【読書感想】「生殖記」を読んで
こんにちは。ドイツのミュンヘン在住miraです。
現在日本に一時帰国中です。
お越しいただきありがとうございます♪
少し前に話題になっていた朝井リョウさんの「生殖記」をやっと読めました〜。
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前代未聞(⁉︎)の語り手、とよく耳にしていましたが、正直タイトルからちょっとは予想ついてまして、まあほぼその通りって感じでしたね。でも、そこがある程度分かっていても面白かったです。
私は朝井リョウさんといえば、やっぱり「新進気鋭」という印象。この小説もまさにそのイメージ通りで、一風変わった語り手とともに、ジェンダーやセクシュアリティについて深く考えさせられました。
「正欲」では性癖マイノリティを取り上げていましたが、朝井さんは“普通”の枠組みからはみ出す人々のリアルに関心がある方なんでしょうか。
『生殖記』の主人公(?)達家尚成は同性愛者で、いわゆる性的マイノリティ。自分自身がこの世界に「しっくり」来ていないことを自覚しながらも、「擬態」しながら生きている。
この「擬態」という言葉の選び方が、なんとも朝井さんらしいなと思いました。社会に合わせて自分を“自然に”見せようとする姿勢って、多かれ少なかれ誰にもあることだと思います。ただ、性的マイノリティの場合、そこに“子を持てない”という現実が重なって、より強く社会から距離を取らされてしまう構造がある。
確かに、男と女という二つの性があるのは種の存続のため。でも、人間のように高度に進化した存在になった今、この二元論だけではもう語りきれない感情や関係性があると思います。種の保存が本能に組み込まれているとしても、それを上書きするような「感情」があるからこそ、同性愛という形が自然に現れるのかもしれません。
もしも、将来的に技術の進歩によって、どんな性の組み合わせでも生殖が可能になったとしたら——果たして、性的マイノリティの人々は今より生きやすくなるのでしょうか?
生殖という「壁」が取り払われたとしても、マジョリティの側にある「違い」への無理解や、「異質」なものを無意識に排除してしまう人間の性(さが)が残っている限り、根本的な生きづらさはなくならないのかもしれない。
でもそれでも、こうして“擬態”ではなく“本音”が語られる作品が世に出ることで、少しずつ何かが変わっていくのかもしれない。そんな希望を感じる読書体験でした。
こういった性の問題に興味があってもなくても、ぜひ読んでみてほしい一冊です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
またお会いしましょう♪Tschüss!
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