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食事は選べるのに、なぜ学びは選べないのか

子どもたちの学びには、もっと選択肢があってもいいのでは?


私たち大人の食事を考えてみましょう。
レストランも好きだけれど、いつも行きたいわけではない。
気分によっては個人経営の小さなお店に行きたい時もあるし、旅行先では知らないうどん屋さんに入ってみたくなる。
疲れた日には結局、自分の家で食べるのが一番良かったりもします。

誰も「大人はみんなファミレスで食事をしなければいけない」とは言いません。
その日の気分や状況、好みに合わせて、自由に選択しています。

それなのに、学びに関しては、子どもだけはみんな学校に行かなければいけないというのは、よく考えてみると不思議な話です。



学校という仕組みの価値と課題

学校の素晴らしさを認める

学校について考えるとき、私はよくショッピングモールのような場所に例えることがあります。

一通りのものが手に入って、一定の満足が得られる場所。
全国どこに行っても似たような構成で、ルールがあって、それに従った方がうまくいく場所。

学校は確かに素晴らしい仕組みです。

給食があり、安全が守られ、専門的な教育を受けられる。
日本全国どこに行っても同じ教育を受けられるというのは、世界的に見ても驚くべきことです。
多くの子どもたちがフィットして楽しく通っている現実もあります。

ただし、どんなに優れたシステムでも、すべての人に完璧に合うものは存在しません。
楽しく通う子もいれば、そうでない子もいる。

これは学校が悪いのではなく、人間の多様性の現れなのです。


システムが抱える根本的な課題

小学校の一年生のクラスに私自身が2ヶ月ほど付き添いで一緒に通った経験から見えてきたものがありました。

保育園のカラフルな空間とは対照的な、無機質な教室と整然としたルールの中で、子どもたちが「調教されている」ように感じたのです。

まだまだ感性で動く年齢なのに、そこにいきなり「論理的な構成」を当てはめるギャップ。

おもちゃもない中、私が扇風機に向かって「あ〜」と声を出して遊んでいたら、子どもたちが面白がって集まってきて、一緒に笑い合いました。
でも、すぐに先生に怒られました。

「上履きを脱いではいけません」
「みんなと同じように行動しましょう」
そんな言葉が繰り返されるうちに、

「ああ、やっぱり規格に沿った人間をつくる場所なんだな」
と、どこか納得してしまったのを覚えています。

もちろん、先生の立場から見れば、30人近い子どもたちの安全を守り、学習環境を整えるためには、ある程度のルールや枠組みが必要だという現実もあるでしょう。

個々の先生が悪いというよりは、システム全体の課題なのです。


可能性を示すヒント: デザインの力


デンマークを訪れた時のことが印象的でした。

学校の中は遊園地のように可愛く、子どもがワクワクする作りになっていました。
しかし重要なのは見た目の美しさではなく、優れたデザインが様々なことをやりやすくしているということです。

街の設計も素晴らしい。
日本では狭い道で自転車を避けながら「すみません」と言ってベビーカーを通したり、親切な人に助けてもらったりすることがありますが、デンマークではそもそもそういう状況が起こりにくいようにデザインされているのです。

空港には子連れ優先の道があり、幅が広く、優しい柵がついていて、子どもが迷わないよう絵が描かれていました。

デザインの力で、教育を受ける環境にも本当にたくさんの可能性があると感じました。


学びの多様性という歴史的視点


学校という仕組みが日本にできたのは、明治時代に入ってからのことです。
短期間でこれを全国に広げたのは本当に素晴らしいことでした。

しかし裏を返せば、
「人間という生き物が本質的に学校に通う必要があるわけではない」
ということでもあります。

白神山地を歩いたとき、山の中がまるで学校のように感じられたことがありました。
かつては寺子屋で学んだり、家の手伝いや地域の活動を通じて学んだり、奉公先で仕事をしながら学ぶなど、さまざまなかたちの学びが存在していました。

もちろん、昔の暮らしがすべて良かったわけではありません。

でも、「学ぶ」という営みは本来もっと多様で、生活や社会と地続きの中にあったのだということは、今の私たちにとっても大切な視点ではないかと思うのです。


現在の選択肢とその限界

制度上の変化

子供は学校にいかせなければならない時期が長く続きました。
しかし、令和に入って方針が変わり、今は学校に絶対行かせなければいけないということもなくなりました。

フリースクールなど選択肢も増え、文科省も学校以外の学びの場の活用を進めています。

現実のハードル

しかし、その選択肢を選ぶにはハードルが高いのが現実です。

子供たちのエネルギーがなくなって、実際に学校に行かなくなってから選択を迫られることが多い。
でもエネルギーが足りないから、外に出ていくこともできず、選ぶこともできなくなってしまう。

また、私の子どもが一時期学校に行かなかった時、本当に困ったのは、子どもだけで行けるところがないことでした。

調べてみると親が連れて行けるところだったら意外とあったりするのですが、子どもは子どもと遊びたいのに、みんな学校に「取られて」しまっている。

でも家の中に閉じこもっている子どもたちもたくさんいるはずです。

その子たちに向けた、学校以外の楽しい場所が昼間にもたくさんあればいいのに、と思います。


実践への挑戦:小さな実験から

「塾」というアプローチ

私の場合、一つの答えとして「塾」を考えました。
午後の塾はたくさんありますが、昼間の塾はあまりありません。
最近は昼間の塾も増えてきているようですが、まだ学校を意識してしまっている部分があります。

そうではなく、「ここに行きたいな、だから学校に行かないでこっちを選ぼう」と思えるほど魅力的な場所が作れたらいいと思い、実際に塾を作ってみました。
結局、学校に行っている子が通ってきて勉強を教える塾になってしまいましたが、本来のコンセプトは個別最適化された、自分の好きなことを見つける場所でした。

もし、この塾のコンセプトや、学び方を育てるというアプローチにご興味があれば、こちらの記事で詳しく紹介しています

「居場所」という可能性

もう一つは「居場所」です。
学校でもなく家でもない、もう一つの場所を持てたらいいなという思いで、今は親向けのサロンの中で実験的に提供しています。
ここが別の選択肢の一つとして成長できたらいいなと考えています。


目指すべき未来:自然な選択ができる世界


理想は、もっと自然に選択できる環境です。

「今日は学校に行くけれど、明日は塾で、今度は別の場所でも学んでみたい」

そんな自由があったらどうでしょうか。


これは遊園地を作るということではありません。
学び方は人それぞれで、いろんな学び方があるから、それぞれに合わせてできる場所があればいいのです。

教育というのは、実はとても繊細で創造的な営みです。
一人ひとりに合った学びをデザインしていくことは、アートに近い行為なのかもしれません。

大切なのは、いろんな場所から自分に合っているところが選べる環境だと思います。
それがもっと自然になったらいいなと思います。

低学年のうちは難しいところもあるかもしれませんが、それもデザイン次第で結構何とかなるのではないでしょうか。


多様性を認める社会へ


子どもたちの視点から、本当に様々な選択肢がある世界。
そんな未来を描いて、小さくても実験を続けていきたいと思います。

学校を否定するのではなく、多様な選択肢がある世界を願って。
一人ひとりの子どもが、自分らしく学び、成長できる社会のために。


今回の記事では、「なぜ子どもの学びにもっと選択肢が必要なのか?」というテーマについて、日常の気づきや体験をベースに綴りました。

制度・政策の視点から整理した別バージョンの記事も公開中です。

よろしければ、合わせてご覧ください。


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