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昭和時代への憧憬、昭和時代というカルマ───2025年11月7日

半月つづいた秩父の山奥現場が、
きょうで終わった。

警備員歴10年目にして、
この仕事やっててほんとうによかったって思える現場に当たったのだけれど、

たぶん、こんな感想を持つのはあたしだけ。



近代文明にすっかり毒されてしまった、
近代人の身体に生まれたあたしは、

木こりや山伏や忍者や仙人のように
自然界に溶け込んで生きることは
もはや不可能なのだけれど。

それでも、
心象としては
都市生活よりも自然界のほうが好き。



そんなあたしにとって、
つまらないと思っていたこのお仕事で、
毎日を人里離れた山奥ですごすことができ、
ときには、スマホの電波さえも届かないような“異常な”場所に行けるなんて、
とても、とても、嬉しかったのです。



ちょっと疲労困憊の度合いも激しいので、
きょうはここまでで終わりにしても
良いのだけれど。




『山奥を歩き回ることに』
なぜここまで魅かれるのか??
ということについて、
最終日のきょうになって、
予想外の気づきを得られたので、
それについて書き残したいと思います。




♡♡





♡♡





無料部分にも要約を載せておくとしたら、
おおむね以下のとおり。




秩父地方というのは、
埼玉県のなかでも“さいはて”に属し、

また、平成の大合併によって、
秩父市は大滝村と荒川村を併合しているため
秩父市内でも僻地の辺鄙さはものすごくて、
山梨県、長野県、群馬県との県境は、
いずれも秩父市内にあるものについては、
かなり極端な山越えになる。

山梨県との県境については、
国道140号には雁坂トンネルがあるので、
まぁまぁ太いルートであると言えるが、

長野県との県境の道は
もともと林業関係者専用の道(=林道)だったが災害により現在は通行止め。
群馬県との県境の道は、
狭くて危険な隘路です。

(※群馬県へは、秩父市内からでなくて良ければ国道254号や関越自動車道などが埼玉から群馬への優良な道路として存在します)




♡♡




でね?
ここまでなら『大自然を愛でる』ことの範囲内でもある。

だけどね、ほんとうに衝撃的だったのは、
だいたいどこへ行っても家は空き家だらけで、
ひどいところは集落ごと廃墟。

ここまでなら人口減少と過疎化の話、
それだけでもじゅうぶん衝撃的だけれど、

あたしがほんとうに驚いたのは、
廃屋のうちの何割かは、
じつに、観光施設だったりして。

『むかしは』ここら一帯も観光地だったのに
『いまでは』誰も来なくなって廃墟。

これが、ものすごく衝撃的だった。




だからね?
埼玉県の秩父の山奥くらいでも、
“昭和人”にとっては、
立派な観光地だったのです。




しかもさ?
閉鎖になった観光施設の数と規模から推測すると、かなり大勢の観光客が、大挙して押し寄せていたはずなのよ??





昭和史(戦後史)を軽く振り返ると、

海外旅行の解禁は1964年のことで、
それまでは、どんな大金持ちでも、旅行目的での海外への渡航は不可能だった。

あるいは沖縄返還は1972年だから、
それまでは沖縄は外国ですよ??

それでいて、
朝鮮特需、神武景気、いざなぎ景気で、
経済成長だけはすさまじい。

そしたら、
みんな『旅行でも行こうか??』ってなって

しかも、
マイカー普及率が過半数こえるのは、
1980年代からだから、
それまでは、
旅をするにも電車とバスが中心。



だから、

たとえば東京に住んでいる人が、
日帰りか1泊2日くらいで、
電車乗り継ぎでも観光バスでも、
秩父の山奥を訪ねることができれば、
レジャーとしてじゅうぶん愉しめた。

そんな状況だったのでは、
ないでしょうか??




そぅして、
いま(2025年現在)とは比較にならないほど、
当時は人口も多かったのです─────。




♡♡





あたしは平成3年生まれですけど。




あたしには、
昭和時代の記憶が鮮明に残っていて。






これは断言できます。





『あまり表沙汰にならないだけで』
同じような記憶の持ち主は、
きっと大勢いるはずです───────。





♡♡

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