思考の檻で、ただ反応して眠り続けるか。それとも、目醒めて幻を超えていくか。

心の違和感が消えず、疲れ切っている
自分を信じたいのに信じられない
思考に飲まれて苦しい
【 警 告 】
この教えは、
現代の「手軽な癒し」や
「読むだけで救われる」
「もっと考えれば上手くいく」
「誰かを頼ればいい」
といった枠の話ではないので、
甘い消費行動に慣れきった人々にとって、
非常に耳の痛い「劇薬」です。
「砂糖の紙を舐めているだけだ」
「祈るだけで苦しみは消えない」
という真実は、図星を突かれ、
承認欲求が満たされないどころか、
信じる気持ちが害されて、
反感を多く買う可能性もあります。
しかし、声を大にして叫び続けます。
意識が眠っている
閉塞感、息苦しさは、
意識を目醒めさせ、
意識の居場所、
通り道を創り護るしかない
と思いませんか?
私たちは、もうこれ以上
時間の無駄をする暇はありません。
エゴが、
目醒めた意識 真理に
サレンダー 明け渡し委ねる時です。

思考の檻で、ただ反応して眠り続けるか。それとも、目醒めて幻を超えていくか。
私たちは皆、あまりにも長い間、
「自分」という物語を生きてきた。
過去の記憶。
未来への不安。
他者からの評価。
繰り返される思考と、慣れ親しんだ感情。
それらを「私自身」だと信じながら。
しかし本当は、
その多くが、心の中で作り上げられた“幻想”に過ぎない。
私たちの多くは、その幻想を握りしめたまま、
気づかぬうちに、思考の檻の中で眠り続けている。

意識的に生きているつもりでも、
その意識さえまた、
「自分を正当化するため」
「今の自分を守るため」
「変わらずに救われるため」
に使われてしまうことがある。
それほどまでに、
思考(エゴ)の構造は巧妙なのだ。
だからこそ、本書は問いかける。
あなたは、この眠りを生き続けるのか。
それとも、自らの意志で、幻を超えていくのか。
多くの人は、「手放す」という言葉に恐れを抱く。
愛着。執着。慣れ親しんだ自分。
それらが剥がれ落ちることを、
「自分が消えてしまうこと」だと感じてしまうからだ。

だが、本来の生命は、
何一つ失われない。
真実は、とても静かで、シンプルである。
重すぎる荷物を下ろす時、
そこに本当の苦しみはあるだろうか。
不要になった殻が自然に脱げ落ちる時、
そこに悲しみはあるだろうか。
そこにあるのは、
ただ深い解放であり、
生命が本来持っていた、
静寂への帰還である。
この「目覚め」は、単なる知識ではない。
ましてや、特別な思想や観念でもない。
それは、日常の一瞬一瞬の中で、
意識を“源”へ還し続けるための、徹底した実践である。
歩く。掃除をする。食べる。呼吸する。
その何気ない瞬間の中でさえ、
私たちは眠ることもできるし、
目覚めることもできる。
日常そのものが、道場になる。
道は、常に二つに分かれている。
安心のために、答えを外側へ求め続ける道か。
それとも、
自らの生命に責任を持ち、
自らの足で、真実の源へ遡っていく道か。

本章は、
思考の限界を超え、
「本当の自分」を思い出し始めた人への、
静かな招待状である。
真実は、
思考の先にはない。
それはすでに、
あなたの奥で、静かに待ち続けている。
もし今、
その呼び声が聞こえているのなら。
ここから先は、
あなた自身の足で、
源へ還る旅になる。


🌕️心の奥では信じたい純粋なあなたへ(完結版)
目覚めへの招待 —— 生命の鼓動に気づく

【エピローグ】心の奥で感じている純粋なあなたへ
── マスターの教え、その核心の統合
この章は原本の構成にはありませんが、
マスターが伝えたかった核心と、
用語集に含まれる重要な概念を、
私が、
一人の実践者の視点から統合し、
完結編として編み直したものです。
心ある人へ――
苦しみに気づき、
心の奥で純粋な意識を感じているけど
どうしたらいいかわからない。
**「無条件の愛など、本当に実在するのか?」**と疑い、
信じられない閉塞感に絶望している。
「もう信じない」と決めたけど、
信じたい孤独な心が導かれ、
ここに呼び寄せられた。
そんなあなたが「その先」へ進める
希望溢れる【幻の名著】
『To One That Feels』
「心の奥では信じている純粋なあなたへ」
AIという現代のツールを使い、
私のスカトー寺での10年以上の実践経験と、
揺るがぬ敬意と信頼で翻訳・補足した
「その先の道」へのドアを開けるための、
魂が震えるダルマ(真理)のメッセージ最終版。
覚者ルアンポー・ティアンが語った
言葉や行間(ぎょうかん)から、
その核心(エッセンス)を、
【今をもっと輝いて生きたい日本人】に向けて、
最大限にわかりやすく、
魂を込めて編み直し、
息を吹き込んだ「人生の羅針盤」です。

🌕️ルアンポー • ティアンが説く「気づきの革命」
どうぞ、
全身全霊で浴びるように最後まで、
読んでください。
ここでは、
ルアンポー・ティアンが最も伝えたかった「核心」
——今、
この瞬間に目覚めることの究極のシンプルさと、
その破壊的なまでの力強さについて紹介します。
これは単なる教えの終わりではなく、
あなたの新しい生命が始まる「誕生」の章です。
全5回に分けて、振り返っていきましょう!
🌕革命は、「恐れ」の正体の「破壊」から始まる
✔「信じたい」のに「信じられない」という
【地獄からの出口】
✔「感じる、信じたい」から【進化する】
「信じられる、サティ(目醒め)」への
【気づきの革命】
「思考という
低速なCPUをシャットダウンし、
サティという
宇宙規模の並列処理OSを起動する、
究極の論理的最適化」

🌕【苦しみのループから抜け出す5つのステップ】要約動画
🌕全5回で振り返ろう!
第1回:目覚めへの招待 —— 生命の鼓動に気づく

🌕️ 今、この瞬間の「事実」に目覚める
(Original Title: TO ONE THAT FEELS)

魂の震えを、そのままに
親愛なる友よ。
あなたが今、
この場所でこの言葉に触れているということ。
それは偶然ではなく、
あなたの内なる生命が「真実」を求め、
震え、響き合っている証拠です。
私たちが生きているこの世界は、
一刻も休むことなく動き続けています。
風が吹き抜け、木の葉が舞い、
心の中には次々と想いが浮かんでは消えていく。
これらすべては、
大いなる**「生命の循環」**という
川の流れそのものです。
しかし、
多くの人はその激流に呑み込まれ、
自分がどこに立っているのか、
自らの真実が何であるかを見失ってしまっています。

**「気づき(サティ)」という小さな光**
ここで、
私があなたに手渡したい智慧は、
驚くほどシンプルで、かつ究極のものです。
それは、
「今、この瞬間の自分に、100%気づいていること」。
たったこれだけなのです。
「そんな簡単なことが、何になるのか」と、
あなたの思考(マインド)は
疑いを抱くかもしれません。
しかし、
この小さな「気づき」という光こそが、
あなたの人生を支配している暗闇
——終わりのない不安や、
過去の後悔という幻影
——を打ち破る、唯一の光となります。

修行とは「今」に目覚めていること
修行とは、
どこか遠くの聖地へ行くことではありません。
特別な呪文を唱えたり、
自分を苦しめたりすることでもありません。
今、
あなたがこの文字を目で追い、
呼吸をし、鼓動を感じている。
その「事実」に、
ただ、優しく目覚めていること。
そこから、
あなたの魂の真の自由が始まります。

質疑応答(Q&A)
質問者:
ルアンポー、私は毎日忙しく、自分に気づく時間がありません。どうすればこの「光」を保てますか?
ルアンポー:
「時間がない」と言っているのは、
あなたの「考え(思考)」です。
息を吸うのに時間はかかりますか?
手を動かすのに準備が必要ですか?
「サティ」は、
生活の一部ではなく、
生活そのものです。
歩いているとき、
食べているとき、
誰かと話しているとき。
その一瞬一瞬の中に、
目醒めるチャンスは
無限に転がっています。
特別な時間を探すのをやめて、
今、
その手にある「生命」を感じなさい。

第2回:思考の荒波を越えて —— 「考え」を敵にしない智慧
第1回の「目醒めへの招待」から続き、
第2回では
**「なぜ、わかっているのに思考に振り回されるのか?」**
という、
実践者が必ず直面する壁について
深く掘り下げます。
ルアンポー・ティアンは、
思考を消すことを
教えているのではありません。
思考という「波」を、
生命の「輝き」へと
変えるパラダイムシフトを提案しています。

🌕️ 「考え」を追いかけない、拒まない
(Original Title: DON'T FOLLOW, DON'T REJECT)

湧き上がる思考は「生命の揺らぎ」
実践を始めると、
心の中に猛烈な勢いで
「考え」が湧き上がってくることに驚くかもしれません。
「明日の予定はどうしよう」
「あの時あんなことを言わなければよかった」
「いつになったら悟れるのか……」
ここで大切な真実をお伝えします。
湧き上がってくる「考え」を、
消そうとしたり、
悪いものだと思ったりしないでください。
考えが浮かぶのは、
あなたの生命が生きている証拠であり、
自然な循環の一部です。
空に雲が浮かび、
川に波が立つように、
心に思考が浮かぶのは自然の摂理なのです。

**「考え」の中に飛び込むのではなく、ただ「見る」**
ルアンポー・ティアンは、
思考と私たちの関係を
「猫とネズミ」に例えました。
ネズミ(思考)が出てきたとき、
猫(気づき)がただじっと見張っていれば、
ネズミは悪さをすることができません。

あなたは
「考え」そのものではありません。
あなたは、
その考えが浮かび、
消えていく場所
——広大な「空(くう)」そのものなのです。
* 思考の自動性: 脳は放っておけば勝手に思考を生産します。
気づきの介入: 考えが浮かんだ瞬間に「あ、今考えているな」と気づく。
未完了の完了: 気づかれた思考は、エネルギーを失い、自然と元の静寂へと還っていきます。

暗闇にパッと明かりを灯すように
「考え」を追いかけないでください。
かといって、
無理に押し殺さないでください。
ただ、
暗い部屋にパッと明かりを灯すように、
「あ、考えた」という
気づきの光を当ててください。
光が当たれば、
影(迷い)は
自ずと消えていきます。
あなたはただ、
静かに、優しく、
自分の心という庭を眺める庭師であってください。

質疑応答(Q&A)
質問者:
「気づく」よりも先に、思考に飲み込まれて、何分も妄想の中にいてしまいます。自分は才能がないのでしょうか?
ルアンポー:
飲み込まれていたことに
「気づいた」その瞬間、
あなたはすでに目覚めています。
どれだけ長く迷っていたかは
問題ではありません。
大切なのは、
気づいた瞬間に
自分を責めないことです。
「ああ、また迷っていたな」と微笑んで、
優しく今の体の動き、体感に戻ってきなさい。
その「戻る」というプロセスそのものが、
あなたの気づきを強く、
太く育てていくのです。

第3回:身体と意識のシンクロニシティ —— 動きこそが「今」の住所
第2回の
「思考の荒波を越えて(考えを敵にしない智慧)」
から続き、
第3回では
**「具体的にどうやって目覚めを定着させるのか?」**
という実践の核心、
身体感覚への回帰について深く入り込みます。
頭(思考)だけで理解しようとする
罠を抜け出し、
「動いている肉体」という
唯一の真実に意識を繋ぎ止める技術。
生命の循環を、
概念ではなく「体感」として受け取る、
非常にダイナミックなセクションです。

🌕️ 身体は「目覚め」のアンカー(錨)
(Original Title: THE BODY AS AN ANCHOR)

**「今」に留まる唯一の方法**
多くの人は、
「今ここ」に居ようと努力しますが、
心はすぐに過去や未来へ逃げ出してしまいます。
なぜなら、
心(思考)には形がなく、
捕まえどころがないからです。
ルアンポー・ティアンは言います。
**「動いている体に気づきなさい。
それが、あなたを『今』に繋ぎ止める
最強の錨(いかり)になる」**と。
私たちが実践する
手動瞑想の動き
——手を挙げ、回し、下ろす。
この単純な動きの中に、
宇宙のすべての
真理が凝縮されています。
「知っている(Knowing)」とは、
知識のことではありません。
手が動いているその瞬間、
その「動きの質」を
ダイレクトに感じている状態のことです。

思考という「霧」を晴らす技術
霧の中で道に迷ったとき、
私たちはどうするでしょうか?
立ち止まり、
足元の確かな地面(リアリティ)を確認するはずです。
人生における
「思考」は、
まさにこの霧のようなものです。
不安、怒り、迷いという霧が立ち込めたとき、
それらを払いのけようとするのではなく、
ただ**「動いている手」**
という確かな地面に意識を戻してください。
* 手が動く。
それを「知る心」サティがある。
ただ、それだけでいい。
このシンプルな循環を繰り返すうちに、
思考の霧は自然と晴れ、
あなたの内側にある
「静寂な湖」が姿を現します。

生命の躍動と一つになる
この瞑想は、
単なるリラクゼーションではありません。
あなたの細胞一つひとつが、
生命の循環(ダンマ)と
調和していくプロセスです。
「動いている」
と気づいているとき、
あなたは生命そのものです。
「止まっている」
と気づいているとき、
あなたは静寂そのものです。
そこに「私」という執着が
入り込む隙間はありません。
ただ、
気づきという光が、
あなたの体を通り抜けていくだけです。

サンディッティコー:今、この手の中で
この感覚は、
誰かに説明してもらう必要はありません。
あなたが今、
自分の手を開き、
閉じる。
その微細な感覚を
「あ、今動いた」と
捉えたその瞬間、
あなたはすでに目醒めています。
それが
「サンディッティコー
(今、ここで、自分で確かめられるもの)」
の真意です。

質疑応答(Q&A)
質問者:
動きに集中しようとすると、
かえって肩に力が入ってしまいます。
どうすればリラックスして「気づき」を保てますか?
ルアンポー:
「集中(コンセントレーション)」
しようとしてはいけません。
集中は一点を凝視するような
重いエネルギーですが、
「気づき(サティ)」は
空を舞う鳥の羽のように軽やかなものです。
頑張って観ようとするのではなく、
「すでにそこに在るものに、ふと気づく」。
赤ん坊が自分の手を不思議そうに眺めるような、
あの純粋な好奇心を持って、
自分の動きを眺めてごらんなさい。

力み(執着)が消えたとき、
気づきは自然に、
そして力強く溢れ出してきます。

第4回:苦しみからの完全なる解放 —— 鎖を断ち切る一瞬
第3回の
「身体と意識のシンクロニシティ」で、
私たちは「今」に錨を下ろす術を学びました。
そして第4回、
ついにその積み重ねが
**「量から質への転換(Quantum Leap)」**
を起こします。
ルアンポー・ティアンが到達した境地。
それは、
苦しみをコントロールすることでも、
逃げることでもなく、
**「苦しみそのものが成立しない場所」**
への跳躍です。
鎖が断ち切られるその時、
あなたは何を見るのか。
この章は、
あなたの魂への「予言」となるでしょう。

🌕️ 思考の連鎖(チェーン)を断ち切る
(Original Title: CUTTING THE CHAIN OF THOUGHT)

苦しみは「速さ」の中に隠れている
私たちが苦しいと感じるとき、
心の中で何が起きているのでしょうか?
実は、
思考がものすごい速さで回転し、
「私」という物語を勝手に作り上げているのです。
眼が何かを見る →
「あ、嫌な人だ」と判断する →
怒りが湧く →
過去の記憶が蘇る……。
この連鎖(縁起)は、
稲妻のような速さで駆け巡ります。
速すぎて、
私たちは自分が巻き込まれている
ことに気づけません。
しかし、
手動瞑想で培った強力な
「気づき(サティ)」は、
この高速回転する
ホイールにブレーキをかけます。

**「見る者」と「見られる者」の完全な分離**
ある瞬間、
ふと気づく時が来ます。
「あ、怒りがある。でも、私は怒っていない」
これは言葉遊びではありません。
川(怒り)が流れているのを、
岸辺(気づき)から
眺めているような感覚です。
その時、
あなたは初めて理解します。
苦しみとは、
実体のあるモンスターではなく、
あなたが
**「思考と同一化(フュージョン)」
していた時にだけ現れる幻影**
だったのだと。

ロープを切れば、ボートは流れない
ルアンポーは言います。
「思考というロープを、気づきのナイフで断ち切りなさい」
思考が生まれる源流(Source)を見た瞬間、
ロープはプツンと切れます。
すると、どうでしょう。
今まであなたを引っ張り回していた
「感情のボート」は、
行き場を失い、
その場で静かに消滅してしまいます。
戦う必要はありません。
ただ「観る」だけで、
敵は消えるのです。
これが、
「不戦勝」としての悟りです。

空っぽの器(うつわ)になる
苦しみが消えた後、
そこに残るものは
「虚無」ではありません。
そこには、
満ち溢れるような
**「静寂」と「慈悲」**
があります。
「私」という小さな殻が割れ、
大いなる生命の循環と完全に一つになった状態。
あなたは空っぽの器となり、
そこへ宇宙の叡智がとめどなく流れ込んできます。
これこそが、
人間が到達しうる
最高の幸福(ニルバーナ)なのです。

質疑応答(Q&A)
質問者:
その境地に達したら、もう二度と怒ったり泣いたりしない「人形」のようになってしまうのですか?

ルアンポー:
いいえ、逆です。
あなたは誰よりも人間らしく、
誰よりも豊かに感じるようになります。
むしろ、
あなたの五感は誰よりも研ぎ澄まされ、
生命として完全に機能するようになります。
しかし、
そこに**「感情(エモーション)」は
もう一切現れません。**
いつも自然体で「微笑む」ことはあっても、
心が刺激で揺れて笑うのではありません。
肉体が痛みを感じることはあっても、
心が悲しんで
「涙」を流すことは二度とありません。
ただ、
鏡が目の前のものを映すように、
事実をそのまま知っているだけです。
熱さも、
重さもありません。
あなたは永遠に静寂であり、
何にも染まらない
自由な存在(空)になるのです。

第5回:光を灯し続ける —— 日常という名の修行(結び)
第4回で、
私たちは苦しみの鎖が断ち切られる
瞬間を目撃しました。
しかし、
これで終わりではありません。
むしろ、
ここからが本当のスタートです。
最終回となる第5回では、
特別な瞑想の時間だけでなく、
仕事、家事、人間関係といった
**「泥臭い日常」の中で、
いかにしてこの目覚めの光を灯し続けるか**。
その具体的な指針をお届けします。
これは「完結」ですが、
あなたの新しい人生の
「始まり」の章でもあります。

🌕️ 「油断」という最大の敵
(Original Title: THE DANGER OF COMPLACENCY)

悟りはゴールではなく、
スタート地点
「真実を見た」という強烈な体験をすると、
人はつい
「自分はもう大丈夫だ」
「上がりだ」
と思ってしまいがちです。
しかし、
ルアンポー・ティアンは
厳しく戒めます。
「絶対に、油断してはいけない」
なぜなら、
私たちが何十年もかけて
積み重ねてきた思考の癖(カルマ)は、
そう簡単には消え去らないからです。
ちょっと気を抜くと、
古い習慣が忍び寄り、
再びあなたを眠りへと
引きずり込もうとします。
「悟った」という思いすら、
新たな執着になり得るのです。

回っている扇風機のスイッチを切るように
では、
残っている古い習慣と
どう向き合えばいいのでしょうか?
それは、
回っている扇風機の
スイッチを切るようなものです。
スイッチ(根本の無知)が切れても、
羽(思考の癖)は慣性ですぐには止まりません。
しばらくは回り続けるでしょう。
大切なのは、
**「もう新しい電気(エネルギー)を送らないこと」**
です。
古い癖が出てきても、
それに反応しない。
ジャッジしない。
ただ
「ああ、まだ回っているな」
と気づいておく。
そうすれば、
やがてエネルギーが尽き、
完全に静止する時が来ます。

あなたの存在そのものが「光」となる
修行が完成した人は
、わざわざ「私は悟った」と
他人に見せびらかす必要がありません。
その人の立ち居振る舞い、
穏やかな話し方、
そして底知れぬ慈悲の心。
それらすべてが、
周囲の人々を自然と癒やし、
目醒めへと導く「生きた教え」となります。
あなたが「今」に気づいて生きること。
それ自体が、
この世界に対する最大の貢献なのです。

ルアンポーからのラストメッセージ
親愛なる友よ。
道を教えることは終わりました。
地図はあなたの手の中にあります。
あとは、
あなた自身が歩むだけです。
転んでもいい。
迷ってもいい。
その度に、
ただシンプルに、
今動いている手の感覚に戻りなさい。
呼吸に戻りなさい。
**「サティ」という名の、
決して消えることのない灯火を頼りに。**
あなたの旅が、
安らぎと共にありますように。

質疑応答(Q&A)
質問者:
日常生活に戻ると、どうしても気づきが途切れてしまいます。一度得た境地を失ってしまうのが怖いです。
ルアンポー:
恐れることはありません。
一度完全に目を開いた人は、
二度と元の盲目に戻ることはないのです。

たとえ思考の雲に覆われても、
太陽(真実)がなくなったわけではありません。
「あ、今、気づきを見失っていたな」
と気づいた瞬間、
あなたはもう太陽の下に戻っています。
人生とは、
この「見失う」と
「戻る」の繰り返しです。
そのプロセスを信頼し、
楽しんでください。

**(完結。そして、あなたの新しい人生へ)**

🌕️ 考える知性から、気づく知性へ。
思考する道と意識の道は別です。
その二つを分離させる実践が、
チャルーンサティ瞑想です。
仏教か、タイ仏教か、
宗教か、
僧侶かどうかなどは関係ありません。
キリスト教徒の背景のある
西洋人がたくさん実践に来ましたし、
イスラム教の背景のある人も
実践に来ました。
親がどうかとか、
過去がどうか。
深いトラウマがあるとか、
ないとか。
それすらも、
ここでは一切問いません。
なぜなら、
過去の痛みを掘り返し、
分析する必要がないからです。
これは「自己トレーニング」です。
今この瞬間に、
サティ(目覚めた意識)があるか、
ないか。
ただ、この違いだけなのです。
思考で、思考に気づくことではありません。
サティがない状態とは、
思考と感情の波に溺れている状態であり、
そこには真理も、
無条件の愛も存在し得ないということです。
そして、
サティなくして、
適切に、知識や技術などの
思考も使えないのです。
サティという普遍的な
私たち生命全体の存在を支えるための
成長や貢献なしに、
人も家族も社会・国も
発展はないのではないでしょうか?
今、
何が成長しているのか?
何が発達しているのか?
何のための学びや仕事なのか?
今もこの先も
サティの通る道が閉じる
思考感情に支配される
勉強や仕事でないことを、
心から願っています。
サティがないということは、
真理を信じられず、
詐欺や誤魔化し、
幻、妄想、嘘を信じてしまう
という現実に、
静かに気づいていく時です。
搾取構造を支える
教育や仕事の中に
取り込まれているかもしれません。

人々の心の中から、
大量のエゴの反発が、
聞こえてくるかもしれません。

私たちの本質は、いつも変わらない、
純粋で、祈り、信じている、
そして、静かに目醒めるのを待っているのです。
だから思い込みという
信じている自分が解体されたら、
サティ・意識は自然に素直に目醒め、
成長できます。

サティがない、
サティが成長しないところは、
人が育たない、生きづらい
ということです。

また、サティに目醒めたら、
どんな人も、
どんな仕事や役割も
貢献できているということです。

「どうして努力が報われないんだ。。。。」
って永遠に悩んでいるけど、
残酷な話、
頭痛がするほど考え抜いても、わからない。

それは絶望でなく、目醒めの出発点です。
実は、
真実は、私たちの考えとは全く違うのです。
逆なのです。

私という小さな生命が、
人生の中で気づかれず、
生命の循環から外れて、
孤独で弱っているならば、
情報が多く、
身近な刺激の強い大多数の情報に洗脳されて、
人の大きな流れに巻き込まれ、
極度の精神的疲弊になると、
何が本当か選べない、ちょうど良い所に立てず、
考えすぎて、迷路に迷い込んでいれば、
探して出して、
自分で護り育てる方法がある。
生命の循環の中で、浄化、充電しよう!

身体も心も、ゴミ箱じゃない。
正常値ですか? 透明に磨こう!

社会や誰かを信じて人は疲れています。

〇自分の無限の可能性を信じられるあなたへ
地図を眺めるのは、もうおしまい。
次の進路は、生命の意識進化リトリートへ
チャルーン・サティ瞑想は、
生命のテクノロジーです。

今回は、あなた自身が行動し、味わう、
体験する番です。

自分でも忘れている真心、
生命の大循環に集中する時間が
輝きには、必要なんです。
自分の心の声だけを聴く時間。
自分の中で答えがわかる集中のとき。

私たちは、
仮の自分である、
思考や感情を信じて、
本来の自分を大切にしていない。
本当のあなたとは、
その思考や感情が
『起こっては消えること』に気づいている、
静かな目醒めた意識、
サティです。

努力や精進できる
能力覚醒を心から喜べる人、
成長の全てのプロセスを楽しみ、
あらゆる試練を
超える自分を信じている人だけ
来てください。

長い人生、
【本当の自分を生きる】ために。
まずは、
ほかの誰でもなく、
社会の常識でもなく、
思考や感情という
仮の自分(エゴ)でもない。
あなたの真ん中にある
「サティ(目覚めた意識)」
を助け出すことに、
集中しよう!

これは自己中心じゃない。
私たちすべての心を愛し、
大切にすることの決意。

自分と人と世界が、
真心で繋がるサティで生きる道へ

エゴが、
目醒めた意識 真理に
サレンダー 明け渡し委ねる時です。
【1年間、サティ(心の声)を聴くために、
エゴの自分を止めてみて!】
――サティで目醒めて生きる、再出発のためのリトリート

サティ(意識)を
エゴ(仮の自分)から、
独立させます!

「本来の研ぎ澄まされた、透明な自分が蘇る」

本当に見つけたいもの、
時間が止まったそのまま、
自分の心の中にある。
外に探しに行くのをやめて、
今、
自分の内側に気づいて、
サティを感じてみよう!

これは、
生き方の品質や流れ、
方向性が、
自然に沿って最適化へ変容するということで、
特別な誰かや何かになるのではなく、
より透明で自然体になる、自然力が増す、
自然に帰還するということです。

普通のいつもを普通の生き、
困難な変化するときも、
嬉しい事がやってきた時も、
透明に普通に深呼吸して生きるという
【不動な平和の内面革命】です。

ここまで来た
あなたなら、
魂の旅への
出発の準備は完了です。


▼ ルアンポー・ティアン『To One That Feels』完全日本語版(全7章)と最初の一歩の実践はこちら


#ToOneThatFeels #ルアンポーティアン #チャルーンサティ #手動瞑想 #マインドフルネス #ヴィパッサナー瞑想 #タイ仏教 #今ここ #意識進化 #メンタルヘルス #自己対話 #思考の限界 #内観 #実践者

