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【連載小説】「みつばち奇想曲(カプリース)」第十九話

「中等部教師の安見響子が舞台セットの小屋に潰されて死んだ」というニュースは、普段お互いのことに無関心な生徒たちの間にも瞬く間に広がっていった。
 このショッキングな出来事を受けて、生徒は夏休みの間、寮から出ることを禁じられ、『オズの魔法使い』の稽古も一時中止されることとなった。
 あの日、安見が救急隊によって運び出された後、薫を始めとする生徒会メンバーたちは、誰もいないはずの舞台裏から出てきた檜崎クララに対し、聴き取りを行った。クララは、「舞台裏にある何かのスイッチを押した」ことを認めた上で、なぜ昼休憩中にそんな場所にいたのかという問いに対しては、「切り忘れたスイッチがあるから、ひとつだけ点灯しているスイッチを切ってほしい」と書かれた薫からの手紙を受け取ったからだと答えた。「まさか、そのスイッチを切ったことで、吊り上げられた小屋が落下するなど想像もしていなかった」と、クララはその場で泣き崩れた。
 しかし、薫がそんな手紙を書いた事実はなく、クララの話す「手紙」もどこを探しても見つからない。取り乱し、時々支離滅裂なことを叫ぶ彼女の姿を見て、生徒会も教師陣も「手紙の話は、事故のショックによる虚言だろう」と判断した。
 今回の件でショックを受けたのは、美憂も例外ではない。安見という教師のことはよく知らないが、人が建物に潰され、舞台上に血だまりが広がっていく光景がいつまでも脳裏に焼き付いている。目の前で白目をむいて倒れた奈那の顔も、目を閉じれば鮮明に思い出された。今まで経験したことのない恐ろしい場面は、どんなに強気な言葉を唱えてみても、簡単に記憶から消えるものではない。
 こんなとき、不思議と思い出すのは母のことだった。母から離れることで自由を得たはずなのに、離れて初めて誰の機嫌も取らずいられる心地良さを知ったはずだというのに、それでも夜になり恐怖に泣きたくなると、頭の中に浮かぶのは母の顔だった。
「美憂は、あれがお化けに見えるの? ママには『りんご』に見えるよ」
 幼い頃、何でもないものがお化けに見えた。壁の木目、障子しょうじのシミ、ただの鍵穴。恐ろしいものはいつも身近にあって、見つけてしまう度に泣いていた。
 そんな時、母はいつも小さな美憂を抱きよせて、「お化けじゃないよ」と声を掛けてくれるのだった。
「ママの描く絵を見ててごらん」
 母はアクリル絵の具を取り出して、絵筆で魔法をかけていく。壁の木目は蝶々に、障子のシミは熱帯魚に、鍵穴は「はらぺこあおむし」に食べられた真っ赤なリンゴに。家の中のいたる場所が「おとぎ話」の世界に変身した。
 今は絵画にも芸術にも全く関係ない一般企業で営業の仕事をしている母だが、元々は父と同じ美大卒で絵を愛していた人だった。怖いものは全て好きなものに変えられることを、世界は味方であることを、最初に教えてくれたのは母だった。
「そう、怖い記憶には絵の具を塗るの。筆で、ううん、パレットナイフで絵の具を乗せていこう。質感は考えなくていい……」
 美憂は目を閉じると、頭の中の映像の上に絵の具を重ねていく。形を精密に写し取らず、円筒と球と円錐の形に近づけて、凍り付いた空気や少女たちの恐怖の表情を読み取れない世界に記憶を描き直す。セザンヌの静物画や晩年の作品である「大水浴図」を思い浮かべながら、それに近づけるよう色を乗せて……。
「コン、コン」。
 その時、部屋の扉をノックする音がした。あの事故から一週間、毎日訪れてくれるあの人が、今日もやって来たのだ。
「こんばんは。美憂さん」
「こんばんは。薫さん」
 扉を開けると、薫がいつものように優しく微笑む。薫のやって来る夜七時のひと時が、唯一の安らげる時間であった。
 丁重に彼女を部屋に迎え入れると、いつものように勉強机の椅子を小さなテーブルの脇に移動して、そこに座ってもらう。友梨と共同で一組だけ購入した、お気に入りのソーサー付きのティーカップに紅茶を注ぐと、溢さないようそっと彼女に差し出す。
「いつもありがとう。でも、お茶なんて気を遣わなくてもいいのよ」
「忙しいのに毎日来ていただいているから、ほんのお礼の気持ちです。薫さんに会うとすごくほっとするから、本当に助かってるんです」
「これくらいのこと、当然よ。あんなことがあったんだもの。遭遇してしまった美憂さんが、どれだけ恐ろしい思いをしたことか……。毎晩、少しの間しかここにいられなくて申し訳ないくらいだわ」
「そんなことないです! 先生なんて『部屋から出るな』しか言わないのに、薫さんをはじめとする生徒会の皆さんは、毎日それぞれの寮を回って生徒皆の心のケアをされていて。本当にすごいなって尊敬しているんです。私はこの学校にまだそれほど馴染めていないけど、皆がどうして生徒会の皆さんを特別に思っているのか、今回のことでよく分かった気がします」
「ふふ、そんな大げさよ。でも、あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ」
 薫は嬉しそうに目を細めると、静かにティーカップに唇を添えた。
「あの、薫さん。川瀬さん……、スリジエクラスの川瀬奈那さんて、どうしてますか? あの時、一緒に目撃して、その、彼女、倒れてしまったから……」
「川瀬さんなら大丈夫よ。意識は戻っているの。ただ、ショックが大きかったから、今は念のため、クレール女学院大の付属病院に入院しているわ」
「そうですか。それなら少し安心しました。あと、檜崎クララさんは……」
「美憂さん。あなたの優しさは素晴らしいことだけれど、まだ自分の心も癒えていないのに色々考えすぎるのは良くないわ。今は自分のことだけ考えて。ね」
 薫は美憂の手を取ると、その手を包み込むように「ふわり」と自身の両手を重ねた。
 聖母のような微笑みを向けられると、それ以上クララのことを聞くことはできなかった。本当は白雪のことも相談したいのだが、忙しい彼女を煩わせることは気が引けてしまう。
「それじゃあ、また明日ね」
 十分ほど滞在した後、薫は次の生徒の訪問へと向かっていった。


(つづく)


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みなとせ はる いつも応援ありがとうございます🌸 いただいたサポートは、今後の活動に役立てていきます。 現在の目標は、「小説を冊子にしてネット上で小説を読む機会の少ない方々に知ってもらう機会を作る!」ということです。 ☆アイコンイラストは、秋月林檎さんの作品です。