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第3章 災害は、社会の支え合いを問う——避難所で人が大切にされるために

熊本の震災について考える時、私の心に残っているのは、ニュースで見た被災地の様子だけではありません。

実際に支援に行かれた方の経験。
友人から聞いた話。
そして、今も復興が遅れている能登へ行った方の経験。

そうした一つひとつの話を聞くたびに、私は胸が痛みました。

災害は、ニュースの中だけの出来事ではありません。

そこに暮らしていた人たちの日常を、突然奪ってしまうものです。

安心して眠っていた家。
いつもの台所。
毎日通っていた道。
近所の人との何気ないあいさつ。

そうした当たり前の日常が、一瞬で変わってしまう。

その現実を思うと、災害とは、建物や道路だけでなく、人の心にも大きな傷を残すものなのだと感じます。

避難所で、人は本当に休めるのだろうか

避難所について考える時、私が特に心配になるのは、プライバシーが守られにくいことです。

安心して眠れない。
人の目が気になって、心も体も休まらない。
清潔を保つことが難しくなる。
体調の変化に気づきにくくなる。

避難所は、命を守るために必要な場所です。

でも同時に、そこで過ごす時間が長くなればなるほど、心と体が少しずつすり減っていく場所にもなり得るのだと思います。

看護師として考えると、避難所生活では、脱水、不眠、疲労がとても心配です。

水分を十分に取れないこと。
ゆっくり眠れないこと。
慣れない環境で、緊張が続くこと。

そうしたことが重なると、体力のある人でも少しずつ弱っていきます。

高齢の方、持病のある方、子ども、介護している方にとっては、なおさら大きな負担になると思います。

長いトンネルに入ったような絶望感

もし自分が避難所にいたら、何が一番つらいだろうと考えました。

私が感じるのは、長いトンネルに入ったような絶望感です。

いつ終わるのか分からない。
これからどうなるのか分からない。
安心して横になることも、深く息をつくこともできない。

リラックスできない空間に長くいることは、人の心をとても疲れさせるのだと思います。

災害のつらさは、壊れたものを片付けることだけではありません。

先が見えないこと。
安心できる場所がないこと。
自分の生活を、自分で整えられないこと。

その積み重ねが、人の心に重くのしかかるのだと思います。

物資だけではなく、安心して休める場所を

だから私は、災害時の支援には、物資だけではなく、ゆっくりくつろげる空間の提供が必要なのではないかと思いました。

もちろん、水や食べ物、生活用品は欠かせません。

けれど、それだけではなく、少しでも安心して座れる場所。
人目を気にせず休める時間。
自分の気持ちを話せる相手。
「大丈夫ですか」と声をかけてくれる人。

そうしたものも、人が生きていくためには必要なのだと思います。

寄り添うこと。
一緒にできることを行うこと。
その人の代わりにすべてを背負うのではなく、今できる小さなことを一緒に探すこと。

それは、災害時だけでなく、普段の支え合いにもつながっているように感じます。

実際に動く人たちの姿に、感謝と希望を感じた

実際に支援に行かれた方の写真を見せていただいたことがあります。

車に物資を積み込み、必要な場所へ届けようとしている姿でした。

その写真を見た時、災害支援は「誰かがやってくれること」ではなく、実際に誰かが動き、汗をかき、現地の状況を見ながら判断している働きなのだと感じました。

また、ある方からの連絡には、幸いにも人的被害はなかったものの、地域によって被害が大きく、ライフラインが止まり、不便を強いられている方々がいることが書かれていました。

教会に集まって聖餐を受けたいという声がある一方で、水汲みや片付け、物資など、必要な支援があれば皆で対応していくという言葉もありました。

その文章を読みながら、私は胸が熱くなりました。

災害の時、人はただ物資だけを必要としているのではないのだと思います。

水や食べ物、生活用品はもちろん必要です。

でも同時に、
「あなたのことを気にかけています」
「必要な助けがあれば伝えてください」
「一緒に支えます」
というつながりも、人を支える大切な力なのだと思いました。

その写真や連絡を見た時、私の中にあったのは、まず感謝でした。

大変な状況の中で、現地の人たちのために動いてくださる方がいること。
物資を運び、連絡を取り合い、必要な支援を考えてくださる方がいること。

その姿に、心から感謝の思いが湧きました。

同時に、希望も感じました。

災害によって、生活は大きく揺さぶられます。
水が止まり、片付けに追われ、不安の中で過ごす方々がいます。

けれど、その中でも、誰かのために動く人がいる。
「必要な助けがあれば伝えてください」と言えるつながりがある。
一人で抱えなくていいように、支え合おうとする人たちがいる。

そのことに、私は希望を感じました。

祈りは、行動へとつながっていく

教会やヘルピングハンズの支援を見て感じたのは、迅速に行動できることの大切さでした。

祈ることは大切です。

でも、祈りはそこで終わりではなく、誰かのために動く力にもなるのだと思います。

必要な物資を届ける。
状況を確認する。
連絡を取り合う。
できる人が、できる形で動く。

その姿に、私は信仰の一つの形を見たように感じました。

信仰は、心の中だけにあるものではなく、困っている人のところへ向かう足にもなる。
重い荷物を運ぶ手にもなる。
「大丈夫ですか」と声をかける言葉にもなる。

そう考えた時、助け合いは、平和をつくる小さな実践なのだと思いました。

平和とは、何も起きないことだけではない

平和とは、何も起きないことだけではないのかもしれません。

大変なことが起きた時にも、
「あなたを見捨てません」
「一緒に支えます」
と言える人と人とのつながりがあること。

そこにも、平和の小さな形があるのだと思います。

戦争がないこと。
争いがないこと。
それももちろん大切です。

でも、災害の時に弱い立場の人が置き去りにされないこと。
高齢の方や子ども、病気のある方、介護している方が大切にされること。
支える人も、支えられる仕組みがあること。

それもまた、平和な社会に必要なことなのだと思います。

平和とは、災害の時にも、人が人として大切にされる社会をつくること。

そして、弱い立場の人が置き去りにされず、
「あなたを見捨てません」
と言えるつながりがあること。

私はそう感じています。

できることを、できる時に、できるところから

大きな災害を前にすると、自分にできることは小さいと感じます。

すべてを解決することはできません。
すぐに復興を進める力も、私一人にはありません。

けれど、何もできないわけではないと思います。

関心を持ち続けること。
祈ること。
必要な支援を知ること。
できる範囲で協力すること。
身近な地域で、普段から支え合える関係を育てること。

そして、目の前にいる人に、
「大丈夫ですか」
「一緒に考えましょう」
「あなたのことを気にかけています」
と伝えること。

それも、平和を創り出す一歩なのだと思います。

災害は、社会の支え合いを問います。

その時に、誰かが置き去りにされないように。
苦しんでいる人が、ひとりぼっちにならないように。
支える人も、支えられるように。

できることを、できる時に、できるところから。

私は、そんな小さな助け合いを大切にしながら、平和を創り出す人になりたいと思います。

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