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会社員 幸ナシ子の回顧録|第25話 最終日

月曜日の朝。

私は、弁護士に作ってもらった文書を持って会社へ行った。

仕事が始まってすぐ、橘取締役へ渡した。

「これ、お願いします」

たぶん、それだけだったと思う。

伝えたいことは、すべて文書に書かれていた。

余計な説明をして、話を別の方向へ持っていかれたくなかった。

強い口調で何かを言われれば、また頭が動かなくなるかもしれない。

だから、必要なことだけを伝えた。

橘取締役が文書を受け取ると、私は自分の席へ戻った。

もちろん、緊張はしていた。

今ごろ、役職者たちはあの文書を読んでいる。

何を話しているのだろう。

そんなことが、何度も頭をよぎった。

それでも、仕事をしなくてよいとは思わなかった。

まだ、今日が最後の日になるとは決まっていない。

会社にいる間は、私はこの会社の社員だった。

だから、目の前の仕事を続けた。

しばらくして、会議室へ呼ばれた。

「ちょっと、会議室いい?」

誰に言われたのかは、もうはっきり覚えていない。

大原専務だったような気もする。

会議室には、杉山社長、大原専務、橘取締役がいた。

空気は静かだった。

怒っている様子はなく、必要なことだけを淡々と話すために集まったように見えた。

会社から伝えられたのは、

今日を最終出勤日とすること。

出勤するよう言われていた8月8日と8月16日は、出勤しなくてよいこと。

退職届は、メールで送ること。

会社から借りている衣類などは、郵送で返却すること。

私は、説明を聞きながらメモを取った。

あれほど曖昧だった退職の話が、短い時間の中で次々と決まっていった。

いつが最終出勤日なのか。

夏休み中も出勤しなければならないのか。

貸与品を、どう返せばよいのか。

それまで何も決まらなかったことが、弁護士の文書を出した途端に決まった。

慰謝料については、最後に、

「払わない」

と言われた。

会議は、10〜15分ほどだったと思う。

私の希望は、すでに文書に書かれていた。

会社も、それに対する回答だけを伝えた。

私は最後に、改めて口頭でお礼を言った。

そして会議室を出た。

その日が、私の最終出勤日になった。

朝、会社へ来た時には、今日が最後になるとは決まっていなかった。

それが午前中のうちに、突然、最後の日へ変わった。

でも、すぐに帰れるわけではなかった。

私は、そのまま定時まで働いた。

今日が最終日だからといって、仕事を途中で投げ出すつもりはなかった。

最後まで、きちんと仕事に向き合おうと思っていた。

それでも、少しみじめだった。

会社から辞めるように言われた。

うつ病の診断書も出た。

弁護士の文書によって、今日が最終出勤日だと決まった。

それでも私は、いつもと同じように自分の席へ座り、パソコンに向かっていた。

役職者たちも、設計士さんも、経理の人も、普段と変わらないように見えた。

この会社では、人が辞めることに慣れているのかもしれない。

役職者にとって私は、不要になった物を片づける程度の存在だったのだろうか。

そんなことまで考えた。

退職勧奨を受けた翌日から、私は少しずつ私物を片づけていた。

いらない物を処分した。

自分で買った工具は、挨拶を兼ねて職人さんたちへ渡した。

車に取り付けていたハンドルカバーだけは、回収するのを忘れた。

あとから郵送してもらい、欲しいと言ってくれた職人さんへ渡した。

職人さんへ挨拶をした時、こんなことを言われた。

「新人を取るくらいなら、少しでも仕事を覚えている幸ナシ子さんを残すべきだって、反論したほうがいい」

冗談だったのかもしれない。

私を励まそうとしてくれたのかもしれない。

でも、その言葉が切なかった。

私は強がって、

「それでは駄目みたいですね。私に問題があるんだと思います」

と答えていた。

あとになって録音を聞き、そんな会話をしていたことを思い出した。

突然、今日が最後になった。

お世話になった人たちへ、挨拶をしなければならないと思った。

直接会えない人には、電話をかけた。

これまで助けてもらったことへのお礼。

最後まで勤められなかったことへの謝罪。

それだけは、自分の言葉で伝えたかった。

昼休みになると、私は会社の外へ出た。

以前、社内で電話をして怒鳴られたことがあった。

それ以来、会社の中で電話をするのが怖かった。

グループ会社の不動産会社にいる東条社長へ電話をかけるため、公園へ向かった。

東条社長には、入社前からいろいろと助けてもらっていた。

給料の交渉をしてくれたこともあった。

困った時に助けてもらった記憶もあった。

そして、私をこの会社へ紹介してくれた川村さんの元上司でもあった。

最後まで勤めきれなかったことを謝りたかった。

これまでのお礼を、きちんと伝えたかった。

公園のベンチに座り、電話をかけた。

電話に出た東条社長は、すでに会社から一通りの話を聞いているようだった。

そして、私が挨拶を始めるより先に怒り出した。

「会社を訴えるつもりか!」

私は、炎天下の公園で、ただ頭を下げた。


※この物語は実体験をもとにしていますが、個人や団体の特定を防ぐため、登場人物名・社名・時期・一部状況を変更しています。
※記憶だけでなく、当時のメモ・書類・録音を見返しながら整理しています。
※内容には、職場でのハラスメント、メンタル不調、退職に関する話が含まれます。

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