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受け継がれた物語:樺太と二人の祖父|きおくをつなごう|樺太|引揚者|祖父母の思い出|家族の記憶|ルーツをたどる|戦争と暮らし|にしん漬け|写真で残す記憶

1章 祖父と祖父の兄の記憶

写真に写っているのは、
左が私の父方の祖父、右がその兄です。
祖父は背も高く、優しい人柄で、
女性にも、とてもモテたと聞きます。

孫の私が言うのもなんですが、
なかなかの良い男だったと思います。

左が私の父方の祖父。穏やかに笑ってます。背が高くて、ふっくらとした雰囲気で、色白の柔和な外見は歌舞伎役者さんみたいって言われたことも。右は祖父のお兄さんです。2人とも兵隊さんの服みたいなのを着てます。2人の間に立ってるのは、おそらく日本国旗でしょう。

祖父は樺太(現在のサハリン)で暮らし、
終戦後に赤ん坊だった父を連れて
日本に引き揚げてきました。

祖父から戦争のことを
直接聞いたことはありません。
でも、樺太での暮らしや仕事の話は、
祖父母やその兄弟姉妹たちから
何度も聞かせてもらいました。

2章 樺太での暮らしと受け継がれる味

祖父母の思い出話でよく出てきたのは、
豊かな海の幸のこと。
向こうでの仕事のこと。
特に、海の魚が大量に獲れた話は、
私の中で強く印象に残っています。

樺太から引き揚げてきたあと、
北海道で暮らしていた父方の祖父母は
にしんを使って作る「にしん漬け」が
毎年の冬の常備菜になったそうです。

祖父母が関東に移り住んだ後も、
その味は、私の母に受け継がれ、
時には私も手伝って
今も我が家で毎年作られています。

北海道と違い、関東は冬も温かく、
作るのが難しく、
北海道にいた時のようにいかないと
祖母がぼやいていたと
母から聞かされています。

にしん漬け。フリー素材で見つけた写真。我が家のにしん漬けはにんじんも入ります🥕

当時の祖父は王子製紙さんに勤めていて、
確か現地(樺太か北海道)でも
同じ仕事をしていたはずです。

そうした話は、祖父母や
おばさんたち(祖父母の兄弟姉妹)が
実家代わりに集まる我が家で、
何度も聞いたものでした。

3章 ドキュメンタリーとの出会い

私が幼い頃、
薬師丸ひろ子さんが出演した、
樺太に残った日本人女性たちを取材した
ドキュメンタリーを、
おばさんが録画してくれました。

本投稿を書くにあたって、
WEB検索して探してみたところ、
恐らく『樺太1954』という
ドキュメンタリーではないかと思います。

祖母はあまり興味がなかったのか
見ませんでしたが、私は何度も何度も
繰り返しその映像を見ました。

現地で暮らす女性たちの姿を見て、
もし祖母も日本に戻らなかったら、
私は生まれていなかったんだと
子ども心に感じたことを、
今でもはっきり覚えています。

それは私のルーツの1つを
疑似体験するような感覚。
子ども心に、それが
魂に触れる体験だったと、
今になって思い返すと、そう感じられます。

祖父母が持っていた写真集。『望郷 樺太』分厚くて大きくて扱いづらいので、私は一度も見たことがない。長年、父の本棚にあったけど、たぶん、他の家族、誰も見たことがないと思う。父が亡くなった後、盛大な遺品整理兼断捨離を実施。ホントはその時に廃棄しようと思ったけど。調べてみて稀覯本なのかなぁ?と思って、いったん、断捨離保留。活用できるなら、取っておいた方がいいかなと思った。

4章 つながる命と、これからの願い

私はまだ樺太を訪れたことがありません。
北方領土や政治的な問題がある
ことも知っていますが、
私が樺太に行ってみたいと思う理由は、
とてもシンプルです。

祖父母が懐かしそうに話してくれたあの土地を、
自分の目で見てみたい。
家族の歴史の一部として、
その場所に立ってみたい。

そんな思いを、
いつか叶えたいと願っています。

同じく父の本棚にあった『樺太 野田町慕情』と『樺太 野田町の想い出』こちらも厚いけど、『望郷 樺太』に比べるとまだ手に取りやすい大きさ。後で、こちらから見てみようかなと思う。

5章 母方の祖父との思い出

母方の祖父は、若い頃は
衛生兵として
太平洋戦争に従軍していました。

普段はとても朗らかで、
農家の人特有の、健康的で
よく日に焼けた笑顔が印象的な、
頼れるおじいちゃんでした。

幼い頃の私は、祖父から
戦争の話を聞いたことは
一度もありませんでした。

畑で採れた自慢の
ブドウやスモモなどをふるまい、
母(祖父にとっては末娘)と孫(私)が
喜んで食べるのを見て満足そうに、
自慢げに笑う笑顔が印象的な人でした。

そして必ず、自分の作った作物について
情熱的に語りだすのです。
私も母もその話を聞くのが好きでした。

戦後、祖父はブドウとスモモの農家をはじめました。たっぷりとした大粒の巨峰が祖父の自慢でした。私は甘味の濃厚な巨峰よりも、さっぱりした甲斐路やマスカットの方が好きです。

けれど、祖父が年を重ね、
身体に不安を覚えるようになった頃、
ある日から突然、横に座る幼い私に、
戦争の記憶を語りはじめました。

治療にあたった兵士たちの様子や
戦場の現実を、淡々と、
けれどリアルに話してくれたのです。

帰路の途中、母に
「おじいちゃんから戦争の話を聞いた」
と伝えると、母はとても驚いていました。
まさか祖父が、幼かった私に
そんな話をするとは思っていなかったようです。

具体的な内容はもうほとんど覚えていません。
けれど、祖父の表情や声の調子から、
長年、心の奥底に、押しとどめてきた記憶が、
年齢とともに溢れ出していることだけは、
子どもながらに感じました。

若く元気だった頃の祖父は、
生命力が勝っていて、
過去の記憶を思い出すことも
少なかったのでしょう。

でも、老いとともに
心の奥深くにしまってきた戦争の記憶が、
少しずつ表に現れてきたのだと思います。

6章  二人の祖父の物語

父方の祖父と母方の祖父は、
性格も生き方もまるで違っていました。
父方の祖父は穏やかで、
人に好かれる優しい人。

戦争の話は一切せず、
代わりに樺太での暮らしや仕事のことを、
懐かしそうに語ってくれました。

一方、母方の祖父は現実的で、芯の強い人。
裸一貫で大きな農園を作った
気骨のある人でした。
衛生兵として従軍した経験を、淡々と、
でも生々しく語るタイプでした。

幼い私にも、その違いは
はっきりと分かりました。
戦争という過去とどう向き合うかは、
人によってこんなにも違うんだ、と
子どもながらに感じていたのを覚えています。

7章 未来へ残したいもの

私の父は、赤ん坊の頃に
引き揚げてきたため、
樺太の記憶はありません。
その父も二年前に亡くなりました。

でも、祖父母から聞いた話、
受け継がれているにしん漬けの味、
そして古い写真集やこの一枚の写真が、
確かに私たちの家族のルーツを伝えてくれます。

私は、幼かったがゆえに、
二人の祖父の話をしっかり
記録に残すことができませんでした。
あのとき書き留めていれば、
もっと多くの物語を後世に伝えられたのに、
と悔やまれる気持ちがあります。

特に母方の祖父は、
「自分の自伝を書きたい」と話すほど、
伝えることへの思いが強い人でした。

だからこそ、孫である私が、こうして
わずかな記憶を頼りに文章を書き、
noteの公募にエントリーすることを、
きっと喜んでくれると思います。

これが、今の私にできる祖父たちへの
ささやかな恩返しであり、
記憶をつなぐ一歩なのです。

この物語が、同じように
家族の歴史を知る
誰かのきっかけになれば嬉しいです。

次回予告

最後までお読み下さり、
ありがとうございました。
明日は今朝見た夢の分析を載せる予定です。

夢分析を深めていく内に、
まさに、このきおくをつなごうの投稿に
連動してる夢だとついたから。

急いでまとめて何とか明日に
公開できるよう頑張ります♡

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