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「逃れの町」における過失致死の法理 第1回:ミシュナ『Makkot』に見る法的要件と適用範囲

*旧約聖書の最高権威であるトーラと、口伝律法ミシュナ『Makkot』を元に「逃れの町」を解説するシリーズ1回目。今回は過失致死が成立するための物理的・法的要件を厳密に検証する。

 特に、ミシュナが提示する「下りる時の動作」という物理的制約や、被害者の「場所に対する権利」が流刑(逃れの町への収容)の正当性を左右する論理構造を詳解。

 更にサマリア人やカナン人奴隷、および「ノアの七つの掟」を遵守する異邦人の法的地位が、律法の適用範囲にどのような非対称性をもたらすかを解説する。日本語圏において通俗的な聖書解説を排し、厳格な法理を再構築する。


序説:民数記35章における「逃れの町」の司法的定義


 今回は逃れの町について扱う。まずは旧約聖書の最高権威であるトーラから引用する。

 9主はモーセに仰せになった。
 10イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
あなたたちがヨルダン川を渡って、カナンの土地に入るとき、 11自分たちのために幾つかの町を選んで逃れの町とし、過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい。 12町は、復讐する者からの逃れのために、あなたたちに用いられるであろう。人を殺した者が共同体の前に立って裁きを受ける前に、殺されることのないためである。

(民35:9~12)

 故意ではなく、過失によって人を殺してしまった場合、近親者に殺されることのないように、逃れの町を設置するように命じている。

 後の回で扱うが、「逃れの町に逃げる」と言っても、それは加害者が勝手に逃げて行き、勝手にそこに住み着いてよいという事ではない。

 これは律法で保護された権利に基づくものであり、法廷での審理を経なくてはならない。

 そこで、以下口伝律法ミシュナ「Makkot」2章には、どのような事案が過失致死にあたるのかを扱っているが、逃れの町に逃げるべき状況について「流刑になる」と表現される。

 次の通りに書かれている。

ミシュナ『Makkot』2章1節にみる過失の判定基準――「垂直方向」の動作原理

 これらの者たちは流刑になる。人を不注意によって殺してしまった者。もし彼がローラーを押していて、彼の上に落ち、殺してしまったら、あるいは彼が樽を下ろしていて、彼の上に落ち、殺してしまったら、あるいは彼がはしごを下りていて、彼の上に落ち、殺してしまったら、-彼は流刑される。

(Makkot 2:1)

 冒頭の「これらの者たちは流刑になる。人を不注意によって殺してしまった者」は、これから列挙する状況で人を殺してしまった場合、逃れの町の律法に従って保護されることを言っている。

 以下のようにまとめることが出来る。

①屋根の泥や瀝青を平らにする為に使っていたローラーを下方に転がしていたところ、手から離れてしまい、下にいた人の上に落ち、殺してしまった場合。

②ロープを使って樽を上から下に下ろしている時、手からロープを離していまい、下にいる人を殺してしまった場合。

③はしごを下りている時に落ちてしまい、下にいる人を殺してしまった場合。

 これらの場合は故意ではなく過失による殺人であると認められる。

 次は過失致死とは認めないケースである。

不可抗力としての「事故」:下から上への動作における免責

 しかしもし彼がローラーを上に引いていて、彼の上に落ち、殺してしまったら、あるいは樽を持ち上げようとして、彼の上に落ち、殺してしまったら、あるいははしごを上っていて、彼の上に落ち、殺してしまったら、-彼は流刑にはならない。

(Makkot 2:1)

 まとめると下のようになる。

①屋根で自分よりも上に向かってローラーを引いていたところ手から離れてしまい、下にいた人の上に落ち、殺してしまった場合。

②ロープを使って樽を下から上に上げようとしている時、ロープが切れるなどてしまい、下にいる人を殺してしまった場合。

③はしごを上っている時に落ちてしまい、下にいる人を殺してしまった場合。

 これらの場合は不慮の事故と見なされる。故意や過失は問われない。そこでもしも親族が彼に復讐をしたのなら、殺人に問われることになる。

 なぜ下から上の場合には、過失致死とされないのだろうか?続きには次のように書かれている。

 これがルールである。下りる時に起こる如何なる死の為にも、彼は流刑になる。しかし下りる時でないなら、彼は流刑にならない。

(Makkot 2:1)

 これがトーラの原則とされる。上から下への動作の中で起きた事案については、過失致死に相当し、逃れの町へ逃げる。しかし下から上への動作については、「事故」として問われない。

 もう少し判例を見てみよう。

場所の法的性質と「立ち入り権」:申命記19章と公共性の再定義

 もし誰かが公的な場所に向かって石を投げ、殺してしまったら、彼は流刑になる。ラビ・エリエゼル・ベン・ヤコブは言う、「もし石が彼の手を離れた後、誰かが頭を突き出してその石が当たってしまったら、彼は有責ではない。」

(Makkot 2:2)

 まず、ここの「公的な場所」とは律法において通常に使われる意味のものではない。

 律法では一定以上の道幅で、かつ一定以上の大勢の人通りがある場所を「公的な場所」と呼んでいるが、ここではその意味ではない。

 なぜならその意味での「公的な場所」に石を投げることは、加害行為の意志が認められるからである。

 タルムードによると、このミシュナの「公的な場所」は夜間にしか使われないトイレについて言っている。

 日中は使わない場所であるので、石を投げたのだが、そこに人がいて殺してしまった状況である。

 これは過失致死であり、彼は逃げなくてはならない。

 ラビ・エリエゼル・ベン・ヤコブの見解は、唐突に被害者となる者が現れた場合は、加害者は逃れの町に行く必要がないというものである。

 似たようなケースは続きに書かれている。

 もし彼が石を自分の庭に投げて、殺してしまったら、-もし被害者がそこに入る権利を持っていたなら、彼は流刑になる。そうでないなら、彼は流刑にならない。次のように書かれている。「隣人と柴刈りに森の中に入り」(申19:5)-この森のようでなくてはならない。そこには被害者も加害者も入る権利があったのである。

(Makkot 2:2)

 この箇所の前半は分かりやすい。以下のことを言っている。

①自分の庭に石を投げ、被害者はそこに入る権利がある場合

 流刑になる。

②自分の庭に石を投げ、被害者はそこに入る権利が無い場合

 流刑にならない。責任を問われない。

 被害者はいてはならない場所にいたのであり、加害者が責任を問われるべきではない。

 この例はトーラの中に書かれている。

 すなわち、隣人と柴刈りに森の中に入り、木を切ろうと斧を手にして振り上げたとき、柄から斧の頭が抜けてその隣人に当たり、死なせたような場合である。彼はこれらの町の一つに逃れて生き延びることができる。

(申19:5)

 これについてミシュナは「そこには被害者も加害者も入る権利があったのである」(上掲 Makkot 2:2)と説明している。

 次節に進む。

被適用者の階層構造:イスラエル人、クテ人(サマリア人)、カナン人奴隷、およびノアの法

 父親は息子の為に流刑になり、息子は父親の為に流刑になる。全ての者はイスラエルの為に流刑になり、イスラエルは全ての者の為に流刑になる。異なる住人を除いて。異なる住人は異なる住人の為だけに流刑になる。

(Makkot 2:3)

 冒頭は親子の間で過失致死が起きた場合である。この場合も加害者は逃れの町に逃げることになる。

 「全ての者はイスラエルの為に流刑になり、イスラエルは全ての者の為に流刑になる」が分かりにくく、複雑な事情がある。まず「全ての者」とは以下の2つのものを含んでいる。

①サマリア人(クテ人)

 アッシリアによってイスラエルの地に移住させられた人を総称する。列王記下に次のように書かれている。

 アッシリアの王はバビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々を連れて来て、イスラエルの人々に代えてサマリアの住民とした。この人々がサマリアを占拠し、その町々に住むことになった。

(列下17:24)

 私たちには馴染みがないが、サマリア人はユダヤ教ではよく「Cutheans」(クテ人)と呼ばれる。

 彼らは列王記下17章24~41節を要約すると、次のような歩みを辿った。

 アッシリアの王は彼らをバビロンやクトなどから連れて来たが、その時彼らが自分たちの信仰生活を送ったところ、獅子に襲われる事件が多発した。

 アッシリア王は、これは移住者がイスラエルの神を敬わなかった為であると判断し、捕囚にしていたレビ族の祭司を帰還させ、主への礼拝方法を教えさせた。

 人々は主を敬う形を取りつつも、同時に自分たちがもともと持っていた偶像も拝み続けた。

 そこで彼らの信仰生活は、イスラエルの神への信仰と、他の宗教が混淆している状態になった。

 以上の経緯があったので、長くラビたちの間で彼らの「改宗」の是非が問題になったものである。

 最終的には有効な改宗と認められないという結論になったが、ミシュナ編纂時代にはまだそこまで至っていなかった。

 そこで、「Makkot」においても、ユダヤ人コミュニティを形成する人々の一角として扱われている。

 ここでは、もしクテ人(サマリア人)がイスラエルの人を過失で殺してしまったら、流刑になることを言っている。法的に保護されるのである。

②カナン人奴隷

 この箇所の「全ての者」はカナン人奴隷も含む。これはカナン出身でなくても、元は異邦人であり、ユダヤ人の奴隷になった者を指す。

 彼らはユダヤ人の奴隷になるにあたっては割礼を受け、mikvehで身を清めなくてはならない。改宗の手続きである。

 彼らはユダヤ人の女性と同程度に、掟を守ることが要求される。

 彼らもまた、イスラエルの人を過失で殺してしまったら、逃れの町に逃げることになる。

 次に「異なる住人を除いて。異なる住人は異なる住人の為だけに流刑になる」についてだが、「異なる住人」とは、聖地に住んでいる異邦人を指す。

 彼らは聖地に住むにあたっては、ノアの法を守ることを受け入れなくてはならない。

 ノアは現在生きている全ての人類の祖である。ノアの法とは、ユダヤ教で全ての人類が守るべきと教える7つの掟の事である。

 ノアの法とは何か、ここでは立ち入らない。簡単に箇条書きにしておく。

①偶像崇拝の禁止

 唯一の創造主以外の神々や像を崇拝してはならない。

②神を呪うこと(冒涜)の禁止

 神の名を汚したり、呪ったりしてはならない。

③生きた動物の肉を食べる事の禁止

 動物が生きているうちに、その体から切り取った肉を食べてはならない。

④殺人や不正の禁止

⑤不道徳な性的関係の禁止

⑥盗みの禁止

 他人の財産を盗んだり、強奪したりしてはならない。

⑦裁判所の設置

 正義を確立し、維持し、上記の法を守る為の司法制度を確立しなければならない。

 彼らの立場は微妙であり、もしユダヤ人を殺してしまっても、逃れの町に逃げる権利は与えられない。

 しかし同じノアの法を守る人を殺してしまったら、逃れの町に逃げる権利は与えられる。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】「逃れの町」とレビ族の町の法理:ミシュナが解き明かす律法の執行と都市空間の全貌

https://note.com/mishnah/n/nf1b99ffb956e

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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