ファミレスで、ライスを茶碗ではなく平皿に盛る本当の理由
……なんてもの、ファミレスの店員でもなんでもないわたしが知るはずもない。タイトル詐欺ですまない。
だがこれを見てほしい。
ファミレスで平皿にライスを盛るあれ、場所取るし食べにくいし誰が望んでるんですかね?茶碗の方が良くない???
— 堀元 見 (@kenhori2) July 15, 2025
何が不可解って、ハンバーグじゃなく和定食を頼むと茶碗で出てくるんですよ。茶碗あるじゃん。全部それで出してよ。
いかにも合理性を重視する堀元氏らしいツッコミだ。
言いたいことはわかる。
場所を取る。食べにくい。このあたりは確かにそうだ。
なんなら平皿のライスは茶碗と比べて秒で冷める。
だが、
誰が望んでるんですかね?茶碗の方が良くない?
これには同意しかねる。なんもわかってない。
いや、ハンバーグは洋食なんだから茶碗だと風情がねぇだろうがコラ!みたいな合理性の欠片もない茶々を入れたいわけではない。
堀元氏にそれを言うのは野暮だし、論点をはき違えている。
引用元のツイートに反論したいわけではない。どっちかというと、
「あー、平皿と茶碗のライスの違いをそういう観点でしか語れないのかー、そっかー」みたいなちょっとイタい感じでドヤ顔させてほしい、といったところだ。
ここでわたしが言いたいのは、「茶碗と平皿では米を食うときの体験の質が変わりうる。少なくともわたしはそうだ」ということだ。
この記事を書いている時点でざっと引用やリプライをみたところ、この点に言及している人は皆無なので言わせてもらうが、
平皿の冷えた米をフォークで掬って食べるのって、茶碗の温かい米を箸で食べるのとは明らかに口に入れる時の食感が違わないか?
「コーラは瓶と缶とペットボトルで中身が同じでも味わいが違う」現象と同じだと思う。この現象にピンと来ないやつは平皿と茶碗の違いも分からん気がするのでここでサヨナラでいいとして、
金属製のフォークで食べるのと、プラや木の箸で食べるのでは違う味がする。だから平皿か茶碗かを分けるのは洋食かどうかではない。箸で食うかフォークで食うかだ。もちろんフォークだと平皿のほうが食べやすいとかそういうのもあって、この点に言及していた人は一定数いたが、味わいそのものについて書いていた奴はいなかった。
平皿フォークで食べる米のほうが冷えやすくて、淡泊で乾いた味になっていて、わたしはこっちのほうがデミグラスソースなんかのかかった濃厚でやわらかい肉には相性がいいと思う。
文化的な刷り込みという側面も大いにあるだろうが、デミグラスハンバーグについては少なくともそうだと思う。和風おろしハンバーグだったら茶碗と箸で食いたい。ソースに醤油味というかしょっぱさがあるなら、温かいご飯を茶碗と箸で食った方が満足度が高いが、洋風の、甘味や酸味の強い味付けなら米はさっぱりいきたい。なんなら米に塩かけて食ってもいい。
塩かけた米は平皿フォークのほうが絶対にうまい。塩むすびが冷めてもうまい、なんなら冷めてるほうがうまいのも同じだ。
もう一つ言いたいことがあって、
ファミレスを含めた外食は、その美味しさに周囲環境という視覚的・聴覚的情報がかなり影響しているとわたしは思っている。味や匂いそのもの以外の情報による味わいの向上にブーストがかかっているといってもいい。
結局、金属製のフォークで冷えた米を口にする時の、あの独特な感覚は、外食というシチュエーションがもたらす魔法なのだろう。自宅で同じことをしても、ただただ食べづらいだけ。ファミレスという、どこかよそ行きの空間だからこそ、平皿の米をフォークで掬う行為が、記憶に残る味わいへと昇華されるのだ。結局オカルトじゃねえかと突っ込まれそうだが、人間の感覚なんてそんなもんなのである。
なんならわたしはこういう人生を豊かにしてくれるオカルトには適度に乗っておいたほうがいいと思う派閥だ。合理的なのは好きだ。よって合理的に扱うオカルトは楽しい。そういうことじゃないのか。
だから平皿ライスを嫌わないでほしいし、瓶でコーラを飲んでみてほしい。
やっぱりなんも変わんねぇじゃねえか!と思ったなら、あなたは合理的に生きられる人間だ。そのままでいてくれ。
違いが分かるなら、あなたはこういう体験を深く味わえる、楽しいオカルトに合理的に乗っかれる幸せな人間だ。そのままでいてくれ。
ただし、本心では「……たしかに、なんか微妙に違う……ような気がする?」とか思っているのに「ぜんぜん変わらないやんけ!」あるいは「ぜんぜん違うやんけ!」と言っちゃうあなたは、ギルティです。おとなしく和定食を注文しようね。
