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大好きなバルセロナと、外尾悦郎さんの言葉に胸を打たれたので、感想などを残しておく。

どうも株式会社らっこ、みさきちです。
涼しくなってきて油断してたら風邪ひきそうだな、と思いながら実家でうぴを撫でテレビを見ていました。

実家に帰ったときは、わざとテレビを見るようにしています。
自分の家にいるとテレビがないので、普段入ってこない貴重な情報が入ってくるからいいのです。

私はエンタメから結構感化されるタイプで、いいもの観るとやっぱエンタメってサイコー!って一人でむふむふしてます。

私の実家では、いつも「博士ちゃん」がついているので、今日はそれを見ていました。博士ちゃんは本当に勉強にもなるし、心も揺さぶられるサイコーの番組や。
その前に林修先生のちゃんみなの録画も観てたんだけど、ノノガの切り取ったシーン再生されてるの観てまた泣きそうになってた(情緒)

今日観た神回で、外尾さんの言葉に心が揺さぶられたことを忘れたくないので、ここに記しておきます。



私とバルセロナ

「博士ちゃん」で今日やってたのは、私が大好きなバルセロナに芦田愛菜様と渡辺直美様が行っていた神回。

愛菜ちゃんたちが全然サグラダファミリアの中入らないことを愛おしくつっこまれてたけど、本当にサグラダファミリアは外観だけでも3時間は観れる。

シンプルに予約をナメてたから私は中を見学することは不可能だったんだけど、
私の後悔を元に「サグラダファミリアは2週間前には予約しないと入れないで。」と啓蒙活動をし、多くのAmigaを無事サグラダファミリアの中に送りこんだ。(盛る)

かわいい
iPhone15 pro maxの画質に感謝

そんなこんなでとっても人気のサグラダファミリアに足を運んだその日は、最初に駅に着いたときは曇っていたのに、ずーっと眺めてその造形の美しさに浸っていたら、徐々にすごく綺麗な青空に変わっていって、なんだかサグラダファミリアの神秘性と自分のLucky Girl💫っぷりを感じていた。

喉乾きすぎて
高級コーラS(円安)を飲みながら座って
サグラダファミリア鑑賞してた

なんなら中に入れなかったことも、「また来いよ😉」ってガウディが言ってくれてるみたいだった。
言ってないと思うけど言ったことにする。ロマンチストなので。
そしてまた絶対行くし、次は中に入るお。

ちなみにグエル公園も入れなかった。受付で「フランスから私たちは来たのよ!!!」って交渉してる三人組の女性がいたけど、むりそうだった。彼女たちが交渉してなければしょんぼりした顔で、「見るからにアジアのJaponという遠い国から来たんです、、、、」とかしようと思ってたが、さすがにシンプル自分が愚かなだけだからなと思って、当時の私は諦めて帰りのバスに乗った。
みんな、バルセロナに行くなら、行きたい有名なところは全て2週間前に予約や。そのうち1ヶ月前じゃないと取れなくなったりするのかな。

私は海外旅行は基本的にガイドブックを買わずに、住んでるみたいに散歩して過ごすっていうのが通例なんだけど、前回のスペイン旅行は空港まで送ってくれた元彼に勧められて、空港でギリガイドブックを買った。ガイドブック、すごいわ。ガイドブック観てなかったら、多分私スペインで観光地ほぼ行かずに終わってた。ありがとう、ガイドブック。ありがとう、親愛なる元彼。

でもそのガイドブックに載っていたお店のパエリアめっちゃ楽しみにしてたのにまじでしょっぱくて、おのよ、サービスリリース待ってる女がここにいるぞ。

また脱線しちゃった。博士ちゃんの話に戻ります。
今回の博士ちゃんで、通常通り、愛菜ちゃんもNAOMIさんも素敵で、ずっとかわいいなあ〜って観てたんだけど、後半で、サグラダファミリアの彫刻に携わっている外尾悦郎さんへのインタビューのシーンがあったんですね。

その外尾さんの言葉がとても素敵で、本当に胸を打たれた。

どれだけ興奮しながら喋っても許してくれるような親しい相手に向けて私がバルセロナについて説明するときには、

「人間は神の創造物とか言う説あるじゃん?で、なんかそれとかよくわかんなかったけど、本当に人間は神が生み出した存在なのかもしれないって思える場所。人間ってこんなに創造というものができるんだ!!!!✨✨✨✨って思える場所。絶対行ったほうがいい!!!」

って言ってるんだけど、

ガウディが率いてるのかカタルーニャが率いてるのか、多くの場合にガウディに代表されるバルセロナは、本当にクリエイティブが爆発してる造形に溢れまくっている街で、

嗚呼やっぱ人間っていうのは創造していかないといけない!

そういう気持ちに一瞬でさせてくれる場所なのだ。ここはひとつ、あえて漢字で書かせてください。

※ちなみに、ガウディはこう言っていた(らしい)。

La creación continúa incesantemente por mediación de los hombres; el hombre no crea: descubre … Por eso la originalidad consiste en volver al origen.
創造は人を媒介として絶え間なく続いている。人は創造するのではなく、発見するのだ。だからこそ、独創性とは起源へ立ち返ることにある。

サグラダファミリア内部には入ってないので、特に中に足を踏み入れた瞬間にそう思わせてくれたのは「カタルーニャ音楽堂(Palau de la Música Catalana)」と「カサバトリョ(Casa Batllo)」。

リュイス・ドメネク・イ・モンタネールによって設計されたカタルーニャ音楽堂
(なんかどうしても写真載せると暗くなってしまう、もっと明るい場所。)
撮るの激ムズ絶対直接観たほうがいいカサバトリョ
Mucha飾られてて私得すぎタア
(カサバトリョ)
入った瞬間、人間やらせてくれてありがとうございます。って言った。
(カタルーニャ音楽堂)
スケルトン デコ柱
はあ、、、
はあ、、、超えて「は?(すごすぎ)」

私はヨーロッパに行くたびに、美術館と教会散歩をしてきて、そのたびに
信仰と芸術と人間の凄さに感化されてきたんですけど、

なんていうかバルセロナは本当に「自由」で。見栄とかの崇めへのかっこよさじゃなくて、愛と楽しさのような「表現の自由」を感じさせられる場所だったんだよね。人間ってもっと自由で好きなだけ創作できて、っていうか。

自由の海や(?)

で、そんな私が大大大好きな芸術、そして創作活動の素晴らしさを何度でも思い出させてくれるバルセロナなんですけど、

地球のみんなが大好きな愛菜ちゃんという素晴らしい方がインタビュアーとして、外尾さんから素晴らしい言葉たちをが引き出されていましたので、引用して紹介させてください。

外尾さんの素敵な言葉たち。


「大切なことはね、今ある方法でしかものができない。ではなくて、もしも作りたい本当に大切な物があったら、それを作る方法がなくても、それを作るために方法を考える、それがガウディ」

「本当に作りたいものを、まず、夢を描こうじゃないか。方法があろうがなかろうが関係ない。方法を自分で作る、それが大切なこと」

「完成という言葉は、すこし考えた方がいい」

「すこしの勇気」と「善悪」
:まあこれは結局アンパンマンだよな、とも思わされましたし、
「善悪」という言葉をここで選んだ外尾さんの想いには、ロザリオの間の爆弾を持った男の子と、悪魔に金を渡される女の子の彫刻にも含まれている想いが重なっているのではないかなと思った。


ロザリオの間を重ねた質問のときに、愛菜ちゃんが外尾さんに「どうしてそんなにガウディの気持ちが汲み取れるんだろう?」って質問されていて、

ガウディを見ない。
「ガウディを見るのではなく、ガウディが見ている方向を見ることが、ガウディを理解するのに一番いい方法だった。」

そう仰っていたのが、私にはとても大切な言葉となった。
これなの。私たちがしていくことは、これなんです。そう深く心の中で頷きながら私はテレビを観ていた。(切り取った引用ではなく、みんなに必ず動画を観て欲しい)

大窓の職人の紋章について語られているシーンで、

「自分が表に出るために、この教会を作っているのではない。作ったものよりも、自分が表に出てしまったら、それは職人じゃない。職人というのは、作ったものが役に立つのが目的で、自分を売ることは目的じゃない。」

「今の時代には難しいことだけど」、と補足を加えられていたけど、私はできることならそういう職人でありたいと以前から思っていた。起業家として手段として自分を売らなきゃいけないときも多々あるのだと思うのだけど、私は本来、こういう職人みたいな起業家でありたいと強く思っている。

それの表現がうまくできなかったけど、外尾さんの「作ったものが役に立つのが目的で、自分を売ることは目的じゃない。」この言葉でもう一生言語化叶いますわ。尽力します。

▼ありがたいことにYoutubeでインタビューが観れるので、みんな観て。

( 2026.02.05追記 なんか見れなくなってる!!!)

魂が揺さぶられて人の名前を調べることってあまりないのだけど、気づいたら秒速で「外尾悦郎」さんの名前を調べていた。今日この言葉に出会えてよかったな。エンタメに限らないけど、そういった偶然に出会える機会があるからエンターテイメントは好きなんだよね。

やっぱり私、芸術が好き。


私が芸術を好きな理由は、芸術家の方々が今の自分ができる最大の力で、すべてのことに意味を持たせて表現してるところ。

絵も、音楽も、彫刻も、書も、デザインも、建築も、商業的なものも、そのほか様々な表現において、人が丹精というか、怒りや、喜びや、その人にしか見えない世界で、その人でしか持てない表現、その人だけが持っている精神的な感覚、物理的な感覚で作られているものって、本当に素敵じゃない????

現職で、建築作品に対する想いを建築家の方に教えてもらったとき、それが一番幸せな瞬間だった。あ〜もっとこの素敵な想いを世の中に届けたい!!そう思った。

だから、私は今取り掛かってる事業でも誰よりも想いを届けられるサービスを作る。そうしていきたいし、そうしてやるんだ。

私は芸術に正解はないと心から思っていて、だから義務教育の美術にたった5段階の評価つくのとか本当によくないと思ってるんだよね。マクロで見ても普通に損失じゃない?っておもう。宿命論し出すとどうしようもないけど。
この話し出すと長くなるからやめよう。

これ書いてて思ったけど、AIではやっぱAI一般化時代以前の意味での人間が担ってきた「芸術」は可能ではないと私は思った。表現というか、表面に出力することはできるし、AIが「筆」のような手段ですよ、という意味での、表現の一部を担う意味での芸術としては成り立つけど、怒りや悲しみ、喜びや感動が詰まっています。このような想いをこのような力を込めて表現しました。という丹精が篭った意味での芸術は、不可能ではないかなと思った。不可能というか、定義が異なってしまうというか。学習とかそういうことではなく、人間が担うからこその感動や共感を生む芸術なのではないかなと思った。

まあAIも神の創造物である人間が創造した自然的発生物ではあるんだけど。
人間の怒りがぶつけられたAIの怒りをAIが表現した作品は、人間の芸術なのかAIの芸術なのか(迷宮入りひとりごつ)

アンダーコンストラクション好きの私には、一番いい建物。
学生時代からなにかと建設中の絵が好きで撮ったりしてたことが多かったんだけど、
なんでだろうと思っていたら、"建設中"という人の努力と建物が完成に向かう過程の中に
人間の行為という自然の芸術性を感じていたのかも。


まあとにかく私は芸術が本当にだいすき!!!

人の心が乗った表現というものが本当に好きだし大切にしていきたい!!って気持ちに改めてさせてくれた博士ちゃんに今日も感謝でした。という、感想文です。

私は芸術家ではないし職人でもないけど、
起業家であり、同時に芸術家であり職人でありたいと実は思っている。

役に立つもの、つくっていくぞ!

自然と標識とアンダーコンストラクション
グエル邸から望むサグラダファミリア
また行くから待っててくれよな。



さっきの写真のキャプションで、完成に向かう。と書いたけど、建造物というのは、施工完了それ自体を完成と呼ぶ必要はなくて、人に使われて初めて完成というかはじまりというか。そしてその使う、活用するという人々の営みは常に変化し、完成というものはないわけで、そういうところにも「完成とは何か」と考え続けられる余地が残っているのだろうと思った。


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