支援職の闇と制度の遅れ──私が見た現場の現実と提言|大切にしている言葉|支援職|医療|福祉|教育|心理|対人支援|スーパービジョンの必要性

1. はじめに
福祉や心理、教育、医療など、支援という言葉に導かれるようにこの道を選んだ人たちの多くが、最初に抱くのはとても純粋な思い——誰かの力になりたい。支えたい。役に立ちたいしかし、その純粋な思いが時に支援者自身を傷つける落とし穴になることがある。
2. 価値観を変えた一言
私が学生の時の、実習指導の男性教授の言葉が今も忘れられない。
「自分が癒されるために、ご利用者さんがいるんじゃないぞ」
当時はその言葉の重みが全くピンと来なかった。むしろ内心、「何、言ってるのよ!そんなの当たり前でしょう?!」と反発すら感じたほどだ。しかし、現場に出て数年後、自分の経験を重ねる中でその言葉の意味がじわじわと身体に染みわたり、まるで時間差のボディーブローのように効いてきた。
3. 善意と献身の裏に潜む“投影”という罠
かつて、私のまわりにも、とても熱心で評価の高い支援職の人がいました。その人は、いつも誰かのために奔走し、周囲から熱心で能力がある支援者と評されていた。でもある時から、少しずつ、何かがずれていく感覚を覚えたのです。最初は、ちょっとした違和感でした。相手の言葉に、ほんの少しだけ過剰さが混じっているように感じた。役に立っていることがアイデンティティそのものになってしまっているような。そしていつしか、私との関係も、対等な友情というより、支援/被支援という構図に変化していったのです。後で分かったのは、その人が他者を助けることを通じて、実は自分自身の救済を試みていたのではないか、ということでした。助けたい、救いたい、役に立ちたいという気持ちは本物だったと思う。でもその根底には、「自分の痛みを見つめたくない」「自分の無力感を他者のケアで埋めたい」——そんな衝動があったのではないかと、今なら思います。
支援職にある投影というメカニズム。自分の痛みや不足感を、無意識のうちにクライエントや他者に映し出し、それを「助けること」で癒そうとする。本人には悪意がないどころか、「私は人のために生きている」と、心の底から信じている場合すらある。でも、その歪んだ善意が、結果的に他者をコントロールしようとしたり、「助けられない自分」に激しい怒りを向けたり、最終的には関係を破壊してしまうことすらあります。一番怖いのは、そうしたことが専門職としてのスキルや評価の影に隠れてしまい、誰からも指摘されず、支援の名のもとに延々と繰り返されてしまうことです。そして、それは私自身にも確かにあった。だからこそ感じた時間差ボディーブローだったのだ。
この章で伝えたかったのは、どんなに優れた支援者でも、自分の内面と向き合う作業を怠れば、その善意は他者にとって重荷になり得る、という現実です。私自身も、それを痛感した1人として、これは決して他人事ではないのです。
4. なぜこうした逸脱が見逃されるのか
海外、特にアメリカなどでは、支援職がスーパービジョン(SV)を制度的に義務づけられている。例えば、臨床心理士やソーシャルワーカー、カウンセラーは、州ごとに決められた研修時間やスーパービジョン時間をクリアしないと資格を取得・更新できない。これはまさに車の免許の更新のようなものであり、質の低い支援者は自然とふるいにかけられ、排除される仕組みとなっている。一方で日本は、スーパービジョンの制度化・義務化が非常に遅れており、多くの場合、現場任せで自己負担が強いられている。法的にスーパービジョンを義務付けている職種はほぼなく、国や自治体からの制度的支援も皆無に近い。
その結果、支援職の離職率が高いことへの根本的な対策が打てず、外国人労働者の安易な受け入れで“ごまかす”という最悪の悪手に陥っている。こうした問題の背景には、支援職の社会的評価の低さと、給与や待遇の不十分さもある。
支援者の待遇は低く、給与は資格に見合っておらず、休日も取りにくい過酷な現場が多い。心理的ケアの機会も乏しく、バーンアウト(燃え尽き)が深刻化している。それでも「助けたい」という純粋な思いがあるからこそ、多くの支援者が現場にとどまっている。
5. スーパービジョン制度の歴史と今後の展望
スーパービジョンは1960〜70年代にアメリカで重要性が認識され、1980年代から多くの州で資格取得・更新の必須条件となった。つまり、最低でも40〜50年かけて制度が成熟してきたのだ。日本が今から制度を作り始めれば、数十年後には支援職をしっかり守る環境ができる可能性がある。ただし、スーパービジョンの質も非常に重要である。
単に時間数を満たすだけではなく、倫理指導やバーンアウト防止策、個別ケースへの深いフォローアップが不可欠だ。質の高いスーパーバイザーの育成が追いついていない地域も多く、費用負担やアクセス面での格差も存在している。また、フリーランスや独立開業者は自分でスーパービジョンを確保しなければならず、経済的・時間的負担が大きい。
6. スーパービジョン制度の現在地と課題──支援職を守る仕組みの欠如
支援職を志す人は、最初からこういった逸脱を望んでこの道を選ぶわけではありません。しかし、過酷な現場や未処理の内面に気づけず、他者を助ける行為に自分の癒しを重ねてしまうリスクは誰にでもあります。そうした歪みを未然に防ぎ、支援者と利用者の両方を守るために必要なのがスーパービジョン(SV)制度です。
アメリカなどでは1960年代以降、臨床心理士やソーシャルワーカーがSVを受けることが法制度に組み込まれ、資格の取得や更新に不可欠なプロセスとなっています。SVは単なる技術指導にとどまらず、倫理的視点やメンタルケアを含む重要なサポートであり、支援者のバーンアウトや逸脱を防ぐ安全装置として機能しています。
ただし、SVの質も極めて重要です。形式的なチェックではなく、支援者の内面に寄り添えるスーパーバイザーが必要とされます。豊富な現場経験に加え、教育的・倫理的視点を持ち、上下関係にとらわれず対話を重ねられる力。そうした資質を持つ人材の育成は時間がかかり、制度の広がりを阻む壁にもなっています。
さらに、SVの費用やアクセスにも格差があり、特にフリーランスや個人開業の支援者は公的支援を得にくく、自己負担でSVを確保することが多くなります。結果として、SVを受けずに現場に出ざるを得ない人も少なくありません。本来なら、どんな雇用形態でも支援者である以上、守られるべき構造が必要です。
しかし日本では、SVの制度化は依然として大きく遅れており、法的に義務付けられた職種はほぼ存在せず、現場や個人の裁量に委ねられ、私的ネットワーク頼みのSVが主流で、公的な支援制度はほとんど整っていないというのが実情です。
支援職が心をすり減らしながら働いても、その苦しみを相談できる仕組みがない。感謝はされても、構造的に「守られてはいない」。SVは単なる技術向上の仕組みではなく、支援職が誠実に働き続けるための土壌であり、国としての整備が求められています。それは最終的に、社会の最も弱い立場の人々を守ることにもつながるのです。
📝【未来につながる一文】
「誰かの役に立ちたい」という想いを、本当に力に変えるには、まず支援者自身が守られ、育てられる土壌が必要なのです。
7. 私はなぜ現場を離れたのか、そして今
現場を離れた理由は、一つではありません。制度の限界、職場環境、自分自身の未熟さ……さまざまなことが重なっての決断でした。でも、「誰かの役に立ちたい」「苦しんでいる人に寄り添いたい」という思いが消えたわけではありません。むしろ、現場を離れて距離ができたからこそ、見えてきたこともたくさんありました。
支援職というのは、他者の人生の大切な場面に関わる仕事です。だからこそ、自分自身が満たされていないまま続けると、いつか心が枯れてしまう。そんな危うさも、あの頃の私は気づききれていなかった。支援者であり続けるためには、自分を見つめ、自分を大切にしながら、成長し続ける姿勢が必要だと思っています。それができない時、一度立ち止まることは決して逃げではなく、誠実さだと今は思えるようになりました。だから今、私は書くという形で声を届けています。直接ケアすることはできなくても、支援職の孤独や葛藤、制度の不備について言葉にすることで、間接的に現場を支えることができるのではないかと。
未来のことは、まだ分かりません。現場に戻る日が来るのかもしれないし、違う道を歩んでいくのかもしれない。けれど、そのどちらでもいい。私は今、自分の言葉で支援を続けていくと決めています。

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