ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第28回:安息日の火災における財産搬出制限と『聖なる書物』の救出基準――ヘブライ語の文字の変遷、外国語訳の扱い(ゲニザ)、および「講義室の軽視」をめぐる法理の源流
*本稿は口伝律法ミシュナ第2部『Moed(モエド)』に属する『Shabbat(シャバット)』の第28回目の解説である。
今回は『Shabbat』16章1節を取り上げ、安息日の火災という極限状態における財産搬出制限について解説する。本来の目的以外の消火(chatatの有責性)、『聖なる書物』の定義とヘブライ語の文字の変遷、外国語訳の法的扱い(ゲニザ[genizah]と埋葬処理)、および「講義室の軽視」を防ぐケトゥヴィーム朗読制限の歴史的背景を古典註解から網羅する。
前回の振り返り:安息日における結び目の禁止基準と幕屋の青糸(techelet:テヘレット)の法意源流
前回は『Shabbat』第15章1節に基づき、安息日に禁止される作業であるmelachahの内、「結び目を作ること」と「結び目を解くこと」の法的基準について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】禁止される結び目の分類と判定基準
安息日における結び目は、3つに分類される。すなわち「トーラで禁止されているもの」、「ラビ規定で禁止されているもの」、「許容されているもの」である。
「トーラで禁止されているもの」には不注意の場合chatatについて有責となるが、これに分類されるべき結び方には大きく2つの説がある。
①マイモニデス(Rambam)の説
「専門性」と「永続性」の2条件が必須。すなわち船乗りのするような専門的な結び方で、かつ無期限に残す意図がある場合。
②ラシ(Rashi)らの説
「期間(永続性)」のみを基準とする。長期間維持される結び目であれば、結び方に関わらず有責と見なす。
【2】禁止の由来と「青糸(techelet:テヘレット)」
結び目に関する作業が禁止される根拠は、古代の臨在の幕屋(Mishkan:ミシュカーン)に関わる作業に由来する。
特に、幕屋の垂れ幕に使用される青い羊毛(techelet)を染めるための染料を持つ生物chilazon(ヒラゾン)を捕らえる際、その網を調整するために解いたり結んだりしたことが、このmelachahの源流となっている。
そのため、単なる破壊ではなく「建設的な目的」で結び目を解いたり、結び目を作ることが禁止の対象となる。
【3】「片手で解ける結び目」の議論
ラビ・メイルは「片手で解けるほど緩い結び目であれば有責ではない」と主張したが、最終的なhalachahはこの説を採用していない。たとえ簡単に解けるものであっても、それが「永久的」な意図で結ばれたのであれば有責となる。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Shabbat(シャバット)』の法理研究 第27回:安息日において禁止されるmelachahの「結び目を作ること」と「結び目を解くこと」の法的基準、および臨在の幕屋(Mishkan)の青糸(techelet)をめぐる法意の源流
https://note.com/mishnah/n/n62b123e2a066
安息日の火災における法理:人命優先原則と心理的財産搬出制限
今回はその続きである。「Shabbat」16章に入るが、まずはYad Avrahamの16章についての概論を要約する。
「Shabbat」16章では、安息日に火災が発生した際に、何をしてよいか、あるいは何をしてはいけないかについて扱っている。最初のいくつかのミシュナでは、火事の発生した家から何を、どのように、どこへ持ち出してよいかという点について詳しく述べられている。
本章の状況は、建物の中に誰もいない場合や、消火活動をせずとも全員が安全に避難できることが確実な場合など、人命ではなく財産のみを脅かす火災を前提としている。
火を消すことは「Shabbat」7章2節で36番目に禁止されているmelachahであるが、人命が失われる恐れがある場合には、むしろ火を消す義務が生じる。人の命に関わる場合、律法遵守よりも人命が優先されるからである。
しかし財産を持ち出すために消火活動に従事し、安息日の法を犯すことは許されない。
燃え盛る建物から自分の財産を持ち出そうとする際、パニック状態のまま、消火活動を行ってしまう恐れがある。そこでラビたちは、持ち主がすべての財産を持ち出すことは断念しなければならないことを理解するように、持ち出せるものの量に制限を設けたものである。
この規則は既に火が及んでいる家や庭から物品を持ち出す場合にのみ適用される。まだ火が及んでいない家の住人は、それほどパニックになっていないと考えられるので、全ての所持品を持ち出すことが許されている。
本来的目的以外の消火活動(melachah)をめぐるハラハー:chatatの有責性判断
ところで自分の持ち物を守るために火を消す行為は、消火というmelachahにおいて、本来的な目的(炭を作ること)のために行われるものではないため、ハラハーによれば、トーラの直接的な禁止命令に違反したとは見なされず、chatatを献げる義務はない。
この点ラビ・ユダ(Rabbi Judah)は、たとえ本来の目的以外で行われる消火活動であっても、chatatについて有責であると主張する。これに対してラビ・シモン(Rabbi Shimon)は免責であるとしている。
ここで火を消さない為の防護柵が設けられている点に関して、メイリ(Meiri)は「もし制限しなければ必ず火を消してしまうであろう」という人間心理に基づいた規定であると説明している。
以上を前提に口伝律法ミシュナ「Shabbat」16章の本文に入る。
ミシュナ『Shabbat』16章1節の法意:『聖なる書物』の定義と搬出基準
全ての聖なる書物は火事から持ち出されてよい。私たちがそれから読むのであれ、読まないのであれ。如何なる言語で書かれていようとも、隠される必要がある。なぜ私たちはそれから読まないのか?講義室の軽視の為である。
順番に確認する。まず「全ての聖なる書物」とは、トーラ(モーセ五書)、ネヴィイーム(預言者)、ケトゥヴィーム(諸書)を指している。今日旧約聖書と呼ばれているもの全てである。
ただし、これらがアッシリア文字を用いたヘブライ語で書かれている場合に限られる。
文字の歴史的変遷と正典論:アッシリア文字とキリスト教外典との境界線
「アッシリア文字を用いたヘブライ語で書かれている場合に限られる」とは奇妙な条件に見えるが、今日見るようなヘブライ文字と思えばよい。ヘブライ語は、元々はフェニキア文字から派生した古ヘブライ文字を用いて表記していたが、バビロン捕囚を機会にアッシリア文字で表記するようになった経緯がある。
「全ての聖なる書物」には、いわゆる旧約聖書続編は含まない。そもそも旧約聖書続編という括りは、キリスト教における正典分類上の呼称であり、ユダヤ教において、それらの書は正典とは見なされていない。
次に「私たちがそれから読むのであれ、読まないのであれ」について、前半の「読むもの」とはトーラとネヴィイームを指す。トーラは安息日ごとに読まれるものであり、ネヴィイームはHaftarah(ハフタラー)として読まれる。
Haftarotとはトーラを読んだ後に続けて読まれるものの呼称であり、トーラの内容に対応した箇所が選ばれている。安息日にはシナゴーグで、トーラとネヴィイームが「読まれる」ものである。
ケトゥヴィームは安息日には読まれない。すなわち「読まないもの」はケトゥヴィームを指している。
つまり「「私たちがそれから読むのであれ、読まないのであれ」とは、トーラ、ネヴィイーム、ケトゥヴィームを指しており、これらのものは、アッシリア文字のヘブライ語で書かれている限り、火事の時に持ち出してよいことを言っている。
外国語訳聖書のハラハー:『ゲニザ(genizah)』の保管と埋葬の法理
次に「如何なる言語で書かれていようとも、隠される必要がある」とある。
原文では「如何なる言語で書かれていようとも、genizah(ゲニザ)を必要とする」と書かれている。「genizah」は隠すことを意味するが、同時に「聖なる物品の為の保管場所」をも意味する。
ヘブライ語で書かれた聖書は、安息日に読むかどうかにかかわらず、火事の時には持ち出してよいことは述べた。他方、外国語で書かれた聖書については、安息日の火事の時には持ち出してはならない。
ラッバン・シモン・ベン・ガマリエル(Rabban Shimon ben Gamliel)によると、聖書はヘブライ語以外の言語で書くことは許されなかったという事である(モーセ五書のギリシャ語訳を除く)。
安息日であれ平日であれ、外国語版を読むことは許可されておらず、結果として火災から持ち出すことも認められなかったものである。
「如何なる言語で書かれていようとも、隠される必要がある」とは、火災の時には持ち出すことが認められていなくても、古くなった際には「聖なる物品の為の保管場所」に収めるべきであることを言っている。
「聖なる物品の為の保管場所」は一般的には屋根裏や地下室に設けられ、最早使用に適切でない程に古くなったものを保管する。そのスペースがいっぱいになったら封印される。
ここまでが伝統的な注釈で書かれていたことである。しかし定期的に中身は取り出され、白い布に包まれて墓地に埋葬されたらしい。 聖書には神聖四文字も書かれているので、無闇に処分することは許されないのである。
「講義室の軽視」の防止:ケトゥヴィーム朗読制限に見るラビたちの教育的配慮
次に「なぜ私たちはそれから読まないのか?」の部分である。これは「私たちはなぜケトゥヴィーム(詩編やコヘレトの言葉、歴代誌など)から読まないのだろうか?」という問いである。
その答えとして「講義室の軽視の為である」と書かれている。タルムードの時代、安息日には一般のユダヤ教徒向けにハラハーに関する講義が行われる習慣があったが、これは平日の間仕事で忙しい人々にとって、法を学ぶ貴重な機会になっていたものである。
ケトゥヴィームは物語として非常に興味深いので、ラビたちは人々がケトゥヴィームの読書に熱中し、講義に出席しなくなることを懸念した。そのため、講義が行われる時間帯(正午の食事の前まで)は、ケトゥヴィームを読むことを禁止したのである。
今回の内容は以上だが、ケトゥヴィームは聖典の中でも最も興味深い部分と見なされており、大祭司がYom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の夜に眠り込まないよう、彼に読み聞かされた理由も、その為であると言われることがある点を付記しておく。
ヨム・キップール前夜の朗読については、下の記事で詳しく書いている。興味のある方は確認して欲しい。
◉Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 3回目:「Yoma」1章6節〜2章2節の逐条解説:大祭司の資質と第2神殿奉仕の法理的変遷
https://note.com/mishnah/n/n773efc8b2123
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Shabbat』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n96f434acde54
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
