ミシュナ『Niddah』の法理研究 第7回:帝王切開(Yotzhei Dofen)における出産不浄規定の非適用性と、子宮出血の法的閾値「外の部屋(膣管)」に関するハラハー
*本稿は、古代ユダヤ教『Niddah』における不浄論の歴史的・法理学的分析を目的とした純学術的な論考であり、文中の身体現象や性的禁忌に関する言及は、すべて宗教法学的文献の正確な読解に基づくものである。性的な関心を喚起する目的、あるいは公序良俗に反する意図は一切含まれていない。
本稿は口伝律法ミシュナ第6部『Tohorot(トホロット)』に属する『Niddah(ニッダー)』の第7回目の解説である。
今回は『Niddah(ニッダー)』5章1節の法理を徹底分析。帝王切開で生まれた子「yotzhei dofen(腹壁から出る者)」が母親に課す不浄・清浄期間および神殿の献げ物(chatat/olah)の義務の有無をめぐり、匿名のラビ(Tanna Kamma)とラビ・シモンの解釈(レビ記12章)を対比する。
さらにRavやMaimonides(Rambam)によるハラハーの帰趨、切開口から出た血の不浄伝播性、そして月経血が完全に体外へ排出される前の法的閾値である「外の部屋(膣管)」到達時におけるniddahの発生(レビ記15:19)について検証。
後半では、次回シリーズ(『Zavim』法理研究)への布石として男性の性器漏出(精液・zav)の不浄規定との構造的相違に言及し、日本語圏における聖書学・ユダヤ教ハラハー研究の最高峰の論考を提示する。
前回の振り返り:『Niddah』4章1節におけるクティ人(サマリア人)女性の不浄擬制と夫の法的地位
前回は『Niddah』4章1節を取り上げ、クティ人(サマリア人)の女性に適用される特殊な不浄規定と、その夫や周囲への影響について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】クティ人の定義と改宗をめぐる背景
クティ人(サマリア人)は、アッシリア王によってサマリアに移住させられた人々である。彼らの改宗が誠実なものか(有効か)についてはタルムードでも論争があるが、『Niddah』4章1節の本文は「彼らの改宗は(不完全であっても)有効である」という前提に基づいている。
なぜなら、異邦人の女性にはそもそもniddahの掟が適用されないからである。
【2】クティ人の娘に対する「出生時からの不浄」擬制
ミシュナは「クティ人の娘たちは、ゆりかごの中にいる時からniddahと見なされる」と規定している。
①理由
クティ人は「書かれた律法(トーラ)」のみを認め、口伝律法を拒否している。ラビたちは「新生児が出血した場合もniddahになる」と定めているが、クティ人はこのルールに従わず清めの手続きを行わない。
②法理
実際に新生児が出血するのは稀であるが、ラビ・メイルの「少数事例も考慮する」という法理に基づき、クティ人女性の清浄性を保証出来ないため、予防的に一律「生まれながらにtamei」という扱いになっている。
【3】「無効な清め」と、夫への不浄の擬制
クティ人の夫は、法的に「niddahと性行為をした者」として扱われる。これにはクティ人女性の律法遵守のあり方が関係している。
①血の色の誤認
ハラハー(ユダヤ法)では赤色の血のみが不浄であるが、クティ人女性はあらゆる色の血でniddahの期間を数え始める。
②清めのタイミングのズレ
黄色の血でカウントを始め、その途中で赤色の血が出た場合、彼女たちは最初の出血から7日目にmikvehに入る。しかし、ハラハーの基準ではまだ不浄期間中であるため、その清めは無効となり、その後の夫婦行為は「niddahとの性行為」と見なされる。
【4】重度な不浄の伝播(midras)と連鎖
「niddahと交わった夫」は自らav hatumahとなり、強い汚れを帯びる。
①体重による汚れ(midras)
彼が座ったり寝たりして体重をかけたマットレスや椅子などは、一段階弱まることなくav hatumahとなる。
②不浄の連鎖
このav hatumahとなった寝具などに触れる人間や器物は、さらに一段階下の汚れrishon l'tumah(リッション・レトゥマ)を帯びることになり、祭儀的な不浄が広範囲に連鎖することになる。
このように『Niddah』4章1節は口伝律法の権威を認めないクティ人の実践が、いかにして「重度な汚れ」の法的擬制に繋がるかを扱っている。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Niddah』の法理研究 第6回:クティ人(サマリア人)女性のniddahと、夫の律法上の地位、及び改宗論争(4章1節)
https://note.com/mishnah/n/ncd0be56b8fc9
ミシュナ『Niddah』5章1節のハラハー:帝王切開(yotzhei dofen)と出産律法の適用境界
今回は前回の続きで口伝律法ミシュナ「Niddah」5章1節を扱うが、その前に復習を要する。
以前学んだ通り、男児または女児を出産した女性は次の期間を過ごす。
①男児の場合
母親は7日間のtameiの期間を過ごし、その後33日間のtahor(タホル:清い状態)の期間に入る(計40日間)。
②女児の場合
母親は14日間の不浄の期間を過ごし、その後66日間のtahorの期間に入る(計80日間)。
この全期間、母親はterumahなど聖別された食べ物を食べることも、神殿に入ることも禁止される。
期間の終了後、母親はレビ記12章のトーラに規定されている通り、贖罪の献げ物(chatat)と焼き尽くす献げ物(olah)を献げる義務がある。
以上で、通常の仕方で出産した場合の手続きについて復習した。
今回のミシュナでは、帝王切開で子供を生んだ女性について扱っている。
産道を通る自然な分娩が不可能な場合、母親の腹部と子宮を外科的に切開して子供を取り出す処置を施す。
ミシュナの時代、このような手術を受けて母親が生き残ることは稀であったが、「Niddah」5章1節は母親が生還し健康を回復した場合を前提としている。
帝王切開で生まれた子供はyotzhei dofen(ヨツェ・ドーフェン:腹壁から出る者)と呼ばれる。
帝王切開の法的定義をめぐるラビ論争:Tanna Kammaとラビ・シモンの聖書解釈
以上を前提に口伝律法ミシュナ「Niddah」5章1節ほ本文を引用する。
帝王切開で出産した場合、女性はこの為に汚れと清めの期間を持たず、献げ物に関しても有責ではない。
匿名のラビ(Tanna Kamma:タンナ・カンマ)は、帝王切開による出産が「法的な出産」と見なされるかどうかについて、否定する見解を示している。以下の通りである。
①結論
帝王切開は法的な「出産」とは見なさない。
②出産に伴う掟の遵守について
母親には、出産に伴うtameiの期間も、その後のtahorの期間も適用されない。また、全期間が満了した後の献げ物を献げる義務も無い。
その根拠はトーラから取ったものである。
妊娠して男児を出産したとき、産婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。
Tanna Kammaは「妊娠して男児を出産したとき」の原文の表現から、自然な仕方の分娩だけを指していると解釈している。
続きには次のように書かれている。
しかしラビ・シモンは言う、「この子供も自然に生まれた子供と同じである。」
ラビ・シモン(Rabbi Shimon)はTanna Kammaの見解に対して異論を述べている。
①結論
帝王切開は法的な「出産」と見なされる。
②出産に伴う掟の遵守について
自然分娩による出産を経た女性と同様に、男児出産の場合合計40日間、女児出産の場合80日間を遵守し、献げ物を献げる。
その根拠はトーラから取っている。2箇所引用する。
妊娠して男児を出産したとき、産婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。
女児を出産したとき、産婦は月経による汚れの場合に準じて、十四日間汚れている。
ラビ・シモンは、レビ記12章2節を踏まえ、更に5節の「女児を出産したとき(テレッド)」という記述に注目する。
すでに2節で出産について述べられているので、ここで再び「出産したとき(テレッド)」という単語を使っているのは「余分」であると考える。
トーラで意味もなく余分に書くことはあり得ない。そこには必ず意味があるとされる。
ラビ・シモンはこの箇所の「出産したとき(テレッド)」の余分な使用は、通常とは異なる方法、すなわち帝王切開による出産も、出産に伴う律法(不浄・清浄の規定)に含まれることを教えるためのものであると主張した。
以上で帝王切開に伴う律法の遵守について、Tanna Kammaとラビ・シモンの見解について解説した。
後世のハラハーにおける帰趨:Rav(適用否定)とMaimonides(適用肯定)の対立
最終的に従うべきハラハーは、権威者の間で意見が分かれている。
①Ravの見解
Tanna Kammaの見解を取り、帝王切開には出産の不浄規定は適用されないとする。
②Maimonides(Rambam)の見解
ラビ・シモンの意見(帝王切開も通常の出産と同様に扱う)に従う。
腹壁切開口から流出する子宮血の法的性質と、非産道経由の不浄伝播性
ここで少し細かい話であるが、帝王切開で切ったところから出た子宮の血について補足する。
帝王切開が母親に出産に伴う義務を課すのかどうかについて、Tanna Kammaとラビ・シモンの間に見解の相違があった。しかし帝王切開の際に腹部の切開口から出た「子宮の血」についての見方は一致している。
すなわち腹部の切開口から出た血によって、母親がniddahとして汚れることはない。子宮の血が女性をniddahにするのは、それが産道を通って出てきた場合のみだからである。Tanna Kammaもラビ・シモンも同じ見解を示している。
しかし切開口から出た子宮の血そのものが汚れを移すかどうかについては、意見が分かれている。
ラビ・シモンは、この血は「niddahの血」として分類されないため、接触しても汚れを移さない。
ラビたちは、この血はniddahの血ではないが、触れた者に「日没までの汚れ」を移すとする。すなわち汚れた後mikvehで清め、日没と共に清くなる汚れである。
体内における不浄発生の空間的閾値:「外の部屋(膣管)」へ到達時ハラハー
続きには次のように書かれている。
如何なる女性も出血が「外の部屋」まで来たならば、汚れている。というのも、次のように言われている。「女性の生理が始まったならば、七日間は月経期間である」(レビ15:19)。しかしzavや精液を出す者は、体の外に出ない内は汚れていない。
この箇所では月経の血が子宮を出て、「外の部屋」と呼ばれる膣管に達した時点でtameiになることを言っている。出血が体外に完全に排出される前であっても、子宮から「外の部屋」と呼ばれる特定の領域まで達した瞬間に、法的にniddahのtameiが開始されることになる。
根拠はトーラで示されている。
女性の生理が始まったならば、七日間は月経期間である。
以前の記事でも度々解説した通り、翻訳では表れていないが、「女性の生理が始まったならば」の箇所の原文では「彼女の肉の内において」という句が含まれている。これは血がまだ体外に出る前から、niddahの汚れが始まっていることを示している。
その後に「しかしzavや精液を出す者は、体の外に出ない内は汚れていない」と書かれている。
比較法理学的考察:女性のniddah(体内発生)と男性のzav・精液漏出(体外排出)における不浄発生要件の非対称性
zavと精液の順序を逆にして、先に精液について解説する。トーラには次のように書かれている。
もし人に、精の漏出があったならば、全身を水に浸して洗う。その人は夕方まで汚れている。
射精した男性はmikvehで体を清めなくてはならない。mikvehで体を清めた後、日没と共に清くなる。
問題はzav(ザヴ)である。
zavとは精液に似ているが、それとは別の液体(zov:ゾヴ)が性器から出た男性のことである。トーラには次のように書かれている。
もし、尿道の炎症による漏出があるならば、その人は汚れている。漏出による汚れは以下のとおりである。尿道から膿が出ている場合と尿道にたまっている場合。以上が汚れである。
この箇所で語られているのがzavである。翻訳を見る限り、一定の医学的な症状が出た場合にzavになるかのように読める。しかしそれは事実と全く異なる。
結論:ミシュナ『Niddah』基本規定の総括と、並行法理ミシュナ『Zavim』への展望
ミシュナ「Niddah」は10章まである。しかし5章の始めまでで基本的な掟については出尽くしており、残りの章では応用の事例が扱われている。
今回の記事でミシュナ「Niddah」についての解説はひとまず終了とし、これと並行する男性についての汚れの事例、すなわちzavについて話を移したいと思う。zavについてはミシュナ「Zavim」で詳しく語られている。
幸いも、不幸も創造される全能の神は、世々限りなく讃美されますように。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Niddah』法理研究
https://note.com/mishnah/n/nb46479539fed
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
