イエスが語った「第一の掟」の深淵――ミシュナが解き明かすシェマーの祈りと生活の律法
*「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」――。イエス・キリストが「最も重要な第一の掟」として挙げたこの言葉は、単なる精神的な部分での命令ではありません。
本記事では、ユダヤ教の口伝律法『ミシュナ』の記述を紐解き、シェマーの祈りを唱える厳格な時刻規定や、身体に刻む「tefillin(テフィリン)」、門柱に据える「mezuzah(メズザー)」といった具体的な実践がいかに「主への愛」を実現するものであったかを解説します。
聖書の言葉が文字通り「生活の全て」を覆い尽くす、その圧倒的な信仰の世界をご覧下さい。
イエスが挙げた「最も重要な掟」
イエスは幾つかの箇所で最も重要な掟について語っている。まずはマタイによる福音書から引用する。
ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。
次にマルコによる福音書12章から。
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』
今回はイエスが挙げた重要な掟について解説したいと思う。まず第一の掟とされている節、「わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」は、申命記6章4~5節に書かれている。良く知られている通り、これはシェマーの祈りの一部を構成している。
シェマーの祈りとは単一の祈りではなく、主に旧約聖書の最高権威であるモーセ五書(トーラ)から3箇所をもって構成し、前後に祝福の祈りを加えて唱える形式である。
シェマーの祈り:朝と夕の境界線
朝と夕の2回唱えるが、それは口伝律法ミシュナ「Berachot(ベラホット)」1章に書かれている。
私たちはいつから夕のシェマーを唱えるのだろうか?祭司たちがterumahを食べる為に入った時から。私たちは唱えてよい。最初の時の終わりまで。これらはラビ・エリエゼルの言葉である。しかしラビたちは言う、「夜中まで」。ラッバン・ガマリエルは言う、「夜明けの光まで」。
1行目はいつから夕のシェマーを開始してよいか言っている。それは「祭司たちがterumahを食べる為に入った時から」とある。ここでは立ち入らないが、これは日没を指している。
夕のシェマーの祈りは日没から唱えてよい。
次にいつまでが夕のシェマーを唱える時間であるのかを扱っている。これには3つの説が示されており、それぞれ以下のように主張する。
①ラビ・エリエゼル:「最初の時の終わりまで」
これは夜を3等分した最初のブロック(約4時間)が終わるまでを指す。
②ラビたち:「夜中まで」
現代でいう午前0時頃まで。
③ラッバン・ガマリエル:「夜明けの光まで」
朝日の光が見える直前まで。本来の「寝ている間」という定義に基づいた最大限の猶予である。
この中で②が基準とされている。
朝の祈りを告げる「青い糸」と「王族の習慣」
次は朝のシェマーの祈りについてである。
私たちはいつから朝のシェマを唱えるのだろうか?私たちがtecheletと白を区別出来る時から。・・・(中略)・・・日の出までにそれを終えなくてはならない。ラビ・ヨシュアは言う、「3の時まで。というのも、それが王族たちの慣わしであるから。3の時までに起きるのである 」。その時以後に唱える者は失わない、彼はトーラから朗読するような者である。
まずtechelet(テヘレット)についてだが、これは写真を見て欲しい。

これは写真にある青い部分の染料である。暗闇の中では黒っぽく見えるが、空が白み始め、「青い糸」と「白い糸」がはっきり見分けられるようになった瞬間が、朝の祈りを始める時間とされる。
終える時間については、ここでは2つの説が立てられている。
①日の出まで
②ラビ・ヨシュア:第3の時まで
「第3の時」とは、日の出から日没までを12等分したうちの3時間分のことである。従って季節によって私たちの言う時間とは異なる。9時~10時頃らしいが、これは王族のように遅く起床する者たちを念頭に置いている。
「その時以後に唱える者は失わない、彼はトーラから朗読するような者である」とは、シェマーの祈りを唱える時間は過ぎているが、モーセ五書(トーラ)の一節を勉強のために音読したのと同様の功徳はあることを言っている。
さて、上にシェマーの祈りは3つの部分から成っていることを述べた。話をそこに戻す。
その「3箇所」とは以下の通りである。
①申命記 6章4~9節
②申命記 11章13~21節
③民数記 15章37~41節
今回は①の申命記6章を学ぶ。以下の通りである。
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くす」の真意
最初にイエスが「第一の掟」として取り上げた箇所「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」について語ろう。
この箇所については、口伝律法ミシュナ「Berachot(ベラホット)」9章で取り上げられている。
良いことについてと同じように、悪いことについても祝福を唱えなくてはならない。次のように書かれている、「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申6:5)。「心を尽くし」、良い傾向においても、悪い傾向においても。「魂を尽くし」、たとえ神があなたの命を取ろうとも。「力を尽くし」、あなたの全ての富をもって。これとは異なる解釈、「力を尽くし」、如何なる裁きをあなたに下されようとも、神を讃えなさい。
最初に「良いことについてと同じように、悪いことについても祝福を唱えなくてはならない」とは、良い知らせを聞いた時は神に対して、「善をなし、善を施す方は讃えられますように」と唱える。他方で不幸なこと、悪い知らせを聞いた時は「真実の審判者は讃えられますように」と唱える。
律法においては、自分の思い通りにならない不幸さえも、神の導きの一部として受け入れ、感謝の祈りを捧げることとされる。
次に「心を尽くし・・・」の箇所は以下のように説明されている。
心を尽くし:「良い傾向においても、悪い傾向においても」
人間の中には、善に向かう心と、利己的な欲望に向かう心(悪い傾向)が同居している。
律法では「清らかな心」だけで神を愛するのでは足りない。自分の中のドロドロした欲望や葛藤にも向き合い、神に仕えることとする。
2. 魂を尽くし:「たとえ神があなたの命を取ろうとも」
神を愛することは、自らの命を捧げる覚悟をすることである。自分の命よりも、神との契約を優先しなくてはならない。
3. 力を尽くし:あなたの全ての富をもって。
自分の財産は自分の為ではなく、神の目的の為に使うものである。
これらの事が「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」について言われている。
思考と行動を神に捧げる:テフィリン(tefillin)の規定
次に「これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」(再掲申6:8~9)について語る。
ここは2つの掟に関わっている。1つはtefillin(テフィリン)といい、もう1つはmezuzah(メズザー)という。順番に説明する。
tefillin(テフィリン)は「自分の手に結び、覚えとして額に付け」る一種の箱である。写真を見て欲しい。

箱の中にはトーラの4つの箇所を書いたものを入れている。これについては、口伝律法ミシュナ「Menachot(メナホット)」4章に次のように書かれている。
手のtefillinは額のtefillinの有効性に不可欠ではない。
これは手に付けるtefillin、額に付けるtefillinの内、どちらか一方しか持っていなくても、持っている方を着用する義務があることを言っている。もう1箇所見てみよう。「Megillah(メギラー)」4章8節から。
tefillinを円形で作る者は、自らを危険に晒す者であり、務めを果たしていない。もしtefillinを額の上に据え、あるいは手の平に据えるなら、それは異端のやり方である。もし彼がそれを金で覆い、あるいは袖の上に据えるなら、それは異端のやり方であると見なされる。
「tefillinを円形で作る者は、自らを危険に晒す者であり、務めを果たしていない」とは、tefillinの形状について言っている。
tefillinが四角形であることはモーセ以来、正統に伝承された律法とされており、それを変えることは逸脱することに他ならない。
「tefillinを額の上に据え、あるいは手の平に据える」ことも同様に危険であるとされる。
これはややこしい部分だが、トーラ本文には額の上に関して、「目の間に置く」と書いている。しかし正統なラビたちはこれを「脳(知性)を司る場所=髪の生え際」と解釈しており、そのように実践されている。
もう1箇所、tefillinを付けるべき「手」であるが、これもラビたちは「腕全体」を表していると解釈する。他方で異端の者は「手のひら」としている。
いずにしても、額と腕にtefillinを付けるとされている。これは後に、人間の『思考(知性)』と『行動(意志)』のすべてを神に捧げるという象徴的な意味として理解されるようになったらしい。
生活の全領域を神の言葉で満たす:mezuzah(メズザー)と日常の義務
次に「あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」(再掲申6:9)について扱う。
この戸口の柱、門に付けるものはmezuzah(メズザー)と呼ばれる。写真は以下の通りである。

この中にもtefillinと同様に、中にトーラの聖句が入っている。ただしtefillinよりは分量が少ない。
こちらもまずは口伝律法ミシュナから「Berachot」3章を見てみよう。
女性、奴隷、未成年者はシェマーを唱える務めはない、tefillinを付けることも免除される。しかし彼らは祈ること、mezuzahを付けること、食後の祈りについては務めがある。
女性、奴隷、未成年者は夫や主人、父親の庇護のもとにある。彼らは時間ごとに求められる掟の実行が基本的に免除されている。
先程学んだtefillinは時間によって付けるものであるので、免除されている。しかし以下のものは彼らにとっても義務である。
①祈り
神の慈悲を求める祈りは、時間に関わらず全ての人間が必要とするものである。
②mezuzah
家の門柱に付けるものであり、一度付ければ24時間機能する。
③食後の祈り(Birkat Hamazon)
食事をして満足した後に神に感謝する行為。これは「食事という行為」に紐付いている為、身分を問わず義務となる。
結論:全ての領域において神に従う
いずれにしても、額、腕、戸口や柱に神の言葉を備えておくというのは、生活の全ての領域に渡って神の御旨に従うことを表している。
イエスが「第一の掟」としていた「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(再掲申6:5)は心がけだけ、精神だけの問題ではなく、文字通り生活の全ての分野に関わっていたことになる。
今回はこれで終わりにする。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
