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思考は現実化する、を再定義する───2026年6月24日

だれしも自分の現実は自分で創造しているはずなのに、お金がほしいと願ってもお金は創造できない。これはなぜか?




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あたしはあたし、
けっきょくのところ、
思索していることじたいが大好き、
という性質があるので。

なんとかして、
なにか叶えたい願いがある、
というよりかは、
上記の設問のようなことを、
あれこれ思索していることじたいが、
大好きなのですね。

上記の設問に対して、
以前は、
『お金はあなたのフォーマットではないから』
というふうに答えていました。
(※自分で設問して自分で回答=自問自答)




⬇⬇⬇引き寄せの法則を使い倒せ💥💥💥

⬆この記事で『お金はあなたのフォーマットではない』と答えました。





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あたしは思索に耽るのが大好きなので。
昼間は工事現場の警備の仕事をしていて、
じつは、
仕事のことなど1ミリも考えてなくて。

工事現場とはまったく無関係な、
『あたしが考えたいこと』を
いつもいつも考えています。

なので、
片側交互通行だけは例外として、
勤務中のあたしは、
だいぶ能力が低い部類です。
通行止めなのに、
考え事してるあいだに、
知らない人が勝手に通過しちゃうことも
わりとしょっちゅう💥💥💥

まぁね!
工事現場のお仕事は、
自分を輝かせるためではなく、
『人手不足が深刻すぎて』
『どんなバカでもクビにならない』
ことこそが魅力なので。

あたしはあたし、
あたし自身の思考力を、
まったく提供しなくていい職業に就き、
自分の思考力はすべて
自分自身のために使っているのです。

こーゆー性質でなければ、
こんなふうに毎晩毎晩新作を書き下ろすのは
不可能でしょうよ💥💥💥




そんなわけで今夜は、
『だれしも自分で自分の現実を創っているはずなのに』
『ほとんど誰もが自分の人生を思いどおりにできていないのはなぜなのか』
という、
このジャンルにおいては、
“古典”といって良い設問に、
あらためて挑戦してみますね。






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人間は誰でも、
『思考によって現実を創造する』能力を
“神によって”あらかじめ与えられている。

なのに、
『お金がほしい』と願っても
『お金を創造する』ことはできない。

ここで、
『お金がほしい』というのは、
いまはまだお金が無い、という意味だから
『お金が無い』という思考のほうが現実化されてしまう────という“答え”は、もはや誰もが聞き飽きていると思うが。

しかしですね、
『お金ならたくさんあります、ありがとうございます』と“感謝して”も、
やはり、
お金がやってこないことには、
変わりがなくてですね。



なので、
この方向性で攻めるなら、

『お金がほしい』と願うとき、
『お金とはなにか』ということが、
まったく定義できていないから、

『なにを願っているのか』が明確ではなく、
その不明瞭さのせいで現実化しない、

というふうに、
今回の原稿では、
考えてみます。




つまり、
『人間には創造力があり』
『なんであれ思考すれば現実化できる』

ただし、
この場合の『思考』というのは、
コンピュータプログラムのように、
───いまふうに言い換えれば
AIに対するプロンプトのように、

『なにを指示しているのかが明確でなくては』機能しないのだ、
というふうに考えてみる。




つまりね?
『お金がほしい!』
『お金ってなんですか??』
───実現しない。

こんなカラクリがあるのではないかと。




言い換えれば、
その人にとって
お金とは何であるかが明白であれば、
『お金を用意しろ!』
『かしこまりました✨✨✨』
とでもいうようなスムーズさで、
それは現実化するのだ。







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願望実現、という言い方だと曖昧だが、
じつのところ、
『思考が現実化する』
というのは、

思考によって“指令を出す”ことで
それはそのとおりに“現実化する”
という構造になっているのであり。

であれば、
思考したことが現実化するか否かは、
見た目の難易度は関係なくて、

思考それそのものに矛盾がないこと、
思考によって指し示しているものが明確であること、
などによって決まることになる。




そこでだ。

『人生とは何であるか』を
明確に思考すれば、
そのとおりの人生になる、

というふうに、
言えるのではないか??



『思考は現実化する』という法則が、
単なるコンピュータプログラムのようなものだとすれば、
矛盾の無い明確な指示を出せるか、
ということだけが問題になり、

それ以外の、
見た目の難易度などは
一切関係ない、ということになる。




その場合、
『お金がほしい』と望むときには、
ではお金とは何であるか?
ということを明確にしなくてはならないのに対して、

人生それじたいを目的にしてしまえば、
『生まれてきて』
『生きている』
という部分はすでに果たされているため、

人生についてなにかを願おうとしたときに
『では、そのためにはまず生まれてきてください』とか
『そのまえにまずは、生きている状態であることが不可欠です』
といったような形で“却下”されてしまうことが起こりえないため、

じつは、
思考によって現実を創造するのなら、
さいしょから、
『人生そのものを目的として』
自分の人生について思考するのが、
もっともカンタンで、
もっとも確実なのではないか。




ね?
自分の人生について
なにかを願おうとしたとき、
『では、まずは生まれてきてください』
(※生まれる、という条件を満たすまでは発動できません)
といった形で“却下される”ことは、
絶対に起こりえないですからね!




この説明で理解してもらえるとありがたいのだが。

お金がほしい、と願っても、
お金とは何であるか、ということが的確に定義できないかぎり、その先に進めない。

それに対して、
あなた自身の人生について何かを望むのなら
あなたはすでに
『生まれてきて』
『生きている』
のだから、

いかなる願望であろうと、
『生まれてきて、生きている』
という“台座”の上に載せる“装飾品”のようなものだ。

なので、
きわめて直接的に、
『自分の人生について』
望んでしまうのが、
もっとも確実な
“思考を現実化させる方法論”
なのではないかと。




望んだことが現実化するかどぅかとは関係なく、

すでにあなたは
『生まれてきていて』
『いま生きている』。

⬆⬆⬆この部分は確定事項であり、
いまさら“願望実現する”必要がない。

この“確定事項”に紐付けする形で
なにか具体的なことを“願う”というのが、
じつはもっとも確実な願望実現法なのではないかと。

生まれてきて、生きている、
ということだけは、疑う余地のない
『すでに現実化している事柄』なので、

そこにリンクさせる形で、
“追加の願望”として
思考を現実化させるのが、
もっとも“安上がり”なのではないかと。

そんなふうに
考えてみた次第です。





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はい!
ではさっそく具体例ね。

あたし自身の実例なのですが、
あたしはどれだけお金を願っても、
いまのいまだに、
お金を“現実化”できたためしがなく、
いまのいまだに、
貧乏から脱出できていません。

100万円を願っても、
100万円を引き寄せることができない。

まぁ、そんなレベルですわ。




それに対して??
ほんの子供の頃に、
自分の両親に対して、
『この人たちと縁を切りたい』と
願ったところ、
20年がかりで、
それは実現してしまいました。




この件に関して考えるとですね、
当時のあたしは、
カルト宗教の教団内にいて、

教団内にいれば、
宗教だけが世界のすべてですから!

教団内で生きていると、
教団の『外の世界』が存在することさえ、
まったく想像もつかなくなる、
というありさまなので、

あたし自身、
教団をやめることなんて、
その時点では、
想像することさえできなかったのですが。




20年後の
『実現したあと』の視点からみれば、
あたしが教団を脱退してしまうと、
彼ら(両親)はあたしを追跡してこれなくなり。

教団と無関係になることじたいが、
両親と縁を切ることと、
完全に表裏一体だった、
という。



幼少期のあたしが、
『この人達(両親)と無関係になれる人生』を望んだところ、
そのときのあたし自身の視点からは
絶対に想像もつかない形で、
それは叶った。






『お金がほしい』
→お金がぜんぜんやってこない、

という平凡な凡退パターンに比べると、

『両親と縁を切りたい』という、
あたし自身の人生に直接関わることは、

ものすごく大掛かりなことが、
とてつもなく“奇跡的な”形で、
現実化した。

教団の外には、
教団とは無関係の世界が広がっていることを
当時のあたしは
まったく知らなかったが、

“人生が”
あたしをそこに連れて行ってくれた。




だからさ?
ものすごく単純にいうと、

『お金がほしい』
→叶わない

というダメダメさ加減に比べて、




『自分の人生を賭けてしまえば』
どんな大それた願いも、
そのまま叶ってしまう。

そんなふうに言えるのではないかと。





両親との絶縁だけじゃない、

『学校教育と関わりたくない』
『この社会と関わりたくない』
『役所や公的機関と関わりたくない』
『書類作成をなるべくやりたくない』
『戸籍上の本名を絶対に名乗りたくない』

こういった、
一般論的には、
ほとんど不可能に思えるような“願い事”も、
あたしは“まぁまぁな精度で”叶えてしまっています。

お金を引き寄せることさえできないのに、
“なぜ”こぅぃったことが可能なのか?

それは、
あたし自身の人生を、
直接“賭けて”しまっているから。





【わたしはわたしであるゆえに】
【わたし自身を“装飾する”のが願望実現】

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ミミィ お金あげるの大好きー✨✨✨ お金もらうのも大好き💕💕💕💕