【自己紹介】ホロスコープで語る、あたし自身のこと───2026年4月6日
昨日はまるまる1日、ホロスコープの鑑定文を書いて過ごしたのですが。それでも24時までに仕上げることができずに、
本日の午前2時頃の投稿となりました。
♡♡
良いか悪いかは別にして。
あたしの世界観では、
個人のホロスコープでいちばん大事なのはアセンダント、ということになっているので。
『似ているホロスコープ』
というときの基準も、
けっきょく、アセンダントが同じ星座にあれば、度数は違うけれど、似ているホロスコープだ。ということになってしまい。
ここまでアセンダント偏重というのも
珍しいかと思いますが。
ちょっと理解しずらいかもしれません、
これについては、
あたし個人には選択肢は無いのです。
昨日の鑑定文では、
そぅぃゃ一度も太陽について書いてない。
かわりに、
アセンダントが山羊座である、ということに対してだけは、かなりの文字数を費やしていて。
占星術師にもいろいろな流派があって。
読み方ももちろんいろいろあるわけですが。
あたしのなかでは、
『魂がこの世にやってきて』
『肉体に入り込む場所がアセンダント』
ということをもっとも重要視するので、、、、
───というか、そーゆー前提でホロスコープを見ることにして初めて、あたしにもホロスコープが読めるようになった、という経緯がありまして。
ですから、
それとはまったく異なる読み方をしようとしても、そもそもそれは不可能なのですね。
なんというか、
非言語の、言葉を理解することのない存在がホロスコープを解読して、それを後から現代日本語に翻訳する、という感じなので。
その『言葉を理解することのない存在』に対して、アセンダントではなくて、たとえば太陽をもっと重視してください、と指摘したとしても、文字どおりそれは『言葉が通じないので』オーダーできません。
太陽に関しては、
太陽意識の確立、というテーマと、
結婚生活について読むのには使いますが、
それ以上の意義は、
ほかの占星術師たちと同じようには、
あたしは太陽には与えていない。
────余談ですが、昨日の図では、旦那様を尻に敷いている、女性のほうが強い図、という印象を受けました。
月にはむちゃくちゃ強いアスペクトが出来ていて、しかも8ハウスは『組織の一員として力を発揮する』と読んだわけですから。
月が主導権を持つ人生、
太陽にはさほど強いアスペクトは無く、
太陽は5ハウス=自分の部屋に閉じこもって出てこない、かのような印象。
それでですね、
昨日の図では、
『アセンダント山羊座─MC蠍座』
という一点のみが、
あたし(ミミィ)のホロスコープと一致しており。
しかるに、
あたしの視点からは
アセンダントさえ一致していれば、
『似ている図』
ということになりますから!
こぅして言葉にしてみると、
たいへん奇妙な感じではありますが。
あたしのなかでは、
─というか、ホロスコープを直接読んでいる、言葉を理解することのない存在にとっては─
『この図はミミィの図と似ているのに』
『じっさいの生き様はずいぶんと違うね』
─────ということに、
ちょっとばかり葛藤もしたし、
なんだか羨ましくもあったのですね。
その“感覚”が無くならないうちに、
きょうは、あたし自身のホロスコープについて、ちょっと語ってみようと思います。
♡♡
♡♡
♡♡
♡♡

これがあたしの図です。
人間、だれしも、
ある程度の年齢になる頃には、
自分の人生が上手くいっているのか、そぅでないのかは明確に自覚しているもので。
この点をホロスコープと合わせてみると、
『人生が上手くいっている』
という人は、
ホロスコープが指し示している長所を、
みごとに使いこなしている、
ということでもあるし、
そぅでない場合は、
ホロスコープの恩恵を受けることができなかったか、あるいは、ホロスコープという“重荷”に押しつぶされてしまったか。
ホロスコープが指し示す、
『その人だけの絶対的な長所』あるいは、
『その人だけの特別な能力』というのは、
たしかに存在しているのですが。
かといってそれは、
『無償で』与えられているものではなく、
じつは、
それを使いこなせるようになるための、
トレーニング期間、修行時代のようなものが、かならずあります。
昨日の鑑定では、
『ケンカが強い』
『ケンカ大好き』
というふうに読みましたが、
彼女がその資質を生かせるようになるまでは、むしろ、理不尽ないじめを受けていたかもしれない。
能力というのは、
育てなければ身につかない、
ということと、
もぅひとつ、
エネルギーというのは、
『自分で使わなければ』
『他人に使われてしまう』
という“法則”があってですね。
ケンカ──と書いたけれど、ここでは、
『自分の主張を強気で押し通す』
というふうに言い換えましょうか。
自分の主張を強気で押し通す力がある、
というふうにホロスコープには出ていても、
それは、
『生まれつき』
『無償で』
与えられるわけではありません。
自分の特質を、自分で使いこなせるようになるまでは、それ相応のトレーニングが必要であるし、
(能力の会得後には)
ものすごく自己主張の強いキャラになる、
ということは、
それをしなかった場合でも、
とりあえず、
『生意気に見える』
ということですから!
自分で自分の能力に気づくことがなく、
自分で自分の長所を引き出そうとしない場合は、
『こいつ生意気だな』とかいって、
理不尽ないじめに遭わされることもありえます。
そのときに、
『そんなことされる筋合い無いんだけど?』
ってはっきり言えるようになれれば、
自分でも不思議なくらいに、
『相手が勝手にビビってしまって』
『即座にいじめるのをやめた』
みたいな展開になったりもするわけです。
このへんの、
『持っている能力を使おうとしない』
ことが、
ひどく理不尽な展開を連れてきて、
しかし、
『使う!』
と決意しただけで、
あっけなく局面が変わってしまう、
といった“現実”は、
ホロスコープを読めると分かる、
不思議だけれど不思議ではない
“不思議現象”ですね。
そぅしてまぁ、
最初の話に戻ると、
『自分の人生が上手くいっているか』否かが当人のなかで確定するのは、
さしあたっては、
『太陽意識が確立できたか』
ということと一致しており、
そぅすると、
それは『太陽期の』26~35歳で
決まるのではないかと。
そぅして、
よりによってあたし(ミミィ)はいま、
35歳だったりするわけですね。
♡♡
♡♡

『ふつう』という選択肢を認めず、
『わたしの人生は上手くいっている』
『わたしの人生は上手くいっていない』
このふたつのどちらかを選べ、
ということなら、
あたしとしては、
『上手くいっている』
のほうを、迷いなく選びます。
あ!これは余談ですが、
『ふつう』等の中間的な選択肢を認めず、
YES/NOの二択で考える、
という方法論は、
思考実験としてはかなり有用です。
『あたしは美人かブスか?』
(ふつう、という選択肢は認めない)
『あたしはビンボーか裕福か?』
(ふつう、という選択肢は認めない)
こんなふうに、
中間選択肢の無い二択、という形で、
自分自身について考えてみると、
意外なことが分かったりもします。
なので、
文章として発表されることは稀ですが。
あたしはあたし内部での思考においては
『二択で考える』という方法論は、
わりとよく使用しています。
それでね?
『上手くいっている』
のほうを選んだ、ということは、
ホロスコープとの関連でいえば、
『ホロスコープがもたらす特質を』
『存分に活かすことができるようになった』
ということになりますね??
これはだいぶむかしの話なのですが。
(※2011年)
あたしがあたしのホロスコープを
はじめて見たときの第一印象は、
『刑務所か精神病院がお似合い』
という、
なんとも酷いものでした💦
刑務所か精神病院にぶちこまれてしまって、
死ぬまでそこから出られない、
というような。
おかげさまで、
そのような“憂き目”に遭うことなく、
今日まで生きてこられたわけですが。
よくよく思い出してみると、
それ、両親の思考なんじゃないのかな??
『この子はきっと』
『刑務所か精神病院で人生を終えるにちがいない』
という。
両親は、彼らの信じている宗教のことしか考えられない人達だったので。ホロスコープのことはまったく知りません。
それでも、
彼らが内心考えていたことが、
“水面下で”あたしにも“転写”されていて、
あたしがホロスコープを勉強しはじめたら
その思考が表面化した。
────いまならそんなふうに考えますが。
西洋占星術の勉強を始めたあの頃は、
刑務所か精神病院がお似合い、
というていどの自画像しか無かったし、
そぅして、
そんな自画像に丁度よくマッチするホロスコープが、
『あたしのもの』として登場してきたのです。

あたしのホロスコープは、
東西でいうと東側がやたらと強くて。
その路線で考えるのなら、
アセンダントには土星、
MCには冥王星、
とかいう、
ちょっと“あたまおかしい”配置、
なのですよ。
この図に相応しい生き方って??
『独善的で』
『超エラソー』
だからさ?
ちょっと訳わかんないこと言うけど、
あたしはあたしのホロスコープが指し示す人物になるために、
『努力して』
偉そうに振る舞う術を体得したし、
『努力して』
自説を一方的に述べまくるスタイルを
身につけたわけです。
ホロスコープが指し示しているエネルギーは
『自分で使おうとしなければ』
『他人に使われてしまう』
というのが“法則”ですから!
あたしがあたしのことを
『独善的で、偉そうに自説を述べる人』
として確立させるまでは、
独善的で支配的なバカに
『一方的に支配される人生』
に、なってしまうわけですよ。
あたしは他人を支配することに興味は無いけれど、それでも、自分で自分のエネルギーを使おうとしないうちは、それは他人に使われてしまうことになり。
理不尽な支配、
という形でそれは“現実化”しました。
そぅしてそれは、
あたしがみずから
『おまぇなんかに命令されたくねーよ!』
と宣言するまでは、容赦なく、いつまでも続いてしまうわけですね。
あたしは他人を支配することには、
まったく興味は無いけれど。
しかし、
不要ないしは有害な相手のことは
交渉など一切せずに
『一方的に』縁を切ってしまいます。
なにせ、
両親と縁を切ったことが、
武勇伝のようになっているという
ありさまですからね!
『縁を切る』などという、
こんなにも“極端な”やり方が、
なんで必要になるのかというと、
『偉そうに一方的に自説を述べる』
という“自分自身を確立”させるためには、
意見が合わない相手を、
そばに置いておく余裕は無いから、
なのですね。
とはいっても、
ひとたび
『自分自身が確立されて』しまえば、
──遠慮なく偉そうに自説を述べられるようになってしまえば──
それ以降は、
他人との意見の相違は
問題にならなくなります。
じっさい、
いまの旦那様とは、
意見が合うことなんてほとんど無いのですが。
そんなこととは関係なく、
しあわせな夫婦生活を実現しています。
【人生の目的は“自分自身になる”こと】
【しかしその道のりは、全く容易ではなく、】
いいなと思ったら応援しよう!
お金あげるの大好きー✨✨✨
お金もらうのも大好き💕💕💕💕