『ドブネズミみたいに美しく』不登校の息子へ贈る、僕の青春。
断捨離で見つけた、39年前に放たれた音楽。
それが、不登校の息子と向き合う今の僕に、一番必要な答えをくれた。
青春時代を共にした音楽
誰にでも思い出の曲があるだろう。
年齢を重ねるごとに音楽を聴かなくなった。
最近の曲は本当に聴かない。
たまにAmazon Musicで軽く流すくらいで、どんな人が歌っているのかもあまり分かっていない。
結局、1990年代や2000年代の曲が、自分にとっての「よく聴く音楽」として流れている。
以前、家の片付けをして断捨離をしていたところ、昔聴いていたCD数百枚と、ポータブルMDプレーヤー、そして数十枚のMDが出てきた。
懐かしくなり聴こうと思ったが、30年近く前のもの。流石に壊れていて動かなかった。
しかし、CDはパソコンに読み込めば聴ける。
数枚選んで読み込んだCDこそ、僕が人生で一番聴いたアーティスト、「ザ・ブルーハーツ」だった。
僕が聴き始めた頃には既に解散していたが、中学3年の頃から聴き始め、就職してからも聴き続けた。
もちろん、その後のザ・ハイロウズも聴いていた。
一番好きな曲はと聞かれたら本当に迷う。
語り出せば長くなるので、他の曲はまたの機会に譲るとして、今どうしても伝えたい曲がある。
それは、『リンダリンダ』だ。
ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
ドブネズミみたいに誰よりもやさしい
ドブネズミみたいに何よりもあたたかく
愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ
写真には写らない「真の美しさ」
あえて「ドブネズミ」に例えるのは、そこに剥き出しの真実があるからだ。
ドブネズミの外見は汚く、負のイメージが強いかもしれない。
しかし、彼らは孤高であり、強くたくましく、自分の世界を保持しながら生き抜いている。たとえ世間から疎まれ、嫌われようが、お構いなく。
そんな姿の中にこそ、写真には写らない「真の美しさ」や「生き抜くための力強さ」が宿っているのではないか。
先日書いたオリンピックの記事にも通じるが、表に出ている華やかな世界の人たちだけが全てではない。
表面的な評価や見た目には映らない、ドブネズミのような強さ、温かさ、人間味こそが本当の「美しさ」である。
「人を見た目で判断するな」というメッセージがそこにはある。
扉の向こうの君へ
今、この曲を聴き返すと、不登校の息子を持つ親として、昔聴いていたのとは少しだけ違った感情が湧き起こった。
学校に行けない息子が、この「ドブネズミ」であると感じたのだ。
学校に行けなくても、勉強ができなくても、特技がなくても、表に出れなくても。
たとえ世間にどう映ろうと、君は、そのままで誰よりも美しく、何よりもあたたかい。
そんな素晴らしい歌を、どうしても子どもに聴かせたい。
今、僕はブルーハーツを、扉の閉まった息子の部屋にも聞こえるように、近所迷惑にならない程度の音量でヘビーローテーションしている。
この音楽が息子に届くかはわからない。
しかし、心に響くことだけは確かだ。
何でもいい。何かを感じて欲しい。
ブルーハーツは、いつだって理屈じゃないところで僕たちの魂を揺さぶってくる。
今、もしも君がどこかで立ち止まっているのなら、この歌を聴いてほしい。
ドブネズミみたいに美しく。
かっこ悪くたっていい、そのままの君で、生きていくだけだ。
