アメリカ世:1946年7月27日(土)
米軍人家族の受け入れ始まる
(2008年1月26日、Stars and Stripesより)
米軍人の家族、那覇港到着
2008年3月、沖縄県南城市で「灰の中から―勇気と決意(From the Ashes: Courage and Determination)」という写真展が開催される。
展示される約600枚の写真と12巻の8ミリフィルムは、1946年から1950年代にかけて沖縄に住んだ米軍家族や民間人が撮影したもの。
当時、沖縄の人々はカメラをほとんど持っていなかったため、これらは戦後復興期の沖縄を記録した極めて貴重な資料。
ノースカロライナ州出身のジュディ・スコットが5歳だった1947年、彼女は母マーサ・ホールドワース、妹のキャスリンとともに、陸軍少佐の父エドワード・ホールドワースを追って沖縄に渡った。
現在はゴルフ場となっている場所にあったクォンセット式の住まいは粗末で物資も不足していたが、生活は胸躍るものだったと、スコットは最近スターズ・アンド・ストライプス紙に送った電子メールで綴っている。
「軍のベッドに蚊帳をかけて寝ていたのを覚えています」と彼女は述べ、軍用ジープが時々来て、DDTを散布して蚊を駆除していたことを付け加えた。「よくまあ生き延びたものですね!」と彼女は冗談めかして言う。
彼女が特に大切にしているのは、6歳の誕生日の思い出だ。その日、超大型台風リビーが島を襲い、家族は避難所へと移された。夜中になって、母が彼女に特別なプレゼントをくれた。「母がどこからかカップケーキを一つ見つけてきてくれたんです」とスコットは言う。
食料品店の棚には食料や日用品の在庫が限られていたため、誰もが本土からの補給船の到着を心待ちにしていた。家があった丘の上から、母は船が来たのが分かると、すぐに食料品店へ急いだという。
展示されている写真の中には、サンフランシスコのフォート・メイソンから2週間の航海を経て那覇港で船を降りる、疲れ切った様子の人々の姿を写したものがある。
記録によると、1946年7月27日、輸送船「デビッド・C・シャンクス号」で27家族が那覇港に到着した。彼らが最初の軍属家族だった。
1歳のアルバート・ウィリアム・アンドリューと母ウィルヘルミナ、兄サム・アンドリュー3世も、父である准尉サム・アンドリュー・ジュニアを訪ねる一行の中にいた。
島での冒険は、1999年に母が息子サムに宛てた手紙に生き生きと綴られている。冷房のない船での太平洋横断で、子供たちは皆、あせもができたと彼女は書いている。しかし、胸をときめかせる新しい体験は、沖縄に上陸した瞬間から始まった。到着を祝うかのように、数機のB-29爆撃機が船の上を飛行して敬礼したという。
「平和条約が調印されてわずか11か月後に、私たちは最初の陸軍・空軍の軍属家族として到着しました」と彼女は書いている。
クォンセット式の家には灯油式の冷蔵庫があったが、コンロはなかった。食料品店には大きな缶詰の軍用糧食が備蓄されていたが、売店は家族向けの品揃えではなかった。「PXは本当に品薄で、在庫といえば靴ひも、靴磨き、軍用靴下くらい…女性用や子供用の靴はありませんでした」とアンドリューは書いている。
それでも、小さな軍コミュニティの人々は助け合い、仲良くやっていけたという。「みんなで裁縫をしたり、カーテンを作ろうと、アイデアや布切れを分け合っていました」と彼女は言う。彼女は赤ん坊の洗礼服をパラシュートの切れ端で作った。「とても素敵にできました。刺繍も施しましたよ」。
物資不足はアンドリュー家にとって大きな問題ではなかったと、ビル・アンドリューはカリフォルニアの自宅からの最近の電話インタビューで語っている。「私たちにとって重要なのは、家族全員が一緒にいられることでした」。
アンドリュー家は2年間の滞在の後、米国に戻り、ビル・アンドリューが10代になった1959年に2度目の沖縄訪問を果たした。2度目の赴任の思い出で特に輝いているのは、当時海兵隊軍曹だった伝説のゴルファー、リー・トレビノと泡瀬ゴルフ場で出会ったことだという。また、辺戸岬から見た美しい島々や、明るく友好的な沖縄の人々も思い出すという。「いつも懐かしく振り返る、素晴らしい経験でした」と彼は語った。
スコットも全く同感だ。彼女の家族は1949年まで沖縄に滞在し、その記憶は今も鮮明だ。「たった5歳から6歳だったのに、あの2年間のことは決して忘れません」と彼女は語った。
写真展は 3月1日~9日、午前9時から午後5時まで南城市大里にある「大里のそん環境改善センター」で。


(「Exhibit looks at lives of Americans who lived on Okinawa after WWII」、1/26/2008、Stars and Stripesより)
https://www.stripes.com/news/2008-01-26/exhibit-looks-at-lives-of-americans-who-lived-on-okinawa-after-wwii-1935850.html1
【参考】輸送船「デビッド・C・シャンクス号(David C. Shanks)」

南城市誕生2周年記念写真展
「あの”鉄の暴風”から【笑顔が戻ってきた日 in 南城市】」

(2008年1月26日、Stars and Stripes)


(この日の1面トップ、
U.S. judge stalls Futenma relocation
Court says DOD must consider effect on dugong off Okinawa
(米国の裁判官が普天間基地の移転を差し止め
裁判所は国防総省に対し沖縄沖のジュゴンへの影響を考慮するよう命じた)
という見出しも今更ながらすごい。)
リー・トレビノ(1939〜)
プロゴルファー。17歳の時にアメリカ海兵隊に入隊し4年間務め、1960年12月に第3海兵師団を除隊。彼の軍隊生活は海兵隊士官とのゴルフに費やされた。トレビノはゴルフのパートナーを務める事が、上等兵への昇進の助けになったと主張している。アジア地域での全軍ゴルフ競技でも好成績を残した。このときのライバルの一人だったオービル・ムーディーもトレビノの後を追うように1960年代後半に PGA ツアー入りしている。
(ウィキペディアより)
泡瀬ゴルフ場(Awase Meadows Golf Course)
かつて沖縄県中頭郡北中城村のキャンプ・フォスター内にあった在日米軍専用のゴルフ場。2010年7月31日に返還。現在は多機能複合型ショッピングモール「イオンモール沖縄ライカム」や中部徳洲会病院などが建ち、北中城村の都市開発拠点となっている。
1948年(昭和23年)に泡瀬メドースゴルフクラブとして開業。沖縄では初のゴルフ場であったが、当時沖縄を占領していた米陸軍が建設したゴルフ場であり、県民の利用は米軍関係者と米軍関係者からの紹介、又はコースの空きがある場合にのみに限られていた。

(ウィキペディアより)
