お弁当箱の中に
お弁当箱を開ける瞬間が、好きだった。
母のお弁当は今も昔も、私の元気の源だ。
高校に入学してからは毎日、母の作ったお弁当を持って通った。
周りもお弁当の子が多かったけれど、私ほど毎日ではなかった気がする。
高校生の頃は、お弁当のありがたみなんて、まるで分かっていなかった。
友人たちがコンビニの袋に入ったパンを食べているのを見て、羨ましいと思ったこともある。
母が作ってくれたお弁当が嫌だとか、美味しくないとか、そんな理由ではない。
コンビニのビニール袋は私にとって、なんだか憧れの存在だった。
食堂でご飯を食べる子も多かった。
そのころの私はひどく少食だった。
出されたご飯を完食する自信がなかった。
作ってくれた人を前に食べ残すのが嫌で、食堂のご飯を食べたことは一度もない。
私が三年生の時、母が入院することになった。
一ヶ月ほどの入院だった。
すでに進路が決まっていた私は、毎日のようにお見舞いに行った。
母が寂しかろうと、お昼に早退して行ったこともある。
実際には母は周りの入院患者と仲良くなり、それなりに楽しく過ごしていたようだった。
母がいない間のお弁当は、自分で作った。
朝が弱い私にとって、早起きしてお弁当を作るということは、想像以上に大変だった。
この時はじめて、お弁当のありがたみを知った。
私、ちゃんとお弁当を作っているよ。
早退してお見舞いに行った時、私は自作のお弁当を持参した。
母を安心させるために持って行ったそのお弁当の中身は、おにぎりが二つと、焼いたウインナー、卵焼き。
その質素なお弁当を見て、母がどう思ったのかは聞いたことがない。
ただその時は、褒めてくれたと思う。
母のお弁当は、大学に入学してからも、就職してからも続いた。
仕事で嫌なことが続いた時、
お弁当箱の上に、折りたたまれた紙が乗っていた。
開くと、たった一言。
「あと半日、頑張れ!」
その文字に励まされもし、泣かされもした。
結婚することになり、「お弁当作りも卒業やね」なんて話をした。
そこからしばらくは、夫と自分のお弁当を毎日作った。
再度、母のお弁当のすごさに気づかされる。
お弁当は、作る相手の好みはもちろん、どれくらい食べるのか、栄養は足りているか。
考えることが山ほどある。
そうやって頑張って作ったお弁当に、何の感想も言ってもらえなかったり、お弁当箱を自分で洗うどころか鞄から出すことさえしない。
そんな態度を取られた日には、「二度と作ってやるか!」と思ってしまう。
母もいろんな思いを抱えていたんだろうな、とその時気づいた。
いろいろあって、私はまた実家から仕事に行くことになった。
母は、「また毎日お弁当つくらなあかんのー?」
と、愚痴を言いながら、ずっと変わらず、私の元気の源を作り続けてくれている。
今日もきっと、お弁当箱の中に。
