ミシュナ『Me'ilah』研究 第4回:鳥のolah(焼き尽くす献げ物)の奉仕手順と内側のchatat(焼かれる雄牛・雄山羊)における不適格化のタイムライン、及び『灰の場所』に至るまでのme'ilahの永続性の法理
*本稿は口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim(コダシーム)』に属する『Me'ilah』の第4回目の解説である。
今回は『Me'ilah(聖物領得)』第2章2節を取り上げ、鳥のolah(焼き尽くす献げ物)におけるmelikah(メリカー)とmitzui(ミツイ)の奉仕手順、および聖所内で血が扱われる「内側のchatat」(大祭司・会衆・偶像崇拝のための焼かれる雄牛および雄山羊)の法理的構造を詳解。
なぜこれらの聖物は、血の振りかけ(zerikah)完了後もme'ilahから解放されず、「灰の場所(ベイト・ハデシェン)」で燃やされるまでその掟に従い続けるのか。レビ記や民数記15章のラビ文献的伝統(タルムードの論理)に基づき、不適格化(piggul, nosar, tamei, linah, tevul yom)のタイムラインをミリ単位で特定し、2,000年前の律法の現場を再現する。
前回の振り返り:ラビ・アキバの類比推論(kal vahomer:カル・バ・ホメル)と鳥のchatatにおける不適格化の法理
前回は、ミシュナ『Me'ilah(聖物領得)』第1章2節の続きから第2章1節を取り上げ、ラビ・アキバによる独自の論理的証明(類比推論)と、鳥のいけにえ(鳥のchatat)における聖性の変化及び不適格化の法理について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】ラビ・アキバ(Rabbi Akiva)の類比推論(kal vahomer:カル・バ・ホメル)
「場所的失格(yotzei)となった肉が、血の振りかけ(zerikah)によってme'ilahから解放されるか」という論争に対し、ラビ・アキバは「紛失したchatat(罪の献げ物)」の事例を用いて自身の正当性を証明する。
①事例
ある人のchatatが行方不明になり、代わりの個体を用意したが、後で最初の個体が見つかった場合。両方を屠殺し、一方の血を祭壇に振りかけると、もう一方の肉までもがme'ilahの対象から外れる。
②論理(kal vahomer)
「他者の血(代わりの個体の血)」でさえ肉をme'ilahから解放できるのであれば、不適格(yotzei)になったとはいえ「自分自身の血」による奉仕が、自分の肉を解放できないはずがない、と結論付けた。
この種の推論の方法はkal vahomerと呼ばれる。
【2】鳥のchatatの奉仕手順と聖別
第2章1節では、家畜ではなく鳥のchatatが扱われる。これは資力の乏しい者や、特定の汚れ(zavなど)の清めの際に献げられるものである。
奉仕の手順は以下の通りである。
①melikah(メリカー)
祭司が親指の爪で首の後ろを突き刺して殺すこと。
②hazaah(ハザアー)
血を祭壇に吹き付ける。
③mitzui(ミツイ)
残りの血を絞り出す。
鳥のchatatには祭壇で焼く部位(emurin:エムーリン)がなく、奉仕の後はすべて祭司の食用となる。
【3】聖性の向上と「不適格化」のタイムライン
鳥のchatatは、奉仕の段階が進むにつれてその性質が変化する。
①聖別した時
この時点からme'ilahの対象となる。
②melikahの後(聖性の向上)
melikahが行われると聖性が高まり、外部要因によって不適格になりやすい状態になる。以下のものが触れると不適格となる。
tevul yom: mikvehで身を清めた後、日没を待っている状態の人。
mechussar kippurim: 清めのいけにえをまだ完了していない人。
linah(時間の経過): 血の奉仕が日没までに行われないこと、あるいは肉が翌朝まで残ること。
③血の振りかけ後
奉仕が完了すると、肉は「神のもの」から「祭司が食べてよいもの」に変わるため、me'ilahの対象からは外れる。一方で、不適切な意図(piggul)や残り物(nosar)、汚れ(tamei)による有責性が生じるようになる。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Me'ilah』研究 第3回:ラビ・アキバの「紛失したchatat」における類比推論(kal vahomer)と、鳥のchatatのmelikahに伴う聖性向上と脆弱性の法理
https://note.com/mishnah/n/n1f02db5c2e86
鳥のolah(焼き尽くす献げ物)の奉仕手順とme'ilahの継続性(2章2節前半)
今回はその続きであり、口伝律法ミシュナ「Me'ilah」2章2節からである。まずは本文を引用する。
鳥の焼き尽くす献げ物について、一端melikahをすると、それはtevul yom、mechussar kippurim、時間の経過によって不適格になるものとなる。血が祭壇に絞り出されると、piggul、nosar、tameiの為に有責になるが、me'ilahに従い続ける、灰の場所に着くまでは。
本文に入る前に、鳥の焼き尽くす献げ物(olah:オラー)について基本的な知識を復習する。
鳥のolahは自発的に献げることが出来るし、義務的に献げなくてはならない時もある。鳥のolahに関する血の奉仕は、melikahとmitzuiしかなく、hazaahは行わない。この点鳥のchatatと異なる。
餌袋は取り除かれ、捨てられるが、その他の体は祭壇で焼かれる。祭司も鳥のolahは食べることは出来ない。
以上の前提でミシュナ本文を見るが、「鳥の焼き尽くす献げ物について、一端melikahをすると、それはtevul yom、mechussar kippurim、時間の経過によって不適格になるものとなる」と書かれている。この箇所は、鳥のchatatと同じである。不確かな方は前回の記事で確認して欲しい。
次に「血が祭壇に絞り出されると、piggul、nosar、tameiの為に有責になるが、me'ilahに従い続ける、灰の場所に着くまでは」について解説する。
先ほど述べたように鳥のolah(全焼の献げ物)は、鳥のchatatとは対照的に、血を祭壇に吹き付けることをしない。hazaahを行わない。トーラには次のように書かれている。
祭司はそれを祭壇にささげ、祭壇で燃やして煙にする。まずその首をもぎ取って、血を祭壇の側面に絞り出す。
ここで、血を「絞り出す(mitzui)」ことは、家畜の献げ物における「zerikah(献血)」や、鳥のchatatにおける「hazaah」に相当すると解釈されている。
従って、鳥のolahのmitzuiは血の奉仕の最終ステップであり、この時点で、その肉を食べる者はpiggul、nosar、またはtameiの責任を負うことになる。
karet(カレート)の罰と、me'ilahから免除されない法理的根拠
なお、olahの肉は食用ではなく、全て祭壇で焼かれるが、それにもかかわらず、piggulやnosarとなったその肉を食べた者、あるいは汚れた(tamei)状態でそれを食べた者は、karet(カレート)の罰を免れないことになる。
鳥のchatatは血の奉仕の完了によって肉の食用が許可され、それによってme'ilahから免除されるのに対し、鳥のolahの血の奉仕は、肉をそのme'ilahから免除しない。なぜなら、鳥のolahは(捨てられる餌袋などの部位を除き)そのすべてが祭壇で焼かれるため、祭司たちの「その時から食べてよい瞬間」が無いからである。
鳥のolahの肉をme'ilahから解放する唯一のものは、その全ての掟の完了である。鳥のolahに関わる全ての掟の実行を完了することによって、その肉は最早「神の聖なるもの(the holies of Hashem)」とは見なされなくなる。
具体的には鳥を完全に焼き尽くした後の、terumat hadeshen(テルマット・ハデシェン)を行うことによって達成される。
神殿における1日の最初の奉仕は、祭壇の灰を一部取り除き、祭壇の東側に置くことである。この時に鳥のolahはme'ilahから解放される。
terumat hadeshenについて復習したい方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Tamid(タミッド)』篇・逐条完全解説第3回:祭司の奉仕の順序と「灰(tapuach:タプアフ)」の神学的構造(1章4節~2章4節)
https://note.com/mishnah/n/n5774ea79964d
聖所内で血が扱われる「内側のchatat」(2章2節後半)
次節に進む。献げ物の中でも細かい点までの理解を要し、レベルが高いが、良い復習にもなるのでここでも扱う。
焼かれる雄牛、焼かれる雄山羊は聖別してからme'ilahに従う。一端shechitahをすると、それはtevul yom、mechussar kippurim 、時間の経過によって不適格になるものとなる。血が祭壇に振りかけられると、piggul、nosar、tameiの為に有責になるが、me'ilahに従い続ける、灰の場所で燃やされるまでは。
この箇所では「焼かれる雄牛」、「焼かれる雄山羊」に関する規定と、それらがme'ilahの対象となるタイミングについて書いている。
ミシュナ本文に入る前に「焼かれる雄牛」、「焼かれる雄山羊」とな何なのか解説する。
まず「焼かれる雄牛」の献げ物とは、贖罪の献げ物(chatat)の雄牛である。通常のchatatの雄牛については、zerikahの後、その肉は祭司のものとなる。
しかし以下の場合のchatatについては、事情が異なる。祭司はその肉を食べない。
「焼かれる雄牛」の定義:3つの免除されないケース
①Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)における、大祭司と祭司たちの贖罪の為の雄牛
レビ記16章に基づき、Yom Kippurに大祭司が自分自身と祭司の贖罪のために持参するもの。
②大祭司の為の雄牛(レビ4:1~12)
大祭司自身が誤った裁定を下し、重い罪が民にまで及んでしまった場合に献げるもの。「民に及んでしまった重い罪」とは、意識的に犯したのであれば、「民から断たれる」とトーラで書かれている罪である。
③会衆の過失のための雄牛(レビ4:13~21)
サンヘドリンが誤った裁定を下し、イスラエルの会衆の大部分がその裁定の結果として、意図的に犯したなら、karetになる罪を犯した場合に持参する雄牛である。
この3つのケースのchatatの血は、聖所の中に持ち運び、そこで用いる。そのemurinは祭壇で焼かれ、通常は祭司が食べる肉は灰捨て場(beit hadeshen:ベイト・ハデシェン)で焼かれる。
beit hadeshenの正確な場所については、ミシュナの中でも伝えられていない。2つの見解が示されていて、1つはエルサレムの北側、もう1つは東側であるとする。
いずれにしても「宿営の外」であり、神殿時代ではエルサレムの城壁の外になる。その場所で、これらの雄牛のchatatの肉は焼かれる。
鳥のolahの灰の場所(祭壇の東側)と、雄牛・雄山羊の灰の場所(宿営の外のbeit hadeshen)は物理的な場所こそ異なるが、『すべての掟が完了する場所』という意味において法理的な性質は共通している。
以上により、これらの雄牛のchatatの肉はすべて焼かれ、祭司に与えられる分け前は一切無い。
beit hadeshenについては、下の記事も参考にして欲しい。
◉贖罪の献げ物(chatat:ハッタート)の法理学(上):レビ記4章とミシュナ『Zevachim(ゼヴァヒーム)』に基づくkaret(カレート)と過失の祭儀的構造
https://note.com/mishnah/n/n1e55e2bb6e6f
「焼かれる雄山羊」の定義:偶像崇拝に関する過失の祭儀構造
次に「焼かれる雄山羊」について解説する。「焼かれる雄山羊」には次の2つがある。
①Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の雄山羊
Yom Kippurにイスラエルの民全体の贖罪のために献げる雄山羊(レビ記 16章参照)。
②偶像崇拝のための雄山羊
会衆全体の過失による偶像崇拝のために献げる雄山羊。
前述の「会衆の過失のための牛」と並行するケースであるが、偶像崇拝以外の罪についてのサンヘドリンの誤審に対して「雄牛」が規定されているのに対し、偶像崇拝に関する誤審についてはolahの雄牛と共に、chatatの雄山羊が規定されている。
トーラには次のように書かれている。
22あなたたちが過ちを犯し、主がモーセに告げられたこれらすべての命令を守らなかった場合、 23つまり、主が命じられた時以来、代々にわたってモーセを通してあなたたちに命じられたすべてのことを守らなかった場合、 24それが共同体の目に触れず、過ってなされたなら、共同体全体は若い雄牛一頭を焼き尽くす献げ物として主にささげる宥めの香りとし、これに加えて、定められたとおりに穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物をささげ、更に、雄山羊一匹を贖罪の献げ物としてささげる。
この箇所では「偶像崇拝」とは書かれていない。ただ「すべての命令を守らなかった場合」と書かれている。「すべての命令を守らなかった場合」とは、文字通りすべての律法を破った場合ではなく、「それ一つの違反でも、すべての律法を破ったに等しい掟を破ったこと」と解釈されている。それは偶像崇拝である。
「それ(偶像崇拝)が共同体の目に触れず、過ってなされたなら」とは、サンヘドリンの間違った裁定によって、過失によって偶像崇拝が犯されたことを表している。
この2つのケースのchatatの血は、聖所の中に持ち運び、そこで用いる。そのemurinは祭壇で焼かれ、通常は祭司が食べる肉は灰捨て場(beit hadeshen:ベイト・ハデシェン)で焼かれる。
以上により、これらの雄山羊のchatatの肉はすべて焼かれ、祭司に与えられる分け前は一切無い。
ここまで見たように、「焼かれる雄牛」、「焼かれる雄山羊」に関しては、祭司の食べる部分は無い。聖別された瞬間に、me'ilahの掟に従うことになる。
灰捨て場(beit hadeshen)における不適格化の共通法理
その後は「一端shechitahをすると、それはtevul yom、mechussar kippurim 、時間の経過によって不適格になるものとなる。血が祭壇に振りかけられると、piggul、nosar、tameiの為に有責になるが、me'ilahに従い続ける、灰の場所で燃やされるまでは」と書かれている。鳥の場合と同じであるので、ここでは解説を繰り返さない。
ただし、上記の通り、鳥のolahの灰の場所(terumat hadeshenにおいて灰を置く場所)と「焼かれる雄牛」、「焼かれる雄山羊」を焼く場所(beit hadeshen)が異なる点は、区別しなくてはならない。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Me'ilah』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8ab1e0588261
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
