ミシュナ『Machshirin』の法理研究 第2回:樹木の単一性、土地の付従性を巡るBeit Shammai・Beit Hillelの議論と「所有者の意図」を巡る法理(1章1節〜6節)
本稿は口伝律法ミシュナ第6部『Tohorot(トホロット)』に属する『Machshirin(マフシリン)』の第2回目の解説である。
今回は『Machshirin』1章の法理研究。hechsherの要件について、樹木の単一性や土地への付従性を巡るBeit Shammai(シャンマイ派)とBeit Hillel(ヒレル派)の解釈対立を詳解。マイモニデスの中世注解を交え、所有者の主観的意図と客観的状況(略奪者からの隠匿・急流運搬)が律法上どう評価されるかを厳密に論考する。
前回の振り返り:hechsherの定義と7種の液体、および成立要件の3原則
前回は『Machshirin』シリーズの概論として、主に食品が汚れ(tumah:トゥマ)に対して感受性を持つようになるプロセスである「hechsher(ヘフシェル:準備)」の概論について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】hechsher(ヘフシェル)の定義と機序
①定義
食品は特定の液体によって濡らされるまでは、不浄の源に触れてもtameiにはならない。この「液体で濡らされて不浄への感受性を獲得すること」をhechsherと呼ぶ。
②意味
律法において、食品を濡らすことは「仕上げの工程」と見なされる。一度も濡れていない食品は「完成した食品」とは見なされず、不浄になることはない。
【2】hechsherを有効にする7種の主要液体
「Machshirin」6章4節は、hechsherを成立させる液体として以下の7種類を規定している。
露、水、ぶどう酒、オリーブ油、血、ミルク、蜂蜜
これら以外の派生的な液体は、ラビの規定レベル(サブカテゴリー)として扱われる。
【3】hechsher成立の重要原則
hechsherが成立するには、単に濡れるだけでなく以下の条件が必要である。
①土地からの分離性
作物が土地に付従している間(収穫前)や、液体が土地に付随している状態(泉や貯水池など)ではhechsherは成立しない。液体と食物の両方が土地から切り離されている必要がある。
②所有者の満足(意図)
液体は所有者の意図や満足なしには食品をhechsher状態に出来ない。これは聖書(レビ記11章38節)の「yutan(ユータン:与えられる)」という単語の解釈から演繹されており、客観的に見て所有者が満足する状況であれば、他者が濡らした場合でも成立する。
③食品としての地位
濡れた時点で、その物が「食べ物」として確立していなければならない(例:生きている動物が濡れても成立しない)。
【4】例外規定
①不浄な液体
hechsherをもたらす液体自体が既にtameiである場合、所有者の意図に関わらず、その食品は直ちにtameiになる。
②聖別された食べ物
聖別された食品は、濡らされるプロセスがなくても自動的に不浄への感受性を持つ。
③重度の不浄源(鳥の死骸など)
鳥の死骸(neveilah)のような重い汚れの原因は、湿気がなくても不浄を受ける状態にあると見なされる。これについては中世の注解者の間で解釈の相違がある。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Machshirin』の法理研究 第1回:レビ記におけるhechsher(ヘフシェル)の成立要件――7種の液体・土地付従性・所有者の満足
https://note.com/mishnah/n/n11497269946b
ミシュナ『Machshirin』1章1節:時系列における所有者の満足と不浄な液体の原則
今回は口伝律法ミシュナ「Machshirin」本文に入る。まずは1章1節から引用する。
それによって始めに満足したが、最後に満足しなかった場合も、最後に満足したが、始めに満足しなかった場合も、machshirinの。掟に含まれる。
tameiの液体は、それによって喜ぶのであれ、喜ばないのであれ、tumahを移す。
本節は前回概論で紹介した原則を少し具体的に述べている。すなわちhechsherが成立するには、濡らす過程全般に渡って所有者が満足する必要はない。ここでは「最初は満足している状況であったが、最後には満足していない状況であった」事案、あるいは「最初は満足していない状況であったが、最後には満足している状況であった」事案を扱っている。
いずれの場合でもhechsherは成立する。
次の原則も前回の概論で述べた。通常食べ物には液体で濡らすhechsherの過程を要するが、液体が汚れている場合、hechsherと汚れの過程を一度で実現する。この時所有者の満足は必要ない。
次節に進む。
ミシュナ『Machshirin』1章2節:樹木を揺らす行為と雨水の法理的評価
もし誰かが食べ物を取ろうとして、またはtameiのものを取ろうとして木を揺らしても、それは「もし水が置かれたら」に含まれない。
この箇所の前提として、樹木の枝には雨水が付着している。誰かが木の実を取ろうとして、あるいは木の枝に絡まった、汚れている物を取ろうとした場合である。
「汚れている物」は例えば鳥の死骸などが挙げられる。また、 地面には収穫した作物が置かれている。
この人が樹木を揺らした時、枝に付着した雨水が落ちる。それはこの人の意図したことではない。従って、地面の上に置かれた作物の上に水が落ちても、hechsherは成立しない。
ミシュナ本文の「『もし水が置かれたら』に含まれない」とは、hechsherが成立しないことを言っている。
シャンマイ派(Beit Shammai)の見解:行為による水全体への重要性付与とマイモニデスの補足
続きには次のように書かれている。
木を揺らした場合、Beit Shammaiは言う、「そこから出てきたもの、そこに残っているものは、「もし水が置かれたら」に含まれる。
ここで樹木を揺らしている人は、樹木から水を取り除こうとしている。それは水が欲しいからではなく、樹木から取り除こうとしているだけである。
その水は2つに分けられる。「そこから出てきたもの」、「そこに残っているもの」である。
「そこから出てきたもの」とは、揺らした木の枝から落ちた水を指す。「そこに残っているもの」とは、枝から落ちなかった水である。
Beit Shammaiの見解では、この人は「水を取り除きたい」と思って樹木を揺らしたのだが、意図的に木を揺らしたという事実によって、その時に木にあったすべての水に重要性が与えられる。
この重要性は枝の上に残った水にも、枝から地面に落ちた水にも付与される。その為、木を揺らした瞬間に落ちた水にhechsherの効果を認めるのと同様に、その時に木に残っていて、後から落ちた水であっても、食べ物に触れればhechsherを成立させる。
ただMaimonides(マイモニデス)によると、ここでBeit Shammaiが枝に残った水にもhechsherを成立させることが出来る条件は、枝の一箇所から別の場所へと移っていることが必要である。これによって、水が土地の付従性から切り離されたと考えるのである。
ヒレル派(Beit Hillel)の見解:払い落とされた水への限定と樹木全体の単一性
続きには次のように書かれている。
Beit Hillelは言う、「そこから出てきたものは、「もし水が置かれたら」の掟に含まれるが、残るものは含まれない、なぜなら彼は全てを落とそうとしている筈であるから。」
Beit Hillelは、本来の目的である「水を取り除きたい」という意図をより重視する。従って、木を揺らしたことによって実際にその瞬間に離脱して落ちた水だけが、hechsherの効果を生じさせる。
木の枝に残った水については、それを完全に取り除こうとしていたのに、取り除くことが出来なかったものであるので、そこに「満足」や「意図」は認められない。
そこで、この時枝に残った水が後で食べ物に触れても、hechsherは成立しない。
Beit Hillelは、樹木全体を「単一の実体」と見なす。水が木の枝の端から他方の端へ移動したり、ある枝から別の枝へ滴り落ちたとしても、それは木という同一の実体の中での移動に過ぎず、土地の付従性からの切り離しは起きていない。
シャンマイ派とヒレル派の相違点(まとめ)
以上をまとめると、Beit ShammaiとBeit Hillelの違いは以下の通りである。
【Beit Shammai】
木を揺らす行為はすべての水に重要性を与える。枝から枝への移動も「土地の付従性からの離脱」と見なす。
【Beit Hillel】
木を揺らした時、実際に払い落とされた水のみに重要性がある。木全体は一つなので、枝の間の移動は「離脱」ではない。
ミシュナ「Machshirin」では、この後細かい事案を取り扱っている。興味深い事例だけ下に挙げる。
ミシュナ『Machshirin』1章6節:隠匿・運搬時の「不本意な湿潤」
もし誰かが果物を、盗まれないように水の中に隠しているなら、それらは「もし水が置かれたら」の掟に含まれない。かつてエルサレムの人々はいちじくのケーキを略奪者たちから守る為に水の中に隠していたが、ラビたちはtahorであるとした。
本節では所有者が果物を盗まれないように、水の中に隠した事案である。所有者は出来ることなら、果物を水の中に入れることを望んでいない。他に場所が無いので、水の中に隠したものである。
この場合hechsherは成立しない。所有者が果物を濡らすことを喜んでいないからである。
ただしhechsherが成立しないのは、水が土地に付従している場合に限る。従って泉や川、池の場合である。もしも器に取った水の中に入れるなら、たとえ所有者が主観的に喜んでいないとしても、hechsherが成立する。器に取っているという事実は水を大地から切り離す行為であり、所有者の意図であったからである。
引用箇所の後半は、これに関する歴史的な出来事を記している。かつて略奪者がエルサレムを襲った時、住民たちは干しいちじくを水の中に隠した。
これは客観的に見て、所有者たちが望んでしたことではない。この時ラビたちはhechsherが成立していないと裁定したものである。
類似した事例をもう1つ挙げる。
もし誰かが果物を運ぶ為に急流に置くなら、それらは「もし水が置かれたら」の掟に含まれない。
これは所有者が自ら運ぶことの出来ないだけの量を、急流に置いたという事例である。この場合も所有者自ら置いているが、果物が濡れることを望んでいないと評価される。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Machshirin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n36a7a5cdda45
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
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