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Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 8回目:レビ記16章およびミシュナ「Yoma」に基づく至聖所奉仕

*本稿は「ヨム・キップール(Yom Kippur:贖罪日)」の祭儀構造を、旧約聖書(トーラ)レビ記16章と、その実効的解釈を規定する口伝律法ミシュナ「Yoma(ヨマ)」篇の原典に基づき解明するシリーズである。

 大祭司による至聖所内での献香動作、および雄牛・雄山羊の血を「上方・下方」へ振りまく際の厳密な所作と、その回数を数える独自の数理的規定を詳述。日本語圏の曖昧な聖書理解を排し、律法の現場を原典から再構築する。


前回の振り返り:祭儀空間の動線と聖具の法規


 前回は以下の内容を確認した。

【1】祭壇スロープにおける動線の特異性

 通常、祭司たちが祭壇に上る際はスロープの右側(東側)を通り、下りる際は左側(西側)を通る。しかし、ヨム・キップールの当日に限り、大祭司はスロープの中央を通って上り下りすることが規定されている。

 ラビ・ユダは、大祭司は通年で中央を歩くとの見解を示している。

【2】手足の清めと「金の水指し」

 通常の奉仕では、大祭司は神殿と祭壇の間にある青銅製の洗盤で手足を洗うが、ヨム・キップールの日には、特別に「金の水差し」を用いて手足を清める。

 これについてもラビ・ユダは、大祭司は常に金のものを使うべきであると主張している。

【3】祭壇における薪の山(ma’arachah;マアラハー)の数

 祭壇に置かれる薪の山の数について、3人のラビの間で法理的な見解が分かれている。

①ラビ・メイル: 通常は4つだが、当日は至聖所での献香に使う炭を作るための山が加わり、5つになる。

②ラビ・ヨセ: 通常は3つで、当日は4つになる。

③ラビ・ユダ: 通常は2つで、当日は3つになる。

 いずれの見解においても、ヨム・キップールには至聖所奉仕のための特別な火床が1つ追加される。

【4】至聖所への進入プロトコルと非対面の歩法

 大祭司が「金のシャベル」と「kaf(カフ)」を手に至聖所へ入る際、動線が定められている。

 聖所と至聖所は1キュビットの間隔を空けた2枚のカーテンで仕切られている。大祭司は、南側(左)で折り返されている外側の幕から間に入り、幕の間を北側(右)まで歩く。

 至聖所側の幕の端(折り目の箇所)から至聖所に入った後、大祭司は契約の箱に顔を向けず、南側の壁面を見ながらカーテン沿に歩き、契約の箱の前に達するまで進む。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 7回目:レビ記16章及びミシュナ「Yoma」に基づく祭儀空間の動線と聖具の法規――金の水差し、薪の山の数、至聖所進入プロトコル

https://note.com/mishnah/n/n2da970f0cfa6

 今回はその続きである。

契約の箱の向きと「担ぎ棒の間に置く」シャベルの法理

 契約の箱まで来ると、大祭司はシャベルを2本の担ぎ棒の間に置く。香草を炭の上に載せ、至聖所は煙で満たされることになる。

(Yoma 5:1)

 最初の文章、「契約の箱まで来ると、大祭司はシャベルを2本の担ぎ棒の間に置く」については、下の図を参照して欲しい。

契約の箱の2本の担ぎ棒

 契約の箱の向きであるが、図のように聖所と至聖所に縦に向いている見解もあり、幕と平行に横に向いている見解もある。

 本節のミシュナに従うなら、図のように向いているのが自然であり、大祭司はこの担ぎ棒の間にシャベルを置く。その上には炭が置かれている。

 「香草を炭の上に載せ、至聖所は煙で満たされることになる」。大祭司は至聖所の中が煙で満たされるまで待つ。続きは次のように書かれている。

大祭司の「後ろ歩き」と聖所での「短い祈り」に込められた意図

 大祭司は後ろ歩きをして出て行き、聖所で短い祈りをする。ユダヤ人たちを怖がらせないように、祈りを長くしない。

(Yoma 5:1)

 「大祭司は後ろ歩きをして出て行き」とあるのは、契約の箱に背中を向けないように歩くことを言っている。

 「聖所で短い祈りをする」とは、至聖所の中から出て、聖所に戻ってから祈ることを指す。次のような祈りである。

 「主よ、わたしたちの先祖の神である方よ、来たるべき年において、あなたの民イスラエルがどこにいても、暑い時には雨を降らせ、王位がユダ族の中から取り去られることのないようにして下さい。そしてあなたの民イスラエルが他の国から生活の糧を得ることのないように。旅人たちの為の祈りを聞き入れないで下さい」

 「旅人たちの為の祈りを聞き入れないで下さい」とは、雨が降らないように祈るから。

 「ユダヤ人たちを怖がらせないように、祈りを長くしない」とは、至聖所の中で死んでいると心配させないようにである。

 サドカイ派の者たちが大祭司の務めをすることがあり、奉仕の仕方を正統な仕方で行わないことがあったが、そのような場合、至聖所で死ぬことは珍しくなかったとされる。

 次の節に移る。

雄牛の血の受領と至聖所への再進入プロトコル

 大祭司はかき混ぜている者から血を受け取り、至聖所に再び入る。先程立った場所に立ち、1回は上方に、7回は下方に血を振りまく。しかし振りまくにあたっては、贖いの座にも契約の箱にも狙わない。むしろ鞭を振るようにする。

(Yoma 5:3)

 「大祭司はかき混ぜている者から血を受け取り」とは、屠った雄牛の血が凝固しないように、かき混ぜる役割の祭司から受け取ることを言っている。

 それから「至聖所に再び入る」。雄牛の血を受け取った祭司は、再び至聖所に入る。「先程立った場所に立ち」とは、献香の時に立った場所である。

これは2本の竿の間になる。

 そこに立って契約の箱を狙うのだが、血が当たらなくてはならないというものではない。しかしその振り方には注意を要する。

「上方・下方」の動作定義と「1回プラスX回」の計数法


 「1回は上方に、7回は下方に血を振りまく」が誤解しやすい。

 「上方に」とは、手の甲を地面の方に向けて、下から上に動かして振りまく動作を指す。

 「下方に」とは、手のひらを地面に向けて上から下に振りまく動作を言っています。これは7回行う。

 このように数える。1回。1回プラス1回。1回プラス2回。1回プラス3回。1回プラス4回。1回プラス5回。1回プラス6回。1回プラス7回。
 それから彼は出てきて、祭器具を金のスタンドの上に置く。それは聖所の中にある。

(Yoma 5:3)

 数え方は「上向きの振りまき動作が1回+下向きの振りまき動作X回」という仕方で数える。

 血を合計で8回振りかけた後、大祭司は至聖所を出る。聖所に入ると、血の入った祭器具を金のスタンドに置く。

 この「金のスタンド」はトーラには書かれていないものである。

雄山羊の血の奉仕と聖所内「金のスタンド」を巡る法理的論争

 彼らは大祭司に雄山羊を連れて来る。大祭司はそれを屠り、祭器具で血を受ける。至聖所に入り、先程立った場所に立ち、1回は上方に、7回は下方に血を振りまく。しかし振りまくにあたっては、贖いの座にも契約の箱にも狙わない。むしろ鞭を振るようにする。

(Yoma 5:4)

 「彼らは大祭司に雄山羊を連れて来る」。聖所を出た大祭司は、祭壇の北側に行く。そこに祭司たちは雄山羊を連れて来る。

 大祭司は雄山羊を屠り、血を祭器具で受け、それを至聖所に持って行く。以下、雄牛の場合と同じように進める。

 つまり1回は下から上に、7回は上から下に振りまく。この時、特別に契約の箱を狙っては振りまかなくてよい。

 このように数える。1回。1回プラス1回。1回プラス2回。1回プラス3回。1回プラス4回。1回プラス5回。1回プラス6回。1回プラス7回。
 それから彼は出てきて、祭器具を金のスタンドの上に置く。それは聖所の中にある。

(Yoma 5:4)

 聖所に戻った後については、次のように書かれている。

 大祭司は出てきて祭器具を2番目のスタンドの上に置く。それは聖所の中にある。
 ラビ・ユダは言う、「そこには1つのスタンドしかない。大祭司は雄牛の血を取り、雄山羊の血を置く。」

(Yoma 5:4)

 最初に至聖所で振りまいた血は雄牛であった。その血はスタンドの上に置いたが、雄山羊の血は別のスタンドに置くことを言っている。

 これに対して、ラビ・ユダは、聖所の中には1つのスタンドしかないと主張する。彼が「大祭司は雄牛の血を取り、雄山羊の血を置く」とあるのは、スタンドの上の雄牛の血の入った器を取り、雄山羊の血を置くという事である。

 手に取った雄牛の血を、今度は聖所から幕に向かって振りかける。

 大祭司は外側から血を垂れ幕に向けて振りまく。1回は上方に、7回は下方に血を振りまく。しかし・・etc
 このように数える。・・etc 

(Yoma 5:4)

 その振りまき方、数え方については、至聖所における契約の箱に対するものと同じである。つまり1回は下から上に、7回は上から下に振りまく。

 トーラには次のように書かれている。

レビ記16章16節の解釈:聖所の垂れ幕に対する血の振り出し

 こうして彼は、イスラエルの人々のすべての罪による汚れと背きのゆえに、至聖所のために贖いの儀式を行う。彼は、人々のただ中にとどまり、さまざまの汚れにさらされている臨在の幕屋のためにも同じようにする。

(レビ16:16)。

 これは分かりにくい表現だが、噛み砕くと次のようになる。「大祭司は至聖所において贖いの儀式を行ったように、聖所においても行う。」

 次である。

 大祭司は雄山羊の血を取り、雄牛の血を置く。それから垂れ幕に向けて振りまく。1回は上方に、7回は下方に血を振りまく。しかし・・etc 

(Yoma 5:4)

 雄牛の血の次は、雄山羊の血である。その回数、振りかけ方、数え方は同じである。

 今回の解説は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉ 【シリーズ目次】ミシュナ『Yoma』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n7222129b891f


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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