凡人が年収4000万円に到達するまでの全戦略
第1章:高校中退からの再スタート
偏差値68の進学校に入学したとき、僕は「ここで一気に突き抜けてやる」「東大に入ってやる」と本気で思っていた。
その勢いのまま高校1年の1学期は、平均点96点という学年トップの成績を叩き出した。2位と十数点差をつける圧勝だった。
ただ、そのピークは長く続かなかった。
猛烈な勉強を維持するのは想像以上に難しく、自分に課した勉強のスケジュールもこなせなくなってくると、少しずつモチベーションが削れていった。
成績の低下とともに授業への関心は薄れ、
学校に行く意味も見いだせなくなり、
深夜まで友達と遊び歩く生活に変わっていった。
勉強への情熱は跡形もなく消えていた。
1年の終わりには追試を受けるほど成績が落ち込み、
「あれ、いつの間にこんなところまで来たんだろう」と
ふと我に返る瞬間があった。
なんとか2年生に進級したものの、成績のことや家に帰らないことで、
両親や先生との衝突が増えた。
ある日、父との口論の勢いのまま「もう辞める」と言い放ち、
勢いそのままに退学届を出すことにしてしまった。
退学届を出した帰り道、春のまだ冷たい風が頬に当たった瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
“これで全部終わった”という解放感だけが残っていた。
翌朝、目が覚めた瞬間に“今日からニートだ”という現実がのしかかってきた。今日からもうどこにも行く場所がないことを実感した。
昨日の解放感は跡形もなく消えていた。
何かせねばと、とりあえず始めたのは、生協のアルバイト。
発泡スチロールの箱にビニール袋を装着する単純作業で、ベルトコンベアが止まれば詰まったビニールを取り除く。一日8時間ひたすらこれの繰り返し。
僕は発泡スチロールマシンの世話をしているのか、はたまた、マシンに使われているのだろうか、、、
延々と続く作業をしながら、「もしこのまま一生ここにいたら」と想像した瞬間、背筋が冷たくなった。
自分の将来に絶望しかけた。初めての逆境だった。
「高校卒業資格だけは取らないと、本当に終わる」
そう思い、中退者向けの学校に入り直すことを決めた。
一浪して大学に入るまでのリアル
中退者専用の学校に入学してみると、そこにいたのはヤンキー、いじめられっ子、怠惰な子たちばかりだった。
僕は自然と“怠惰グループ”に属し、友達はできたが、授業に真面目に出ることはほとんどなかった。
進級前だけ追試を頑張り、なんとか卒業資格を取ったものの、勉強への意欲は戻らない。
その頃は音楽にのめり込み、バンドでギターを担当していた。そして、この時期特有の根拠のない自信によって、なぜか自分はプロのミュージシャンになれると思い込んでいた。
しかし3年の終わりに腱鞘炎を発症し、ギターを弾けなくなったことで音楽の道は断念せざるを得なかった。
またしても将来に絶望した。
進路をどうするか考えたとき、両親の「大学だけは行ってほしい」という願いもあり、
「ほかにやりたいこともないし、とりあえず大学でも行っとくか」
という軽い気持ちで進学を決めた。
ただ、受験勉強は一切していなかったため、当然のように一浪が確定した。
予備校には入ったものの、すぐに通わなくなり、麻雀・パチンコ・ビリヤードに明け暮れる日々。
このままでは二浪コースだと気づいたのは、受験の2か月前だった。
焦りに背中を押され、独学で勉強を開始。
時間がなかったため、正攻法は捨てて効率のみに徹した。
過去問だけをひたすら繰り返し、間違え時だけテキストに戻るという戦略に切り替えたのだ。
結果、なんとかFラン大学に合格した。
Fランでも人生を変える方法
大学生活は体育会系サークルに入ったことで楽しかったが、先輩たちの就職状況は最悪だった。
氷河期の真っただ中で、内定が出ても苛烈な扱いを受ける中小企業の営業職や、今で言うブラック企業ばかり。
先輩たちが就活で苦しむ姿を見て
「このままでは自分も同じ未来になる」
と本気で恐怖した。
「もう将来に絶望するのは嫌だ」
そう感じていた頃、一本の映画が僕の人生を変えた。
『ショーシャンクの空に』。
無実の罪で投獄された主人公が、経理と金融の知識を武器に刑務所長に取り入り、最後は脱獄して人生を逆転させる物語だ。
その映画を見て、強烈に思った。
「専門知識は、どんな状況でも自分を助ける」
「専門知識さえあれば、凡人の自分でも社会で戦える」
そう確信した。
この確信が、後の人生を大きく変えることになる。
第2章:税理士資格を取るまでの“戦略”
なぜ税理士を選んだのか
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