対等な関係って、どういうことだろう
対等な関係でいたい、とずっと思っていました。
でも、対等ってどういうことか、うまく言葉にできなかった。
半分ずつ負担すること?
どちらかが追わない関係?
いつもフィフティフィフティ?
なんとなくイメージはあるのに、実際の関係の中でそれがどういう状態なのかが、ぼんやりしていました。
そして気づいたら、対等とは言えない関係の中にいた。
いつも自分ばかり合わせていた。
いつも相手のペースに乗っていた。
自分の意見を言う前に、相手がどう思うかを先に考えていた。
それが対等じゃないとわかっていても、どうすればいいのかがわからなかった。
今日は、対等な関係について、自分なりに考えてきたことを書いてみます。
こんなことはありませんか
いつも自分ばかり合わせている気がする。
相手のペースに乗ることが、当然になっている。
自分の意見や気持ちを出すと、気まずくなる気がして言えない。
関係の中で、追う側と追われる側が固定している。
対等でいたいのに、どうすれば対等になれるかわからない。
どれか心当たりがあるなら、この記事はきっとあなたにも関係があります。
対等な関係は、力関係が五分五分ということではありません。
もう少し別のことを指しています。
対等とは、感情と意見が等しく扱われること
対等な関係とは、お互いの感情や意見が等しく扱われることだと思っています。
半分ずつ費用を出すことでも、連絡の回数を揃えることでも、ない。
わたしが感じたことを、あなたが感じたことと同じくらい大事にしてもらえること。
わたしの意見を、あなたの意見と同じように扱ってもらえること。
それが、対等の中身だと思います。
逆に、対等でない関係では、どちらか一方の感情や意見が、もう一方のそれより軽く扱われます。
あなたの不安は大げさだ。
そんなことを気にするのは変だ。
わたしの方が正しい。
こういうことが続く関係では、片方の感情が常に下に置かれています。
それが続くと、自分の感覚に自信がなくなっていきます。
1. 追う側と追われる側が固定していないか
対等でない関係でよく起きるのが、追う側と追われる側の固定です。
いつも自分から連絡している。
いつも自分から会う提案をしている。
いつも相手の都合に合わせている。
このこと自体が、即座に対等でないとは言えません。
連絡が多い側・少ない側があっても、両方がそれで納得していれば、対等と言えることもあります。
問題は、固定していることに、どちらかが苦しさを感じているときです。
いつも自分ばかりと思いながら、でも言えないまま続けている。
相手のペースに合わせることが、不満になっている。
その苦しさがあるなら、関係の中に対等でない何かがあるサインです。
2. 意見が違うとき、どうなるかを見る
対等かどうかがわかりやすく出るのは、意見が違うときです。
意見が違うとき、どうなりますか。
お互いの意見を出して、話し合える。
一方がいつも引く。
一方の意見がいつも通る。
意見を言うと、雰囲気が悪くなる。
対等な関係では、意見が違うとき、どちらの考えも一度テーブルに乗ります。
結論がどちらかの意見に近くなっても、プロセスの中でお互いの考えが扱われる。
対等でない関係では、最初からどちらかの意見が通ることが決まっているような空気があります。
意見を言う前に、これを言ったら怒るかもしれないと思って引いてしまうなら、その関係の中に対等でない何かがあるかもしれません。
3. 感情の重さが、平等に扱われているか
対等な関係では、お互いの感情の重さが同じように扱われます。
相手が不安なときは、ちゃんと向き合う。 こちらが不安なときも、同じように向き合ってもらえる。
相手が傷ついたときは、気にかける。
こちらが傷ついたときも、同じように気にかけてもらえる。
これが崩れているとき、対等でない関係になっています。
相手の感情には敏感に反応するのに、こちらの感情は大げさと言われる。
相手の不満はすぐ解決しようとするのに、こちらの不満は後回しにされる。
感情の重さが平等に扱われていないとき、関係の中でどちらかが消耗していきます。
4. 「我慢している」と感じるのはどちらか
対等な関係かどうかを確認するとき、こう問いかけてみてください。
この関係の中で、我慢しているのはどちらか。
どちらも我慢していることがある関係と、いつも同じ側が我慢している関係は、全然違います。
いつも自分ばかり我慢していると感じているなら、関係の中に不均衡があるかもしれません。
ただ、ここで気をつけてほしいことがあります。
相手も我慢していることがあるかもしれない。
ただ、それを表に出していないだけかもしれない。
だから、我慢の量だけを比べるのではなく、我慢していることを伝えられる関係かどうかを見てみてください。
お互いが我慢していることを話せる関係は、対等に近い。
片方だけが我慢を抱えて、言えないまま続けている関係は、対等から遠い。
5. 対等は、最初からあるものではない
対等な関係は、最初からそうであるものではないと思っています。
関係を続けながら、少しずつつくっていくものです。
自分の意見を少しずつ出していく。
感じたことを少しずつ伝えていく。
我慢しすぎているときは、少しずつ言葉にしていく。
そのプロセスの中で、相手がどう受け取るかを見ながら、関係の形が決まっていきます。
最初から完璧に対等である必要はない。
ただ、対等に向かおうとする意志が、お互いにあるかどうかは大事なことだと思います。
片方だけが対等にしようとしていて、もう片方がそれを必要だと思っていないなら、関係はなかなか変わりません。
6. 対等でいるために、必要なこと
対等な関係でいるために、自分の側でできることがあります。
感じたことを、飲み込みすぎない。
意見が違うとき、引きすぎない。
我慢が溜まったとき、溜まったまま抱えない。
ただ、これは相手に勝とうとすることではありません。
自分の感情や意見を、この関係の中に置いていくことです。
置いてみたとき、それを相手がどう扱うか。
大事にしようとしてくれるか。 軽く扱われるか。
そこを見ることが、この関係が対等に向かえるかどうかを知るための方法だと思います。
わたしが対等でいられなかった理由
わたしが対等でいられなかったのは、対等であることより、関係を続けることを優先していたからでした。
意見を言って雰囲気が悪くなるより、合わせる方が楽だった。 我慢を伝えて関係が変わるより、このままの方が安心だった。
対等でない関係の中にいながら、その不均衡を見ないようにしていた。
でも、合わせ続けるほど、自分がどんどん小さくなっていく感覚がありました。
意見を言わないことが当然になって、感じたことを伝えないことが普通になって、いつのまにか自分が何を感じているのかもわからなくなっていった。
対等でないことに慣れていくことが、いちばん怖いことだったんだと、あとから気づきました。
対等な関係は、安心の土台になる
対等な関係の中にいると、恋愛の中での安心感がまったく違います。
意見を言っても大丈夫だという安心。
感じたことを伝えても受け取ってもらえるという安心。
我慢しすぎなくていいという安心。
その安心が、自分らしくいられることにつながっていく。
対等な関係をつくることは、相手に勝つことでも、自分を主張し続けることでもありません。
お互いの感情と意見が、同じ重さで扱われる場所をつくること。
それが、恋愛の中で自分を見失わないための、大事な土台になると思っています。
次は、「恋愛でいつも合わせる側になってしまう人へ」という話を書いてみたいと思います。
対等の話を受けて、具体的に「合わせる側」になってしまうとき、何が起きているのかの話です。
また読みにきてもらえたらうれしいです。
