電子書籍に書けなかった『イジイジ民』の9月22日
9月22日は、わたしにとって特別な日だ。
3年前の今日、わたしは頭蓋骨に穴をあけ、神経と血管を引き離す手術を受けた。
文字にすると他人事みたいだが、あの日のわたしにとっては、7年の苦しみを終わらせる「一世一代の賭け」だった。
以来、毎月22日を「健康を振り返る日」と決めている。
そして今日もまた、あの日を思い出している。
病名が発覚したのは10年前くらいだろうか……。
病気を通して得た気づきを綴った電子書籍を、今年の3月2日に出版した。
健康は当たり前に手に入るものではない。
睡眠・栄養・休養という日々の営み。
そして、体だけでなく、心の状態にも影響する。
だからこそ、この日が来るとわたしは
「生きること」そのものを考え直すのだ。
これから語るのは、
手術の2日前から当日の話……
そう、電子書籍には描ききれなかった出来事である。
すでに拙著を読んでくださった方も、きっと
「初耳エピソード」が多いはずだ。
あなたにも「不安な夜」を過ごした経験があったり、
「支えてくれた人」がいらっしゃったら、
そのことを思い出しながら読んでいただけるとうれしい。
1. 9月19日:不安を抱えた出発前夜
手術の3日前、2022年9月19日、
福岡に台風が直撃。
会社は臨時休業、ろくに挨拶もできないまま治療のための休暇に入った。
ゴーゴーと風が吹き荒れる中、鬱が悪化し入退院を繰り返す実家の母が、何度も電話をかけてきた。
「明日、東京に行けるの?飛行機飛ぶの?」
心配する声に、わたしは笑って強がった。
「飛行機が飛ばなければ新幹線で行けばいい、病院だって事情を話せばわかってくれるでしょう?
最悪、21日の午後までに病院についていたら、きっと大丈夫!」
自分にも言い聞かせるようにくり返し答えた。
予定では10日の入院。
そして、退院後、念のために1週間の滞在。
それに備えて、荷物はスーツケースにぎゅうぎゅうに詰め込んだ。
蓋が閉まらず、旅行慣れした友人の教え通り、スーツケースの上に乗って体重をかけて、最後のファスナーをしめる。
外の暴風雨の音に耳を傾けながら、思わず口からこぼれ出た。
「こんな時に限って……荷造り、もう終わったし」
わたしは、行けるかどうかの不安、手術の不安、そして……母は大丈夫かという不安を抱え、一晩を過ごした。
2. 9月20日:揺れる心と家族の衝突
翌20日、いざ東京へ。
前日は「気分が上がる元気な場所」で過ごしたかった。
韓国グルメと、年甲斐もなく韓流コスメが大好きだったわたしは、新大久保に歩いていける、東新宿のホテルを予約していた。
しかし、お昼に福岡空港を飛び立つ便は遅延に遅延を重ね、羽田空港に着いたのは18時すぎ。
ホテルにチェックインした頃には、すっかり夜だ。
慌てて「現地調達品」の紙コップやストロー、小さなはさみなどを買いに行った。
白い大きなレジ袋を抱えたままの「入院前の最後の晩餐」は、選ぶ余裕すらなく、24時間営業の明洞のりまきへ。
優しい味の水餃子スープが胃に染みわたる。
ホテルへ戻ると、関係が最大に悪化した兄夫婦と、父からの連絡攻撃が待っていた。
鬱を患う母のことで、兄弟と関係が悪化し、父とは元々折り合いが悪い。
なのになぜ?と思われるだろう。
兄夫婦は「わたしの執刀医のすごさ」を知って、有名人をひと目見たいと言わんばかりの様子だった。
「お前どうやって探したの?」「誰の紹介?」
「金でも積まないとそんな先生がお前なんか執刀するワケがない!」
今思い出しても腹立たしいが、この男は、我が兄ながらものすごく失礼極まりない人種なのだ。
そして
「家族の誰かが行かないと!」
と言い出した。
あ~……腹が立つ。
わたしの中に流れる血液を誰かと取り替えたい気分だった。
「何のために家から遠く離れ、付き添い不要の病院を探したと思ってんの?
だいたいこの状況で、付き添いも面会もできるわけないやん!
アンタさ、家でわたしになんて言った?近寄るな!って言ったよね?じゃあ来るな!」
我慢できず、まくしたてる。
時はコロナ禍。
都内の患者さんでさえ、手術時にご家族が院内で待機する様子は
(少なくとも私が入院した病院では)みかけなかった。
面会もできず、洗濯物や着替えなどの受け渡しは受付の守衛さんがされていたほどだ。
兄をぐうの音が出ないくらいにやり込め、義姉の無神経なLINEにも
「昨日寝てないの!今日はゆっくり寝たいから、連絡してくるな!」
という意味を込めた、ものすごく丁寧なメッセージに変換し、スマホを置く。
5分後、今度は父から
「Y子さん(義姉)に聞いた!鍼治療で治るげなやんか!
この馬鹿が!戻ってこい!」
……耳を疑うことを平気で言う。
残念ながら、すべての「可能性のある治療」はお試し済みだ。
なんなら、占いに祈祷にお札までお試し済みなのだ。
なのに!
……なんなの、この〇ソジジイ!
そう叫びそうになるのを必死に抑え、
「わたしはすべてお伝えしてきましたが、覚えていないようですね。
針なんて何年前に試したとお思いで?
全部だめだから手術するんでしょうが!
もう、全部終わるまで連絡してこんで!」
わたしのどこからこんな声が出るんだ?というくらいの低い声で、異様なビブラートを効かせて告げた後、一方的に電話を切った。
わたしの決断は一体なんだったの?
腹が立って涙が止まらない。
このまま寝たら、顔はパンパン、目はぼっこり腫れる。
ただでも顔面けいれんで酷い顔になっているのに……。
自分の顔のゆがみを見て一瞬笑うと、おさまらない怒りをどうにかしようと、手術の説明書を取り出して、蛍光ペンで重要な箇所に線を引いた。それはまるで、一夜漬けで試験に挑む受験生のようだった。
本当は怖くてあまり読みたくなかったが、読まないわけにはいかない。
そうして一睡もできないまま、朝を迎えた。
3. 9月21日:知らない世界の小さな救い
手術前日の21日。
朝8時半に入院窓口へ向かう。
「遠くからよくいらっしゃいました」の一言に、まるで予約していたホテルにでも着いたかのような錯覚を覚えるが、そうではない。
頭を切って、悪さをしている血管を突き止めてもらいにきたのだ。
順調にいけば9月末日に退院できる。
まだ何もしていないし何も始まらないのに
「月をまたぐと医療費が2倍……頼みますよ、わたし!」
と、自分を鼓舞したことを思い出す。
病室は、秋の日差しがさんさんと降り注ぐ4人部屋の窓際だった。

この病院は、4人部屋でも窓際は有料だった。ただ、不幸中の幸いとでも言おうか、わたしは手術翌日まで、広い部屋をひとり占めしていた。
荷物を整理し、ベッド周りを整え、持参したパジャマに着替える。もっとおたおたすればいいのに、こんな時に限ってすんなりとことが運ぶ。
おもむろに「手術受験」のテキストを取り出し、読み返していると、現れた看護師さんに「すごい!受験生みたいですね」と笑われた。
その手には『ロキソニンテープ』が。
開頭手術のあとは、頭はもちろん、首や肩の動きが一部制限される。その凝りを見越して、主治医が先に処方してくれていた。
「ああ見えて、A先生はちゃんと考えてくださるんですよ。優しいから!」
と、看護師さんはふたたび笑って去っていった。
その数時間後、主治医から手術の説明を受けた。
入院前検査の時は「ここでちゃんと時間を取って下さるので、不安なことは何でも効いてくださいね」と言われていたのに……。
なんと、2日前に手術予定だった方がコロナに罹患し、強制的に退院していた。
そう、主治医は思わぬ形で「濃厚接触者」となったのだ。
遠くから、管理しきれない患者を受け入れる。
今、改めて考えると本当にすごいことだが、この時は不安しかなかった。
「こういうわけだからサクサク行くよ!」
「明日、僕かあなたかどちらかが熱だしたら中止!福岡に帰ってね」
はい、と言う隙も与えないくらいのオーラとスピード感で話は進む。
マーカーで線を引きまくった「手術受験」のテキスト開くと
「へ~、よく勉強してる」とニヤリと笑い、さらに赤鉛筆で加筆すると、
サクサク入試説明会ならぬ、手術説明会と、同意書サイン会は終わった。
張り詰めた空気の中「大丈夫なのかしら」と不安が押し寄せる。
そのような中、救いになったのは、主治医以外の医師や看護師の方たちの存在だった。麻酔科医や他の科の医師、栄養士など、多くのスタッフが「A先生はすごい方だから大丈夫!」「本当に素晴らしい先生だから、安心して臨んでください」と、背中を押してくれた。
家族は誰一人味方ではなかったけど、知らない場所で初めて会った人たちの優しさに、わたしは深く救われた。
質素な夕食が済むと、絶食時間を迎える前に「ブラックサンダーを食べておきたい!」衝動に駆られる。売店が閉まるギリギリに買いに行き、それは「勝負のおやつ」と化した。安くて体に悪そうなブラックサンダーは、わたしの勝負の源になっていた。
4. 9月22日:手術当日 恐怖との対峙
前日の家族とのいさかいで一睡もできなかったのが功を奏し、消灯前に気絶するように眠っていた。
そのせいで、当日は3時55分に目が覚める。
今なら「早めに朝活開始!」と言えるが、その時は押し寄せる恐怖に、もう眠れない。
渡された手術着を広げ、着方を確認するも、震える手では紐の組み合わせがわからなくなる。沢山のホックとマジックテープを確認し、呆然と立ち尽くしていると、LINEの通知が鳴った。
家族の中で一番まともな次兄からだった。
「お前が昨日かーちゃんに送ったLINE、スマホの調子が悪くて、今全部届いた。ちょっと言うか迷ったけど、お前が手術してる時間に、こっちもかーちゃんを病院に連れて行く。入院しないとまずそうだ。多分今回も長くなる。お前は自分のことに集中しろ。こっちのことはこっちでやるから、自分が治ることだけ考えて手術に臨め」
わたし……昨日の夕方、電話で話したのに。
その時はまだ、大丈夫そうだったのに……。
20日の夜の衝突もあり、自分の決断が正しかったのか一瞬迷った。
しかし、次兄からの「お前は自分のことに集中しろ」という、普段からは想像のつかない一言が、わたしにとって何よりの救いになった。
5. 手術台への一歩
8時。点滴のルートは、主治医が直接取りに来てくれた。右耳の後ろに赤いペンでぐりぐりと印をつけると、左手甲の、細すぎるダメ血管を選別しながら狙いを定めた。一発で仕留めた血管に「せめて数時間は持ってくれよ〜」と言いながら、輸液を調整している。

その姿を見ていたら、たまりかねて言ってしまった。
「母が入院して、何回も手術を諦めようと思った。いったんは大丈夫になったけど……また今日入院する」と。それを聞いた主治医は顔色ひとつ変えずに「医療には恐怖を伴うことはあるよ。じゃあ手術室で待ってます」と告げると、スタスタと病室を後にした。
「言わなければよかったな……」
我慢できずに口にしたのに、なんとも複雑な気持ちになった。
いよいよ手術室へ。
ドラマで見るそれとはちょっと違って、少しこぢんまりとして、明るい空間だった。
オペに関わる医療者たちの緊張感の方が、ずっと強く伝わってきたくらいだ。
「~の病気で、受ける術式は〇〇で、それはどの部位で、どんなことをするのか?」とオペ前試験に口述回答し、いくつかの器具をつけられ、手術台への移動を促される。
その時……恐怖で足が止まってしまった。
逃げ出したい!でも……逃げるわけにはいかない。動けない自分に
「このままの格好で音楽のステージに立つか、この台に登って手術を受けるか、どっちがいいの?」
と強く問いかけた。
その問いに押され、わたしは震えながらも一歩を踏み出した。
麻酔が入り始めると腕がピリピリと痛む。初めての感覚に、思わず麻酔医に訴えると、オペ看さんが急いで腕をさすってくれた。
一切記憶が遠のく要素はない。それどころか、気道が狭まり息が止まるような感覚に襲われた。
「ああ、〇ぬかも……」と本気で思ったのが、手術前最後の記憶だ。
次に気がついたのは、名前を呼ばれる声。意識が朦朧とする中、胸の上でお祈りポーズのように組まれた手を、主治医がンポンと叩きながら「大丈夫!大丈夫だからね」と声をかける。
その時、目覚めたわたしに一番最初に映った主治医の顔は、まるで「親鳥」のように見えた。あんなに怖かったのに……親鳥に救ってもらった「巨大ひよこ」の誕生だった。
6. 術後の夜 無理をしない選択
手術は無事に終わり、ICUではなく病室に戻った。
麻酔医から「三半規管が弱いから、デフォルトで吐くことを覚悟してね」と予告されていた。
でも、術後4時間で水を飲んでも、数時間後に端座しても、戻すことはなかった。
「迷惑かけなくてよかった……」
ひとりで入院する、というのは、こういう事すら申し訳なく感じるのだ。
だから「今日は夜間が手薄なので……無理して歩かなくていいですよ!歩いたら尿道カテーテルをはずすので、その……点滴しているとお手洗いが……」と、言いづらそうにしている看護師さんの気持ちが痛いほど伝わる。
「とても歩けそうにないので、明日の朝まで待ちます」
力なくそう答えるのが、自分にできる精一杯だった。
その気持ちとはうらはらに、主治医は「歩かないの~?」と声をかけてくる。しかも何度も!
きっと「術後当日に歩きました選手権」でも開催してるのだろう。
そう思って聞き流そうとするが
「他の患者さんにできることが……わたしにはできないんだ」
そんな気持ちも沸き起こる。
夜になり、熱が38度まで上がり、熱にうなされながら一晩を過ごした。
痛み止めの点滴が入っているのに、頭をどう動かしていいかわからず、身動きも取れない。
ふと「無理をしない。自分をこれ以上追い詰めない。これでいいの!」
一見弱気な選択こそが、自分を守る最善の方法だと気づかされた。
7. 3年後の9月22日、わたしからあなたへ
今朝、この文章を作りながらあの日のことを思い出し、また涙がこぼれた。
今日、3年の節目に上京し、お礼参りやとあるミッションを遂行しに行く予定だった。いくつかのよくないことが重なり、さすがに無理して上京するべきではない、と判断した。でも、すぐに予定を組み替え、次に行く日を決めている。
生きることは、常に良い形にできるわけじゃない。
実は「あなたの考え方が悪いから、ずっと変わらないままだ」と言われた。
でも、それすらさっさと忘れた方がいいことだって、きっとある。
「わたしのことはわたししかわからない」し
「誰がの心は変えられない」から!
忘れられることは忘れ、変えられることは変え、自分の心に折り合いをつけながら、元気に過ごしていけたらいいな、と思う。
9月22日は、わたしにとって特別な日だ。
毎月22日も、月命日のように「健康にまつわる色々なこと」に想いを馳せるだろう。
ただ過去を思い出し、イジイジ苦しむ日ではなく、それを経験したわたしが前に進む日。
そして、健康とは「当たり前ではなく有難いもの」だと再確認する日として、これからも大切にしていきたい。
【朝活614日目】おはようございます!3年前の今日、私は4時に目覚め、ベッドサイドにおいた手術着を「どうやって着るのかしら……」と震える手で広げたり畳んだりしていた。
— みむら@チリツモチャレンジャー (@mimulabo11) September 21, 2025
「怖いな、ちゃんと治るかな。それより……ちゃんと目覚めるのかな」
恐怖に支配されて、どうしても前向きになれない。… pic.twitter.com/W5LHQzSHfT
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