楽器が自己紹介する日 - MIDI 2.0は「解像度」の話だけじゃなかった
こんにちは、こんばんは、Minimal Order(ミニマル・オーダー)です。
2026年2月、(というちょっと前の話ですが)Microsoftが Windows 11に MIDI 2.0 のサポートを追加しました。これで macOS、iOS、Android に続いて主要OSの対応が出揃ったことになります。
仕様の採択から6年。MIDI 2.0に関するニュースをちらほら見るようになったのが、この記事を書き始めたきっかけです。
MIDI 2.0と聞くと「ベロシティが128段階から65,536段階になる」という解像度の話を思い浮かべる方が多いかもしれません。私もそうでした。でも調べていくうちに、それだけじゃないホットトピックがあると気づきました。
この記事では、MIDI 2.0の核心にある「機器同士が自己紹介し合い、設定を自動で合意する」仕組みに焦点を当てます。制作者の方には「設定の手間が消える未来」と「それによって何が失われうるか」を。音楽を聴く側の方には「なぜ打ち込みの音楽がじわじわ自然になっていくのか」を。ご共有します。規格の話ですが、その先にあるのは創造性と表現の問いです。
1983年、二人の男が決めた約束
1981年の夏。アメリカの楽器エンジニアDave Smith(Sequential Circuits社)と、日本のRoland創業者 梯郁太郎が、ある問題に頭を悩ませていました。当時のシンセサイザーは、メーカーが違えばまったく会話できない。RolandとYamahaをケーブルで繋いでも、互いの信号を理解できませんでした。楽器の世界に「共通語」が存在しなかったのです。
二人はメーカーの壁を越える共通規格を構想します。Smithが提案書を書き上げ、Kawai、Korg、Oberheim、Yamahaを交えた議論が日米で重ねられました。そして1983年1月、NAMMショー(楽器の国際展示会)で歴史的なデモが行われます。Roland Jupiter-6とSequential Prophet 600が、1本のケーブルで繋がり、一方の鍵盤を弾くと、もう一方が鳴る。異なるメーカーの楽器同士が初めて「会話」した瞬間でした。
これがMIDI(Musical Instrument Digital Interface)の誕生です。楽器同士の「共通語」。ただしこの共通語の語彙には制約がありました。音の強さ(ベロシティ)は0から127の128段階。チャンネルは16本。通信は一方向で、送った側は相手がその信号をどう理解したか確認できない。1983年の技術で、最大限にシンプルに設計された仕様です。
驚くべきは、この仕様が43年後の2026年に至るまで壊れなかったこと。(1)使用料がかからない、(2)後方互換性がある、(3)SysExという柔軟な拡張方式がある、(4)運営母体が非営利。この四つの条件が重なって、MIDIは「変わらなくていい」共通語であり続けました。裏を返せば、限界を抱えたまま誰も声を上げない状況でもあったわけです。
「127段階で足りない」は本当か?
MIDI 2.0の話題を調べると「ベロシティが65,536段階に拡張される」というフレーズが必ず出てきます。私もそこが一番のポイントだと思っていました。ところが、ひとつの研究論文がこの理解を揺さぶります。
カーネギーメロン大学の Roger Dannenberg が2006年に発表した「The Interpretation of MIDI Velocity」。商用シンセサイザー16機種を対象に、ベロシティ値が実際にどう音量に変換されるかを実測した論文です。
出典:Dannenberg論文
https://www.cs.cmu.edu/~rbd/papers/velocity-icmc2006.pdf
結果は明快でした。同じベロシティ64を送っても、機種によって出力音量がまるで違う。誤差は±10dBを超える場合もあった。10dBの差は、人間の耳にはおよそ2倍の音量差として聞こえます。同じ強さで弾いたはずなのに、音源を変えたら音量バランスが崩壊する。
しかも、人間が音量差を感じ取れる最小単位(弁別閾、JNDと呼ばれます)は約1dB。128段階の刻み幅は理論的にはそれより細かいので、「段階数が足りない」とは単純には言えません。
足りなかったのは段階数ではなく、段階の「意味」の統一でした。ベロシティ64が「中くらいの強さ」を意味する機器もあれば、「やや弱め」を意味する機器もある。同じ辞書の同じ単語を引いているのに、定義が違っていたというわけです。MIDI 2.0が本当に解決しようとしているのは、解像度ではなく、合意の不在です。
5つの柱、ひとことで言えば
MIDI 2.0の仕様は2020年1月に正式採択されました。5つの柱から成り立っていますが、全部を覚える必要はありません。「何が変わるのか」だけ要約します。
1) MIDI-CI
機器が繋がった瞬間に「私は何ができます、あなたは?」と互いの能力を確認し合う仕組み。相手がMIDI 2.0非対応なら、自動でMIDI 1.0に切り替わります。会話の前に、まず自己紹介。
2) Profile Configuration
「この接続ではピアノとして使います」と宣言すれば、ベロシティカーブもペダル応答も標準化されたピアノ用設定に自動合意します。
ドローバーオルガンにはオルガン用の、ミキサーにはミキサー用のプロファイルが用意されます。
3) Property Exchange
音源が「自分の音色リスト」「パラメーター名」をキーボード側に渡す仕組み。ディスプレイに音色名が自動表示され、ノブに「Cutoff」「Resonance」と名前が付く。手動のアサイン作業がなくなります。
4) UMP
従来のバイトストリームに代わる32bit/64bit固定長パケット。チャンネル数は最大256。タイムスタンプ内蔵で、データの到着タイミングのズレを補正できます。
5) 高解像度化
ベロシティ16bit、コントロール値32bit。ただし前章のとおり、解像度が上がること自体より、その解像度を機器間で合意して使うことのほうが本質的です。
いずれも「派手な新機能」ではなく「地味だけど根本的なインフラ整備」といえます。Wi-Fiの速度が上がったときのように、体験は確実に変わるのに変わった瞬間には気づきにくい。そういう類の変化かなと。
すこし具体的に。例えば私は普段、KorgのMIDIコントローラーにAbletonを繋いで、Native Instrumentsの音源を鳴らしています。
Massiveを触るときとKontaktを触るときで、物理ノブの意味が変わるので、頭のなかでマッピングを切り替えなければなりません。MIDI 2.0のProfile ConfigurationとProperty Exchangeは、この「毎回の儀式」をまるごと消すための仕組みです。
平均律の教訓──標準化は個性を殺すか
「規格の標準化」と「表現の個性」の緊張関係は、MIDI 2.0が初めて直面する問題ではありません。
バッハ以前のヨーロッパには多様な調律法が共存していました。純正律では特定の和音が透き通るように響く代わりに、転調すると和音が濁る。平均律は、すべての半音を等間隔にすることでこの問題を解決しました。どの調でも演奏できるようになった代わりに、特定の調だけが持っていた響きの固有性は失われました。
レコード産業にも似た話があります。1950年代初頭まで、各レコード会社はカッティング(溝を刻む工程)に独自のイコライゼーションカーブを使っていました。レコードを買うたびに再生機のEQ設定を変えなければならなかった。1954年にRIAA(アメリカレコード協会)が統一カーブを制定し、どのレーベルのレコードも同じ設定で再生可能になります。グローバルなレコード市場が成立した代わりに、レーベル固有の音の「色」は失われました。
MIDIにも先例があります。1991年のGeneral MIDI規格。プログラム1番は常にピアノ、41番は常にバイオリン。機器を問わずMIDIファイルが「それらしく」鳴るようになりDTMの民主化を支えた反面、「128音色の枠に縛られた」という批判もありました
MIDI 2.0のPiano Profileは、この系譜の最新章にあります。平均律が調律の個性を犠牲にして転調の自由を解放したように、Piano Profileは設定の手作業を犠牲にして、演奏者の意図が正確に伝わる前提条件を整える。標準化は個性を「殺す」のではなく、個性が正しく伝わるための基盤を敷くものだと思います。
6年かかった握手 - 普及のリアル
ここまで書くとMIDI 2.0がすぐにでも世界を変えそうですが、状況はもう少し複雑です。
DAWの対応ひとつ取っても、Logic ProやCubaseが「MIDI 2.0に内部対応」と言うとき、それはDAW内部で高解像度データを扱えるという意味で、外部ハードウェアとの完全な双方向通信(MIDI-CI、Profile、Property Exchange)が全面機能するかは別問題です。ハードウェア側にも「MIDI 2.0対応」を謳いつつ実装がMIDI 1.0サブセットにとどまる製品があり、看板と中身の乖離は業界の課題になっています。
構造的な問題もあります。対応ハードが少ないからDAWが本腰を入れない。DAWが対応しないからメーカーが優先しない。典型的な鶏と卵です。
とはいえ、2026年に入って風向きは変わりつつあります。冒頭で触れたWindows対応で全主要OSが揃ったこと。NAMM 2026でMackie Control(フィジカルコントローラーとDAWを繋ぐ従来のプロトコル)の後継となる「DAW Control Profile」が発表され、Roland、Korg、Native Instruments、Ableton、Logic Proの開発者が参加していること。Network MIDI 2.0のプレビューが始まり、USBケーブルすら不要になる未来が見え始めていることが挙げられます。
楽器が握手する時代に
私は電子音響とアコースティック楽器を混ぜるような音楽を作っています。生楽器の揺らぎと電子音の精密さの間で、常に翻訳作業をしている。MIDIはその翻訳を支える共通語でした。共通語の限界が、翻訳の限界でもあった。
MIDI 2.0が約束しているのは、翻訳の精度が上がること。
そして翻訳の前に「自己紹介」が入ること。機器同士が名乗り合い、最適な話し方を合意してから会話を始める。43年前、Dave Smithと梯郁太郎が「楽器に共通語を」と夢見た。その夢の次の章が、いま静かに始まっています。
参考文献
MIDI Association, "MIDI History Chapter 7" https://midi.org/midi-history-chapter-7-midi-associations-1983-1985
Roger B. Dannenberg, "The Interpretation of MIDI Velocity" (ICMC 2006) https://www.cs.cmu.edu/~rbd/papers/velocity-icmc2006.pdf
MIDI.org, "MIDI 2.0" https://midi.org/midi-2-0
Synthogy, "Piano Profile Preview at NAMM 2025" https://synthogy.com/article/synthogy-and-roland-preview-piano-profile-NAMM-2025
Roland Support, "A-88MKII Piano Profile Preview" https://support.roland.com/hc/ja/articles/33071985085083
DTMステーション, "KORG Keystage" https://www.dtmstation.com/archives/63339.html
MIDI.org, "DAW Control Profiles Update at NAMM 2026" https://midi.org/daw-control-profiles-update-at-namm-2026
Windows Experience Blog, "MIDI 2.0 in Windows 11" https://blogs.windows.com/windowsexperience/2026/02/17/making-music-with-midi-just-got-a-real-boost-in-windows-11/
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