上海事件が「絵葉書」になった頃
――昭和7年10月の空気
押入れに眠っていた一組の絵葉書集がある。
表紙には「上海事件絵葉書集」とある。
いわゆる上海事件――1932年(昭和7年)に起きた、満洲事変の延長線上に位置づけられる日中間の武力衝突である。ただし当時、日本国内ではこれを「戦争」とは呼ばず、「事件」という言葉で処理していた。(発行:偕行社)
この呼び方の違いは小さく見えて、実は大きい。

「戦争」ではない。
しかし兵士は送られ、銃声は鳴り、死傷者は出る。
それでもなお、「事件」と呼ばれ続ける。
現代でも、ロシアはウクライナに対する侵攻を「戦争」とは呼ばず、
「特別軍事作戦」と呼んでいる。
呼び方が違っても、行われていることは同じだ。
兵士が動き、都市が破壊され、人が死ぬ。
呼称を変えることで、現実の重さを和らげようとする。
その構図は、1932年の日本と、驚くほどよく似ている。
この曖昧さこそが、1930年代前半の日本社会の空気だったように思う。
上海事件とは何だったのか
1932年1月、上海で日本軍と中国軍が衝突する。
市街地を巻き込んだ戦闘となり、爆撃や砲撃も行われた。
同年5月、停戦協定が結ばれ、戦闘はひとまず終結する。
重要なのは、終結後も国内では「戦争が終わった」という感覚がほとんど共有されなかったという点だ。
代わりに広がっていくのは、
勇ましい戦況報道
皇軍の活躍
国威発揚的な物語
である。
戦争が「商品」になる
手元の絵葉書集には、
上陸する兵士
砲列
市街地の破壊
行軍風景
といった場面が描かれている。
写真ではなく、彩色された図版であることも特徴的だ。
これは単なる記念品ではない。
**戦争を「見せるためのメディア」**である。
戦争は新聞記事になるだけでなく、
ポスターになり、
絵葉書になり、
家庭に持ち帰られる。
こうして戦争は、日常生活の中へ静かに入り込んでいく。

昭和七年十月という時期
絵葉書集の封筒の裏には、手書きのメモが残されている。
昭和七年十月二日
第一小学校にて求む

戦闘が終わってから、数か月後。
つまりこの絵葉書集は、戦争が終わったあとに買われている。
ここが重要だ。
砲声が止んだあと、
戦争は「回想」や「記録」ではなく、
消費されるイメージとして流通し始める。
しかも入手場所は「小学校」。
子どもが学ぶ場所であり、
同時に当時は講演会や展示、頒布会などが行われる公共空間でもあった。
戦争の話題は、すでに学校という日常空間に入り込んでいた。
誰が買ったのか
このメモを書いた人物を特定することはできない。ただ、家に残されている他の資料の流れから考えると、私の祖父が購入した可能性が高い。
いずれにせよ、誰が買ったかよりも、
昭和七年の日本で、
ごく普通の若者が、
戦争を「絵葉書」として手にしていた
という事実がポイントになる。
紙が語るもの
この絵葉書集は、
英雄的な物語を語ってはいない。
ただ、
戦争が「事件」と呼ばれていたこと
戦争が「商品」になっていたこと
戦争が「学校」に持ち込まれていたこと
を、静かに示している。

押入れから出てきた紙切れは、
大きな歴史を語らない。

その代わりに当時の「普通の空気」を残している。
著作権について
本記事で紹介している絵葉書のうち、久保田金僊による図版については、作者の没年(1954年)から日本の著作権保護期間(死後70年)が満了していると考えられます。武藤夜舟作品については、著作権が存続している可能性があります。史料紹介および研究目的の範囲で掲載します。
また、掲載している画像はすべて、筆者所蔵の実物を筆者自身が撮影・スキャンしたものであり、画像データの作成者として©を表記しています。
