ミシュナ『Bava Metzia(バヴァ・メツィア)』注解 第1回:拾得物における所有権紛争と移転行為(kinyan:キンヤン)の法理
*ミシュナ『Bava Metzia(バヴァ・メツィア)』第1章を端緒とし、トーラ(申命記22章)と口伝律法における拾得物の所有権紛争を詳解する。日本の民法とは一線を画す律法上の所有権移転要件「kinyan(キンヤン)」――hagbahah、meshichah、mesirahの物理的実効性について、ミシュナ『Kiddushin(キッドゥシーン)』や預言書(エレミヤ32章)を横断し、それらの真髄を網羅する。
聖書法における拾得物返還の義務と例外(申命記22:1~3)
前回まで旧約聖書の最高権威であるトーラと「Bava Kamma」を参照しつつ、損害と賠償について確認した。
今回からは「Bava Metzia」に移る。具体的にどのような内容を扱っているのか、それは徐々に分かるだろう。
「Bava Metzia」1章の内容を取り上げるのに先立ち、トーラの節を引用する。
1同胞の牛または羊が迷っているのを見て、見ない振りをしてはならない。必ず同胞のもとに連れ返さねばならない。 2もしも同胞が近くの人でなく、だれであるかも分からない場合は、それを家に連れ帰り、同胞が捜しに来るまで手もとに置き、捜しに来たとき、その人に返しなさい。 3ろばであれ、外套であれ、その他すべて同胞がなくしたものを、あなたが見つけたときは、同じようにしなさい。見ない振りをすることは許されない。
これは一種の拾得物である。正当な所有者が誰であるのか分からない。ここで見付かったものは家畜であるが、「Bava Metzia」の順序に従い、まずは物から確認する。
ミシュナにおける係争物の分割と「誓い」の論理
もし2人の者が上着を掴んでいて、1人が「私がこれを見付けた」と言い、1人が「私が見付けた」と言うなら、または「これは私のものである」と言い、1人が「私のものである」と言うなら、―こちらは少なくとも半分の権利を持っていることを誓い、あちらは少なくとも半分の権利を持っていることを誓う。そして彼らは分割する。
これは2人の当事者が、1枚の上着をそれぞれ掴みながら出廷した場面である。
それぞれの名前を仮にAとBとする。
AもBも自分が先に拾得したこと、相手はその後になったことを主張している。
本来、拾得物は所有者に返還しなくてはならない。ここではその点が問題になっていないから、前提として、以下のどれかの条件に当てはまることになる。
①その物が元々所有者のいないものであることが知られていたものであること。
②町の住人のほとんどが異邦人であること。
上に引用のトーラでも「ろばであれ、外套であれ、その他すべて同胞がなくしたものを、あなたが見つけたときは」(申22:3)と言われている。
掟で返還するべきとされているのは、遺失者が同胞である場合である。異邦人の場合を含まない。
③所有者の元に戻ることが客観的に期待出来ない状況であり、所有者がその希望を失っているとしてよいこと。
ここでは上記いずれかの場合である。もしそうでないならば、拾得した者は公にアナウンスする機会を持たなくてはならない。
しかしそれについて、詳細は後の回に譲る。
話を戻すが、上の①~③の条件下にある場合、先に遺失物を掴んだ者が所有権を獲得する。
AもBも、自分が所有権を得たと思っているのである。この場合、「こちらは少なくとも半分の権利を持っていることを誓い、あちらは少なくとも半分の権利を持っていることを誓う」と書かれている。
これは、次のことを意味する。
①Aは「自分には少なくとも半分の権利がある」という誓いを立てる。
②Bも「自分には少なくとも半分の権利がある」という誓いを立てる。
これはどちらの主張でもない。しかしどちらの所有権かを立証出来ない以上、解決策は按分する以外にない。
もしも「全部の所有権」を誓わせ、その後で半分だけ与えるのは、法廷の威厳を損なうことになる。
そこで「自分には少なくとも半分の権利」を誓わせ、半分ずつという仕方を取ることにしているものである。
続きである。
権利主張の格差が生じる場合の按分計算(4分の3と4分の1の帰結)
もし誰かが「これは全て私のものである」と言い、他の誰かが「半分は私のものである」と言うなら、―「全て」と言った彼は4分の3以上所有していることを誓い、「半分」と言った者は4分の1以上所有していることを誓う。そしてこの者が4分の3取り、あの者は4分の1取る。
これは今の事例の応用であり、基本的には同じロジックに従っている。
①Aは「これは全て私のものである」と言った。
②Bは「半分は私のものである」と言った。
③Bは半分の権利は認諾していることになる。
④残りの半分の権利について、AとBの主張は真っ向から対立している。
⑤そこで、この半分の権利の半分はAのものとし、残りをBのものとする。
⑥結果的に、Aは4分の3、Bは4分の1の権利を保持する。誓いもそれに準じて行う。
次節に進む。
律法における所有権移転要件:kinyan(キンヤン)の分類
もし2人が動物の上に乗っていて、または1人が乗っていて、1人が引いているのなら、1人が「全て私のものである」と言い、他方が「全て私のものである」と言うなら、―この者は2分の1以上所有していることを誓い、あの者は2分の1所有していることを誓う。それから彼らは分割する。
これは今と全く同じロジックである。なぜ2分の1について誓うのか、読者は自分で説明出来るだろう。
ここでは、もう1つの重要な論点について確認する。それは所有権の移転の要件である。
日本の民法の場合、所有権の移転の為には売主と買主の間における合意で足りる。
それを第三者にも対抗するには、動産については占有の移転、不動産については登記を要する。
律法においては、合意だけでは十分ではない。それは口頭の場合は勿論、文書に拠ったものでも、同じである。
律法上の所有権の移転が生じるのは、kinyan(キンヤン)と呼ばれる行動による。「kinyan」がなされない間は、撤回することが可能である。
以下、kinyanについて分類する。
動産(hagbahah、meshichah、mesirah)と不動産の取得行為
【1】動産について
①hagbahah(ハグバハー)
持ち上げること。
小さな物品(衣類、道具など)に適用され、どこでも行うことが出来る取得方法である。
②meshichah(メシハー)
引っ張ること。
引っ張ることで、完全に自分の私的な領域まで動かす。
売り手の所有地の中で引っ張っても、効力を生じない。
同様に、公的な場所で引っ張っても、完全にそこから出さない限り、所有権は移転しない。
持ち上げるのが難しい動物や、重い物品に適用される。
③mesirah(メシラー)
掴むこと。
綱や手綱などを握るだけで、所有権を得る行為である。
上の②の場合よりも更に大きい家畜、動物などに用いられる。
以上の内容について、口伝律法ミシュナ「Kiddushin」1章4節に次のように書かれている。
大きな家畜はmesirahによって獲得する。小さいものはhagbahahによって。これらはラビ・メイルとラビ・エルアザルの言葉である。しかしラビたちは言う。「小さな家畜はmeshichahによって獲得する。
これは順番が異なるが、上記①~③をそのまま言っている。
不動産のkinyanは動産のkinyanと同じではない。こちらはまず「Kiddushin」1章5節を確認する。
それを抵当に入れることが出来る財産は、硬貨、文書、所有の行為によって獲得することが出来る。
「抵当に入れることが出来る財産」とは不動産を指す。
そのkinyanは「硬貨(金銭)、文書、所有の行為」の3つであるとする。以下、箇条書きにしながら補足説明する。
①硬貨(金銭)
金銭の支払いで所有権が移転する。ただし、地方によっては次の②も揃わない限り、効力が生じないとする習慣のところもある。
②文書
所有者が権利の移転を記載し、買主に渡す行為である。エレミヤ書には次のように書かれている。
8主の言葉どおり、いとこのハナムエルが獄舎にいるわたしのところに来て言った。「ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください。」
わたしは、これが主の言葉によることを知っていた。 9そこで、わたしはいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケルを量って支払った。 10わたしは、証書を作成して、封印し、証人を立て、銀を秤で量った。 11そしてわたしは、定められた慣習どおり、封印した購入証書と、封印されていない写しを取って、 12マフセヤの孫であり、ネリヤの子であるバルクにそれを手渡した。
売買契約書は売主か売主の代理人が通常は作成し、買主はその費用を支払う。
しかしここでは買主であるエレミヤが作成し、買主であるハナムエルが署名している。
あるいは、費用をエレミヤが払っているので、彼が書いたと記載した可能性もある。
いずれにしても、当然ながら買主の意思によって作成したものでなくてはならない。
③所有の行為
具体的にはフェンスを作るとか、売主の前で囲いの一部を壊すとかの行為である。
これらの行為は、当然ながら正当な所有者しか出来ない。分かりやすいkinyanである。
結論:動物への騎乗・牽引による「meshichah」の成立条件
説明が長くなったが、ここで上掲のミシュナの冒頭「もし2人が動物の上に乗っていて、または1人が乗っていて、1人が引いているのなら」に戻る。
動物に対するこれらの行為は、どのkinyanに当てはまるのであろうか?
動産のmeshichahである。これは原則では自分の私的な領域まで引くことを要するが、それが生き物である場合、打って動かすとか、それに呼びかける行為で十分とされる。
「上に乗る」と「引く」行為は通常は全然別の行為であるが、kinyanでは同じ分類の中で認められていることになる。
以上で律法における所有権の移転行為(kinyan)についての説明を終えた。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】『Bava Kamma』『Bava Metzia』『Bava Batra』の「3つの門」の基本的な法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8377d72f85f0
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
