《光に吸われるとき、私は私に戻る》

◆1. 導入──光に吸われる
夜になると、街の光はやわらかく濁る。
商店街のシャッターは半分閉じ、
その隙間から流れ出す蛍光灯の白さは、どこか心細い。
そんな中で、ひとつだけ“異質な光”がある。
パチンコ屋の入口だ。
ガラス越しに、色のついた光が波のように揺れている。
海でも炎でもない。
もっと人工的で、もっと体温の高い光。
あれは呼ばれるのではない。
吸われるのだ。
光が揺れているのを見ると、
“もし今日勝てたら、全部使って帰ろう”
みたいな馬鹿なことを思う。
本当はそんな余裕なんてないくせに、
あの光の前では、なぜか財布の中身まで強気になる。
理由はあとづけで、
身体のほうが理由より先に動く。
ハンドルに触れる前から、
もう半分くらい私はあの空間に沈んでいる。
ここまで少し格好つけた文章を書いてしまったが、
実態はそんなドラマチックなものではない。
給料が入ればパチンコ屋に行き、
朝の並びで何百人もの中に混ざり、
待ち合わせまで数分あれば
とりあえずパチ屋の扉を押してしまう──
そんな“ただのおっさん”の話だ。
エッセイ風に見えるのは、
ほんのちょっと自分を良く見せたいだけである。
◆2. 過去の記憶──最初の日
初めてパチンコ屋に入った日のことは、
ずっと昔のくせに、妙に鮮明に覚えている。
誘われたわけでもない。
退屈だったわけでもない。
ただ、その日は
“行く理由もなければ、行かない理由もなかった”。
扉を押した瞬間、光が降ってくる。
音が押し寄せる。
空気が少し粘ついて、
床は、なぜかほんのり温かい。
「なんだこれは」と思った。
でも次の瞬間には、
どこか安心している自分もいた。
実家でも大学でも病院でもない、
誰の期待も背負わなくていい“無音の場所”。
(実際にはめちゃくちゃうるさいのに。)
あとでわかるが、
あの“期待されない感じ”が好きだったのだと思う。
◆3. 光と音と椅子と時間──異世界の宗教
パチンコ屋に入ると、
時間という概念がどこかに沈む。
あれは宗教に似ている。
祭壇の代わりに光があり、
説教の代わりに音があり、
祈りの代わりにハンドルがある。
座った瞬間、椅子がカプセルになる。
私は運ばれる乗客で、
操縦士は私ではなく光だ。
外来で使う思考は、まったく役に立たない。
むしろ邪魔になる。
医者という職業の中では
いつも“判断する側”に立っているけれど、
あの場所では判断しなくていい。
光と音が、全部を奪っていく。
それは自由で、
それは空虚で、
だからこそ、心のどこかをやさしく撫でてくる。
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この先は、
“医者である自分が、なぜ光に吸われるのか”という核心の話になります。
しんどい夜、
嬉しい日、
家族の顔、
背負ってきたもの、
降ろしてしまいたい荷物。
それらがどうしてパチンコという場所に結びつくのか。
私自身、長く気づけなかった答えです。
そして、これは完全に余談だけれど──
もし今日の記事の売り上げがあったら、
それはまあ……きれいに全部パチンコで消えます。
投げ銭のつもりで読んでくれたら嬉しいし、
「しうまいのパチンコ代になって消えるのか」と思うと、
少し笑えて、私も救われます。
*ただし、パチンコの勝ち方とか打ち方が載ってるわけではなく、本当にただ私の物語です。特定の機種とか好きな機種名とかそういうのも一切でません。
それでも良いという奇特な方が了承頂けましたら、よければ続きをどうぞ!
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