地位から、当時の石打ちの刑の厳格な証人要件、そして正当な離縁の理由まで解説します。

 ヨセフが「ひそかに」縁を切ろうとした背景をご覧下さい。


はじめに:マタイ福音書が記す「誕生の次第」

 マタイによる福音書1章には次のように書かれている。

 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

(マタ1:18~25)

 私たちはこの場面において、やや個人的な疑問を持つ。それは「マリアは何歳くらいであったのだろう」というものである。

 今回は旧約聖書の最高権威であるトーラ(モーセ五書)と、口伝律法ミシュナを参照しながら、マリアの「婚約(後述の通り、実は結婚)」について扱う。

 この問題を論じるにあたっては、女性の年齢による律法上の立場の違いについて、知らなくてはならない。それは以下の通りになる。

マリアの年齢と律法上の立場――「naarah(ナアラー)」の定義


①未成年:12歳未満。
②naarah(ナアラー):12歳の誕生日から半年間。
③bogeret(ボゲレット):naarahが終わった後の女性。成人女性とされる。

 聖書において特別な地位を持つのは、②のnaarahである。

 これについては、以前に記事をまとめた。今回は必要な限りに止めるが、詳しくはそちらを参考にして欲しい。

◉イエスを裁いた『最高法院』への道(2回目):旧約聖書の裏に隠れている3人判事の法廷②

 この内、最も重要であり微妙であるのが②のnaarah(ナアラー)である。

父親の権限と結納金――出エジプト記22章の解析

 まず、出エジプト記22章を見てみよう。

 人がまだ婚約していない処女を誘惑し、彼女と寝たならば、必ず結納金を払って、自分の妻としなければならない。もし、彼女の父親が彼に与えることを強く拒む場合は、彼は処女のための結納金に相当するものを銀で支払わねばならない。

(出22:15~16)

 ここにある「まだ婚約していない処女」は原文ではnaarahになっている。

 「もし、彼女の父親が彼に与えることを強く拒む場合」(出22:16)とある通り、naarahについても未成年者同様、父親が結婚させる権限を持っている。まずはこの父親の権限について説明する。

 父親は娘が生まれてから、未成年である間及びnaarahの期間は嫁に出す権限を持っている。それ以降、女性がbogeret(ボゲレット)になると、その権限は消滅する。bogeret(ボゲレット)は成人女性であり、自らの意思で結婚するからである。

 従って、一家にとってnaarahの期間にある娘は、作物に喩えると収穫前の状態であり、父親が嫁に出す絶好の機会になる。

 上記引用箇所では、もし誰かがnaarahを誘惑したら、「処女のための結納金に相当するものを銀で支払わねばならない」とある。これは銀50シェケル(200ズズ)に相当する。この罰金が適用されるのは、ユダヤ教徒女性の人生のわずか半年、このnaarahの期間だけである。

 未成年やbogeretの場合、たとえ誘惑されて行為に及んでも、どちらもこの罰金を受けることは出来ない。

 naarahは律法上保護が厚い期間であり、一家にとって最も嫁に出す機会であったことになる。

 従って自然に考えるなら、マリアもnaarahであったと考えるべきである。現代人の感覚では彼女はまだ12歳、若すぎる年齢である。

ユダヤ教徒の結婚二段階制度:kiddushin(キッドゥーシン)とnisuin(ニスイン)

 ただ、一般的にはマリアの立場は「婚約」と翻訳される。これについては、ユダヤ教徒の結婚について知らなくてはならない。彼らの結婚は2段階から成っている。

第1段階
 kiddushin(キッドゥーシン)またはerusin(エルーシン)と呼ばれる。律法上既婚者となるが、父親の元で通常1年間過ごして準備する。

第2段階
 nisuin(ニスイン)と呼ばれる。結婚が完成する。

 ここで注意するべきは、第1段階で既に既婚者である事である。この点に関して、福音書では次のように書いている。

 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」

(マタ1:19~20)

 「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」とあるので、マリアはまだ父親の家にいたことになる。その時点で既に妊娠していたのだから、普通に考えるのは、彼女は既婚者として性行為をしたという事である。これは「姦淫」と呼ばれる。

 一般の既婚者の姦淫については、次のように書かれている。

 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。

(レビ20:10)

 この場合の罰則については、口伝律法ミシュナ「Sanhedrin(サンヘドリン)」11章1節に書かれている。

 以下の者は絞首刑に処される。父や母を打つ者、ユダヤ人を誘拐する者、法廷の裁きに従わない者、偽りの預言者、偽りの神の名によって預言する者、姦淫する者、・・・(後略)・・・

(Sanhedrin 11:1)

 絞首刑が適用される者として、はっきりと「姦淫する者」と書かれている。

「姦淫」に対する刑罰――石打ちか絞首刑か

 しかし、今回は第1段階kiddushin(キッドゥーシン)またはerusin(エルーシン)であり、かつマリアはnaarahであったと考えられる。その場合は罰則も異なる。まずはトーラから。

 ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない。その娘は町の中で助けを求めず、男は隣人の妻を辱めたからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。

(申22:23~24)

 結婚の第1段階を終えたnaarahは、石打ちの刑に処されることを言っている。

 同じ死刑で方法が異なるのだが、律法上は石打ちの刑は最も重い。同じ死刑の中でも、絞首刑は最も軽い方法になる。それは次の箇所に書かれている。

4つの処刑方法が定められている。石打ち、焼死、首切り、絞首刑である。

(Sanhedrin 7:1)

 これらは重い順に並んでいる。なぜ同じ第1段階でも、naarahの方がずっと重い方法で罰されるのだろうか?これはkiddushin(erusin)にあるnaarahの特別な立場にあると考えられる。っ彼女はまだ「父親の権限」下にあると同時に、「夫のもの」でもある。

 従って彼女の行為は育てた父親の権威を汚し、かつ将来完全に婚姻関係になる夫との契約を破るという、二つの家系に対する重大な冒涜とされたのだろう。

極めて困難な死刑執行――「証人による警告」という高いハードル

 さて、上記に「石打ちの刑」や「絞首刑」という物々しいことを扱った。しかし律法では処刑の為には事前の警告が無ければならないとされている。行為の直前に証人が「それは死刑に当たる罪である」と告げ、本人が「承知の上で行う」ことが必要である。これに関して、次のように書かれている。

 判事たちは証人に7つの質問をする。7年サイクルの何年目か。何月か。その月の何日か。何曜日か。何時か。どこの場所か。

(Sanhedrin 5:1)

 判事たちはこのように、その時の客観的な状況について尋ね、証人の間で証言が一致しないなら、それは有効な告発とは見なされない。審理は終了する。

 姦淫はその行為の性質上、密室で行われることが多い為、この「証人による警告」の条件は成立しにくい。その為、現実にこの罪で死刑が執行されるケースはほとんど無かったという話もある。

 以上によりヨセフの告訴する権利について言えば、姦淫についての証人を探して死刑を求刑することは現実的ではない。この場合、いるかどうかも分からない証人を探すことになる。

 しかし妊娠という絶対的な事実があるので、上記申命記22章23~24節において告発することは可能であったと思われる。再掲する。

 ある男と婚約している処女の娘(第1段階のnaarah)がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない。その娘は町の中で助けを求めず、男は隣人の妻を辱めたからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。

(再掲申22:23~24)

 ヨセフは内心混乱と動揺、怒りもあったかもしれないが、ともあれ告発することは考えなかった。むしろ「ひそかに縁を切ろうと決心した。」(再掲マタ1:19)

 最後にこの離縁の手続きについて解説する。まずは口伝律法ミシュナ「Gittin(ギッティン)」から。

 3つのgittinは無効である。・・・(中略)・・・もし彼が自分の手で書いて、証人が誰も署名しないなら、もし証人が署名していて、日付けが無いならば、もし日付けがあって、1人しか証人の署名が無いならば、これら3つのgittinは無効である。・・・(中略)・・・ラビ・エルアザルは言う。「誰も証人が署名していなくても、証人の前で彼女に渡すなら、それは有効である。」

(Gittin 9:4)

 この前半部分では、離縁状には2人の証人の署名が必要であることを言っている。署名が欠けていたり、1人しかいなかったりするものは、必要な要件を満たしていない。

 後半部分は、離縁状に2人の証人の署名が無くても、2人の証人の目の前で夫が妻に手渡せば、有効に離婚は成立するという見解である。

 また、離縁してよい理由についても、比較的緩やかに解釈されている。同じく「Gittin」9章に次のように書かれている。

 Beit Shammaiは言う。「男は妻を離縁してはならない、もし彼女の内に姦淫を見出さないなら。次のように書かれている。『妻に何か恥ずべきことを見いだし』(申24:1)」Beit Hillelは言う。「たとえ彼女が彼の食べ物を燃やしても、次のように書かれている。『妻に何か恥ずべきことを見いだし。』」ラビ・アキバは言う。「たとえもっと美しい女を見付けたときも、次のように書かれている。『気に入らなくなったときは。』」

(Gittin 9:10)


結論:義人はいつでも苦しむものである

 ここでは離縁してよい理由について、三者三様の見解を記録している。箇条書きにすると

①妻が姦淫した時である。
②妻が食べ物を燃やしてしまった時である。
③妻の他に素敵な女性を見付けた時である。

 2番目については、家事において粗相をしてしまった程度になるが、これはむしろ①のような重大な背信行為が無くても、夫婦間に回復不能な亀裂が生じている場合とされる。このような場合、婚姻関係で縛ることは不幸という考えに基づく。

 この内、2番目の見解が正統なものとされるが、これに拠れば妊娠の事実を一切公にしなくても、離縁する形式を整えることが出来るだろう。

 義人はいつでも苦しむものである。

 今回はこれで終わりにする。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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