【アート巡り記】スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照@東京ステーションギャラリー 2026.6.14訪問
カール・ヴァルザー(1877‐1943)という画家のことは名まえすら知らなかったのだが、それもそのはず、日本初の回顧展だそうだ。展覧会サイトには、日本のみならずヨーロッパでも決して知名度は高くないと書いてある。東京ステーションギャラリーは、そういった美術史のなかで見過ごされてきたアーティストに光を当て、その価値や魅力を伝えようとしているらしい。この知られざる画家は、なんと明治時代の日本に来訪して日本の風景や文化を絵画に残していた。
尚、会場はすべて撮影不可であった。ほとんど知られていない作家なら、撮影可にしてSNSで拡散したほうがよさそうなものを、と思わないではなかったが、所蔵元と会場の方針であるならしかたがない。(その代わり細部までじっくり見られましたけどね。)

第1章は「絵画と素描」。ベルリン分離派に属していた初期の絵画を中心に展示されていた。とにかく画面が暗いのが印象的(?)だ。ベルリンにせよウィーンにせよ「分離派」とは既存のアカデミーの評価から一線を画した新しい技法や題材を用いた絵画を目指した画家たちの集団で、その先駆けが印象派だったというのだが、カール・ヴァルザーの絵画は印象派がどこまでも明るい外光を画面に表現しようとしたのとはまったく違う。森の緑も濃くて黒っぽいものが多い。それはやはりドイツやオーストリアの気候による、フランスの光との違いだろうか。その暗さの最たるところは《夜の散歩》に描かれた、闇のなかに浮かぶ人影や建物だろう。一瞬真っ黒な絵に見えるが、闇のなかで目が慣れていくように、徐々にそこに描かれたものが見えてくる。そこまで黒くしなくても、、、と思いながら、それでも非常に緻密に風景や人物を描きこんでいることに気づく。色彩は暗いが、描写は細かい。それは後のさまざまな仕事につながっている。
第2章「日本滞在」では、日本を描いた絵画群が多数展示されていた。日本に来た理由に、自分に心がないことを知った恋人に目の前で自殺され、出版社が小説家のベルンハルト・ケラーマンとともに日本に行くよう手配した、、、などと書いてあったが、「え? そういうこと?」という感じである。しかし理由はなんであれ、カール・ヴァルザーが日本にしばらく滞在して風景や風俗を描いたのは事実である。特に京都の宮津で舞妓や芸妓、地元の祭りなどに触れ、滞在先の旅館の建物などを含めて多くのスケッチ画を残している。これらの絵画はベルンハルト・ケラーマン著『さっさ よ やっさ 日本の踊り』という日本滞在記の挿絵・表紙絵として出版された。日本を描いたこれらの絵画については、ドイツの暗さとはまったく違い、明るいとは言わないまでも日本の光や空気感が表現されている。ドイツの風景が暗いのも、日本の光や空気感が感じられるのも、カール・ヴァルザーとはそういったところまで緻密に描写できる画家なのだと思わせる。
第3章は「挿絵と装幀」で、カール・ヴァルザーが手がけた数々の本の挿絵や装幀が紹介されていた。トーマス・マン、ヘルマン・ヘッセ、ギュスターヴ・フロベールといった文学史に名を残すような文学者の本に挿絵を描いていたことに驚く。日本で翻訳が出版されるときは別の挿絵や装幀になっているから、原書でも手にしない限りなかなか知りえないことである。この挿絵がやはり細密な線画なのだ。キャプションにオーブリー・ビアズリー(1872‐1898)に匹敵するかような記載もあったが、ビアズリー展でその挿絵を観た者としてはそこまでの類似性はないと思った。ビアズリーの挿絵はちょっと別格である気がする。それでもカール・ヴァルザーの挿絵が出版社から重宝がられたのは理解できる。弟で詩人のローベルト・ヴァルザーの著書にも多数の挿絵を描いており、弟からは挿絵はいらないと断られたこともあったようだが、出版社は売れるためにはカールの挿絵が必要だと言ったらしい。ローベルトの詩の良し悪しよりカールの絵で本が売れるというのも皮肉な話である。
そしてカール・ヴァルザーは舞台美術にも手を広げている。第4章「舞台美術」では、主に手掛けた衣装のデザイン画が展示されていた。それもシェイクスピアの「真夏の夜の夢」「ロミオとジュリエット」、モーツァルト「フィガロの結婚」、ビゼー「カルメン」、プッチーニ「ラ・ボエーム」といった有名どころの演劇や歌劇の舞台美術である。このデザイン画がまた洒落ていて、モード誌に掲載されるイラストのようである。ここまでくると、どれだけ器用でセンスのあるアーティストだったのかと思わざるを得ない。そこに展示されていたのはデザイン画だけなので、実際に舞台が上演された際にどのように再現されたのかまではわからなかったが、当時の記録写真などがあれば見たいと思った。
最後に2分ほどの映像でカール・ヴァルザーが手がけた壁画がまとめられていた。これがまた、挿絵などの細密さや舞台美術のお洒落さとはうってかわって、ぺたっとした平面的な絵画ばかりで驚いた。初期の絵画や日本でのスケッチと比べても同じ画家が描いたとはちょっと信じられない。しかし何か意図があって壁画をあのような画風で描いたのであろう。2分の映像からはその意図までは汲み取れなかったが、それまでに見てきた仕事の最後にああいった絵を見せられて、ちょっとした余韻が残った。
美術史に埋もれた画家、カール・ヴァルザー。そういう人物を取り上げて面白く見せてくれた、とてもよい展覧会だった。

参考:
東京ステーションギャラリーホームページ https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202604_karl.html
会期 2026年4月18日(土)〜6月21日(日)
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