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バドミントン部で県大会に出ていた私が、駅で立てなくなるまで|#しっかり者の限界

1. 月曜日の朝、駅のホームで足が止まった

中学も高校も、バドミントン部だった。ダブルスの前衛。
シャトルを追って、コートを走り回って、息が切れても「あと一歩」を出すのが当たり前。
県大会に出るくらいには体力に自信があったし、「根性」は技術と同じくらい大事だと思っていた。


社会人になっても、その感覚のまま走ってしまった。
疲れは「慣れるもの」、しんどさは「気合でねじ伏せるもの」。
自分の中の「強さ」の定義が、ずっと部活のままだった。

でも、ある月曜日の朝。
港区のマンションを出て、駅のホームに立った瞬間、身体のほうが先に止まった。

電車が滑り込む音。閉まりかけるドア。人の流れ。
頭では「乗らなきゃ」と分かっているのに、足が、動かない。
1ミリも。冗談みたいに。

怖い、悲しい、という感情すら遅れてくる。
ただ「何が起きてるのか分からない」という空白だけが、目の前の現実を押し広げていった。

「体力があるはずの私」が、駅で立ち尽くしている。
その事実だけが、やけに鮮明だった。


2. 「元気な私」という仮面を、脱ぎ方が分からなかった

前の職場では、営業やプロジェクト管理を任されていた。
周りからは「仕事ができる」「いつもポジティブ」と言われる。
私はそれに、きれいに合わせていった。

「しっかり者」でいなければならない。
「頼られる側」でいなければならない。
長女気質の私は、その役割を手放す方法を知らなかった。

不眠が続く。食欲が落ちる。朝が怖い。
上司のLINE通知が鳴るだけで、胃がきゅっと縮む。
身体はずっと、分かりやすいサインを出していた。

それでも私は、見ないふりをした。
見た瞬間、何かを変えなきゃいけなくなるから。

「私が抜けたら迷惑がかかる」
「これくらいで弱音を吐くのは、甘え」
「気合が足りないだけ」

そう言い聞かせることが、当時の私の「正解」だった。
しんどいのに、頑張れてしまう。
頑張れるからこそ、止まり方が分からない。

体育会系で培った体力は、私を助けるはずのものだった。
なのに皮肉なことに、限界を見えなくするフィルターにもなっていた。

「まだやれる」って言えるうちは、危ない。
本当に危ないのは、「まだやれる」と言いながら、毎日少しずつ削れていくときだ。


3. 「体力」と「心」は、別物だった

36歳のあの朝。駅で足が動かなくなって、ようやく理解した。

体力がある人ほど、限界まで走れてしまう。
走れてしまうから、「限界に近い」という実感が持てない。
結果、折れるまで止まれない。

「まさか自分が」
あの言葉が頭をよぎったのは、私が「強い側」にいたつもりだったからだ。

でも、心はもっと繊細だった。
体力がカバーできる範囲を、とっくに超えていた。
心が限界を迎えても、身体はしばらく動けてしまう。
だから、本人だけが気づけない。

足が動かなくなったのは、壊れる前に体が出した「強制終了」だった。
あのまま電車に乗っていたら、もっと深い場所まで沈んでいたかもしれない。

「止まること」は、逃げじゃない。
これ以上壊れないための、ぎりぎりの自己防衛だった。


4. 今日は、止まってしまった自分を許していい

もし今、駅のホームで足が動かない。
会社のトイレで吐き気に襲われる。
通知音ひとつで胸が詰まる。
そんな状態なら。

それはあなたが「弱い」からじゃない。
むしろ、強すぎる責任感で、自分を後回しにして走り続けてきた証拠だ。

体力がどれだけあっても、心は別物。
「まさか自分が」と思うような状態は、誰にでも起こりうる。
強かった人ほど、そのサインに気づくのが少し遅くなるだけ。

今日、止まってしまったのなら。
それは甘えじゃない。
壊れる前に、体があなたを止めてくれた。

無理に歩き出さなくていい。
「今日はこれでいい」と、自分に許可を出していい。

一回、深呼吸。
今は、何も決めなくていい。


#退職前の限界サイン #駅で動けない #まさか自分が #しっかり者の限界 #決めなくていい

私が「話さなくて済む仕組み」を知り、選択肢を整理した入口をここに置いておきます。


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ミサキ|元・限界OL/立て直し途中 温かいサポートをありがとうございます。いただいたお気持ちは、今まさに暗闇にいる方へ「光」を届ける活動に大切に使わせていただきます。