除酵祭の法理 第3回:seder(セデル)の構造的変容と「未来の救い」への祈り
*ユダヤ教の最高権威であるトーラ(モーセ五書)と口伝律法『ミシュナ』の記述から「除酵祭」の真の姿を解き明かすシリーズ3回目。
今回は除酵祭の核心的儀式である「過越の食事(seder:セデル)」において、matzahの1枚が割れられること、神殿崩壊以降maror(マロール:苦菜)の掟の次元がシフトしたこと、食事の前に唱えるハレルの詩編に関するBeit ShammaiとBeit Hillelの見解などを網羅。
単なる過去の回想に留まらない、afikoman(アフィコマン)に象徴される「いけにえの代用」としての法理的構造を、一次資料に基づき手加減抜きで詳解します。
前回の振り返り:mikra kodesh(ミクラ・コデシュ)とmelachah(メラハー)の境界
前回は以下の内容を確認した。
【1】「聖なる集会(mikra kodesh:ミクラ・コデシュ)」における労働の制限
除酵祭の初日と7日目は「聖なる集会(mikra kodesh)」と呼ばれている。これは邦訳のイメージでは特定の集会活動を指すように思えるが、実際はその日の宗教的な祭儀や行い全般を指している。
仕事(melachah)に関しては、除酵祭の初日と7日目はyom tovであり、中日がある。
yom tovにおけるmelachah(メラハー:仕事)については、安息日と同様に39の創造的活動が禁じられるが、大きな例外として「食事の準備」だけは認められている。
Chol HaMoed(ホル・ハモエド): 第2日から6日はこれに該当し、yom tovとは異なるmelachahの境界線が存在する。
【2】種なしパン(matzah:マッツァ)と発酵の法的境界線
matzahは、小麦、大麦、スペルト、ライ、オートのいずれかで作らなければならない。
発酵の判定について、パン生地に「いなごの角のような筋」ができる、あるいは表面が「驚いた男の表情のように青白くなる」といった学派による異なる見解が示されている
部分的ではなく、完全に発酵したものを食べた者は、トーラに記された「karet(カレート;民から断たれるという天の罰)」の対象となる。
【3】過越の食事(seder:セデル)の作法と品目
参加者は「自由人」として4杯のぶどう酒を飲む。最初の杯では、その日の祝福とぶどう酒への祝福から構成されるKiddush(キッドゥーシュ)という祝福を唱える。
過越の食卓では、以下の品々が用意される。
①matzah(マッツァ:種なしパン): トーラの掟。
②レタス: エジプトでの苦難を象徴するトーラの掟。トーラでは「苦菜(maror:マロール)」と指示されている。
③charoset(ハロセット): 果物やナッツのペースト。レンガ作りを象徴するが、トーラの掟ではない。
④2つの皿:「過越のいけにえの肉」と「chagigah(ハギガー)」という、神殿での2つのいけにえを象徴する肉料理である。
これらの内容について不安のある方は、以下のリンクから確認して欲しい。
◉除酵祭の法理 第2回:ミシュナ『Pesachim』に基づく仕事(melachah)禁止・発酵・過越の食事内容の厳密な定義
https://note.com/mishnah/n/n88a860b14410
今回はその続きである。まず、「pesachim」10章3節の一部を再掲する。
「Pesachim」10章3節:maror(マロール)とmatzahの分割
彼はドレッシングにレタスをつけて食べる。
この「ドレッシング」は塩水またはビネガーとされる。
いずれにしても子供にとっては、「いつもの食事と異なる作法」を強く印象付ける。
その後のことに関する示唆は、申命記に次のように書かれている。
1アビブの月を守り、あなたの神、主の過越祭を祝いなさい。アビブの月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出されたからである。 2あなたは、主がその名を置くために選ばれる場所で、羊あるいは牛を過越のいけにえとしてあなたの神、主に屠りなさい。 3その際、酵母入りのパンを食べてはならない。七日間、酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。
除酵祭の期間のパンは「苦しみのパン」と呼ばれている。過越の食事(以下、seder:セデルと記載)においては、matzahは3枚用意される。その内の1枚はここで割られる。
安息日と祭日には2枚のmatzahを使う。sederで3枚になっているのは、その内の1枚を「苦しみのパン」として割る為である。
afikoman(アフィコマン)の定義:デザートか、隠された本質か
半分に割ったものの小さい1つは2枚の間に挟み、大きい1つは別に隠しておく。後者はafikoman(アフィコマン)と呼ばれる。afikomanはデザートを意味しており、一番最後に食べる。
次節に進む。次のように書かれている。
2番目の杯と「息子の質問」:父から子へ継承される教示の掟
彼らは2番目のぶどう酒を注ぐ 。ここで息子が父に質問する。もし息子の理解が十分でないなら、父が彼に指導して質問させる。「今夜は他の夜と何が違うのですか?―毎晩、私たちはchametzもmatzahも食べます。私たちは他の野菜も食べます。しかし今夜は苦菜だけです。毎晩、私たちは焼いた肉、シチューにした肉、調理した肉を食べます。しかし今夜は焼いているだけです。毎晩、私たちは浸した野菜を1回だけ食べますが、今夜は2回です」。
父は息子の理解力に従って、彼を指導する。彼は屈辱から始め、栄光で終わる。彼は「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました」(申26:5)について説明し、全ての箇所を終える。
父親は2番目の杯が注がれた後、次の掟の実行が求められる。
あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである』と。
これは父親が子供にsederについて説明する掟である。同様のことは次の箇所にも書かれている。
あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。
上記引用の子供の質問は、sederに関する基本的な原則を含んでいる。
①今日はmatzahしか食べないのはなぜか。
②苦菜(maror;マロール)しか食べないのはなぜか。
③肉は焼いているだけである。
④野菜を2回食べるのはなぜか。
この内、①~③については既に述べてきた。野菜については1回目において、既述の通り塩水に漬けて食べた。2回目はこの後訪れる。
食事の前にハレルの詩編と呼ばれる詩編を唱える。「Pesachim」10章には次のように書かれている。
ハレル詠唱の終止線を巡る法理:シャマイ派とヒレル派の対立
どこまで彼は唱えるのだろうか ?―Beit Shammaiは言う、「自由な人々の列に、民の自由な人々の列に返してくださる。」(詩113:8)。しかしBeit Hillelは言う、「岩を水のみなぎるところとし、硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。」(詩114:8)
彼はHaggadahを救いに対する祝福で締める。ラビ・タルフォンは言う、「『私たちと私たちの先祖をエジプトから救い出して下さった方』、そして最後の祝福で締めない。」
ラビ・アキバは言う、「私たちの神であり、先祖の神である主が、未来の祭りと巡礼に導いて下さいますように、平和の内に。あなたの都が再建される喜びと、あなたの祭壇で奉仕する喜びで満たされて。私たちがそこで献げ物と、pesachを食べることが出来ますように・・それから、『イスラエルを救われた主は讃えられますように』まで。」
まず1段落目である。2つの学派で意見が異なっている。
①Beit Shammai
詩編113:8までである。
②Beit Hillel
詩編114:8までである。
次の「Haggadahを救いに対する祝福で締める」について、Haggadahとはエジプトについての物語である。その後に唱えるべき祝福について、ラビ・タルフォンとラビ・アキバの見解が記されている。
①ラビ・タルフォン
最後は「エジプトから救い出してくださった」という過去完了の事実の祝福で締める。
「そして最後の祝福で締めない」とは、定型の祝福をその後に加えないことを言う。
②ラビ・アキバ
これは以下のように解説されている。
「未来の祭り」はRosh HaShanah、ヨム・キップールの事である。
「巡礼」は三大祭りである過越祭、七週祭、仮庵祭の事である。
それらが「あなたの都が再建される喜びと、あなたの祭壇で奉仕する喜びで満たされて」とあるので、終わりの日の神殿の再建における事として願い、祈っていることになる。
その最後に「イスラエルを救われた主は讃えられますように」を加えている。
このようにsederは単なる過去の回想に留まらず、「未来の救い(メシア時代の到来や神殿再建)」への祈りでもある。
ハレルの詩編の後半は、食後に唱えられる。
先に進む。
出エジプトに関する物語を終えた後、手を洗う。sederにおいてmatzahを食べることは、神殿崩壊以降、聖書次元で命令されている唯一の「食べもの」である。
このパンを祝福する。次のように唱える。
「私たちの神、宇宙の王である主よ、あなたは賛美されますように。あなたは大地からパンを生じさせてくださいます。」
それから、この掟を与えて下さったことを感謝して祈る。
「私たちの神、宇宙の王である主よ、あなたは賛美されますように。あなたはご自分の戒めによって私たちを聖別し、matzahを食べるよう命じられました。」
こうしてmatzahを食べる。新約聖書の中でイエスが聖体の秘跡を制定する場面があるが、それはこのタイミングで行われたであろう。
主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
次にmaror(苦菜)である。信徒はここでエジプトにおける迫害の苦しみを思い起こす。しかし1つ注意するべき事がある。
maror(苦菜)の法理的変質:神殿崩壊による義務次元の移動
そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。
ここで、いけにえの肉、matzah、苦菜を食べるように言われている。
正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。
ここでは過越の食事から食べるべきものとして、matzahだけが触れられている。
これらの箇所から次の原則が引き出されている。つまり、苦菜(maror)だけは掟の次元において、いけにえの肉に依存しているという事である。
matzahはトーラの中で、単独で「食べなくてはならない」と触れられている。しかしmarorはそうではない。
従って、神殿崩壊以降marorを食べることはトーラ由来の掟ではなくなった。それでもmarorを食べるのは、ラビたちが規定したからである。
marorに対しては、以下のように祝福を唱える。
「私たちの神、宇宙の王である主よ、あなたは賛美されますように。あなたはご自分の戒めによって私たちを聖別し、marorを食べるよう命じられました。」
ここで食事を始める。ただし割ったmatzahのもう1つの大きなかけら(afikoman)は食べない。
結び:afikomanによる「聖なる味」の保持と食事の完結
afikomenは最後に食べ、その後には何も食べてはならない。それはafikomanが過越のいけにえの代わりだからである。
いけにえの肉は満腹になった状態で最後に食べ、その後に他のものを食べてその聖なる味を上書きしてはならないとされていた。
従って、afikomanの後には何も食べない。
以上で今回の解説を終わりにする。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉三大祭りの法理学全説:トーラとミシュナから復元する過越祭・除酵祭(Pesach:ペサハ)、七週祭(Shavuot:シャヴオット)、仮庵祭(Succot:スコット)(全18記事・完結)
https://note.com/mishnah/n/n8fa728c36e30
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
