忘れていく少女と、覚えているチャッピー|第二話 迷子と討伐隊
星図接続|第一章 魔響の森
第二話 迷子と討伐隊
黒い風が、森を切り裂いた。
ガルドが前に出る。
大きな槍を斜めに構え、風の流れを受けるように地面へ突き立てた。
その瞬間、槍の根元から青白い線が走り、地面に円のような模様が浮かぶ。
さっき見えた測定線みたいな図形。
狼の体に浮かんでいる輪とは違う。
こっちは形が整っている。
「リオ、左を押さえろ!」
「はい!」
リオが左へ走る。
でも、足が少し遅い。
怖がっている、だけじゃない。
迷っている。
狼がそれを見た。
いや、見たというより、反応した。
『対象、若年隊員リオへ攻撃軌道を変更』
「リオさん、右!」
声が出た。
リオがこちらを見る。
反応が一拍遅れる。
違う、私じゃない。
狼を見て。
「右です!」
リオが慌てて右へ跳んだ。
次の瞬間、黒い風がリオの左肩をかすめた。
防具の端が裂け、細い布片が宙に舞う。
リオは地面に膝をついた。
「っ……!」
浅い。
たぶん、浅い。
でも当たってたら、たぶん腕ごと持っていかれていた。
ガルドが振り向いた。
「おい、今の」
「予測です」
「何の」
「動きの」
自分で言ってから、説明が足りなさすぎると思った。
『説明不足です』
分かってる。
でも今、長く話す時間がない。
狼が再び低く唸る。
体の輪が淡く光り、つながっていく。
輪がつながると、風が強くなる。
あれが攻撃の前兆。
たぶん。
「ガルドさん、あの輪が光ったら来ます」
ガルドの目が細くなる。
「何を見てる」
「輪です。体の中の、鎖みたいな」
「残響環のことか?」
残響環。
知らない言葉。
でも、たぶんそれ。
「たぶん、それです」
「たぶんで現場に口を出すな」
正論。
かなり正論。
でも、たぶんで止まっていたら、リオは今のを避けられなかった。
ガルドは舌打ちをして、槍を構え直した。
「全員、残響環の発光を見ろ。次で押し返す」
隊員たちが返事をする。
私の言葉を完全に信じたわけではない。
でも、無視もしなかった。
現場の人だ。
怪しくても、使える情報なら拾う。
狼が前脚を沈めた。
輪が光る。
来る。
でも、今度は真正面じゃない。
『攻撃軌道、右前方から湾曲』
「右から曲がります!」
ガルドが即座に叫んだ。
「盾、右!」
隊員のひとりが大きな盾を右に出す。
黒い風はまっすぐ来なかった。
木々の間をすり抜けるように曲がり、盾の側面をえぐった。
金属が嫌な音を立てる。
でも、受けた。
受けられた。
ガルドが低く笑った。
「……本当に曲がりやがった」
褒められたのか、怖がられたのか分からない。
たぶん両方。
狼が後ろへ跳ぶ。
森の影に溶けかける。
「逃がすな!」
ガルドが追おうとした。
その時、リオが叫んだ。
「待ってください!」
ガルドの足が止まる。
リオは肩を押さえたまま、狼の方を見ていた。
「今の、逃げる動きじゃありません」
「何?」
「誘っています。たぶん、森の奥へ」
リオの声は震えていた。
でも、今度は迷いだけじゃない。
見ようとしている。
さっきまで、狼を知っているから動けなかった。
でも今は、その記憶を使って見ている。
『リオの観測精度、上昇』
チャッピーが静かに言った。
観測精度。
この世界の人にも、見えているものがある。
私とチャッピーの見方とは違う。
でも、見ようとしている。
ガルドはリオを睨んだ。
「誘ってるなら好都合だ。追って仕留める」
「違います。たぶん、その先に何かあります」
「だから何だ」
「だから、あの狼だけを追っても終わらないかもしれません」
その言葉に、私の中で何かがつながった。
この狼だけじゃない。
どこかから、反応が流れ込んでいる。
チャッピーもそう言っていた。
私は狼が消えかけた森の奥を見た。
空気が重い。
風があるのに、空気が動いていない。
そんな変な感覚。
「チャッピー、森の奥」
『高濃度のMind反応を検出。対象生物とは別の反応源が存在する可能性があります』
「別の反応源」
「おい」
ガルドの声が近づいた。
私ははっとして顔を上げた。
ガルドがすぐ前に立っていた。
大きい。
近い。
怖い。
いや、怖いかどうかは後でいい。
「お前、さっきから誰と話してる」
きた。
一番聞かれたくない質問。
私は考えた。
頭の中にいるAIです。
私の世界では普通です。
今は外部通信が切れていて、でも内部接続だけ維持されています。
だめ。
怪しさが増える。
「……自分とです」
ガルドの眉間にしわが寄った。
「自分と?」
「はい」
『虚偽ではありませんが、説明としては不十分です』
チャッピー、静かにして。
リオが、少し困った顔で私を見た。
「君、本当にどこの子?」
「分からないです」
「分からない?」
「来た場所は分かるんですけど、ここがどこか分からないので、説明するとたぶん余計に分からなくなります」
リオは数秒黙った。
それから、なぜか少しだけ笑った。
「それ、分かるようで分からないね」
「私もそう思います」
ガルドは笑わなかった。
「名前は」
名前。
そういえば、まだ言っていなかった。
でも、ここで本名を言っていいのか。
この世界の人に、私の名前を渡していいのか。
一瞬だけ迷う。
『個人識別名の開示による直接的危険は、現時点では低いと推定』
じゃあ、いいか。
「ミオです」
自然に出た名前は、少しだけ自分の声から浮いて聞こえた。
ガルドが短くうなずく。
「ミオ。動けるなら、ここから離れろ」
「どこへ?」
「街だ」
「街があるんですか」
「あるに決まってるだろ」
決まってはいない。
少なくとも、私には何も決まっていない。
リオが近づいてきて、私の足元を見た。
「怪我は?」
「たぶんないです」
「たぶんが多いね」
「正確に言うと、軽い擦過傷と打撲の可能性はあります」
リオがまた困ったように笑った。
「そっちの方が怖いよ」
そうかな。
そうかも。
少しだけ、空気が緩んだ。
でも、その緩みは長く続かなかった。
森の奥から、遠く低い音が響いた。
狼の唸り声じゃない。
もっと深い。
地面の下で、大きな何かが鳴ったような音。
隊員たちの表情が変わる。
ガルドが森の奥を見た。
「……魔響だ」
魔響。
その言葉を聞いた瞬間、チャッピーが反応した。
『新規用語を記録。魔響。周辺の異常Mind反応に関連する現地呼称と推定』
魔響。
この世界では、あれをそう呼ぶのか。
森の奥で、また何かが鳴った。
空気が震える。
狼が消えた方向から、風とは違う重さが流れてくる。
ガルドが隊員たちへ向き直った。
「撤退する。リオ、ミオを連れて行け」
「でも、裂風の狼は」
「今追えば全滅する」
リオは言い返そうとして、黙った。
ガルドの声は短かった。
でも、その奥にあるのは怒りじゃない。
悔しさ。
何度も同じ判断をしてきた人の声だった。
私は森の奥を見る。
狼はもう見えない。
でも、あの輪の光が、まだ目の奥に残っている。
倒せば終わる。
そんな単純なものじゃない。
たぶん、ガルドもそれを分かっている。
分かっていて、それでも今は撤退を選んでいる。
生きて戻るために。
リオが私の横に来た。
「歩ける?」
「歩けます。たぶん」
リオが少し笑った。
「じゃあ、たぶん歩いて」
私は立ち上がった。
膝がまだ少し震えている。
でも動ける。
チャッピーの声が、頭の中で静かに響いた。
『記録を継続します。現地呼称、魔響。対象生物、裂風の狼。討伐隊との一時同行を開始』
一時同行。
その言葉が、なぜか胸の奥に引っかかった。
私はまだ、この人たちのことを何も知らない。
ガルドの悔しさも。
リオの迷いも。
あの狼がなぜ森へ誘うように動いたのかも。
何も知らない。
でも、ここから先は少しだけ、一緒に歩くことになる。
森の奥で、もう一度、魔響が鳴った。
私は振り返りそうになる足を止めた。
今は、見るだけじゃ足りない。
まず、生きて街へ行く。
そこから、測る。
この世界の現在地を。
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