暗号資産取引所って、結局なに?暗号資産取引所って、結局なに?
「預ける」と「自分で持つ」の違いを考えてみた
第一章 私は「買う場所」だと思っていました
ビットコインを買ってみよう。
そう思ったとき、多くの人が最初にたどり着くのが「暗号資産取引所」ではないでしょうか。
私も、最初はとても単純に考えていました。
暗号資産取引所とは、
ビットコインなどの暗号資産を買ったり売ったりする場所。
株を買うなら証券会社。
外貨を交換するなら銀行や両替所。
暗号資産を買うなら暗号資産取引所。
そんなイメージです。
もちろん、それは間違いではありません。
でも、ウォレットや秘密鍵について調べたあとで、もう一度「取引所」という存在を見てみると、ひとつ気になることが出てきました。
取引所でビットコインを買ったとします。
画面には、
「0.01 BTC」
などと表示されます。
それを見れば、
「私のビットコインがある」
と思います。
では、そのビットコインを動かすための秘密鍵は誰が持っているのでしょう。
前回までの記事で、秘密鍵は資産を動かす権限につながる、とても重要なものだと知りました。
それなのに、取引所で暗号資産を買ったとき、私は秘密鍵を受け取った覚えがありません。
シードフレーズを書き留めた覚えもありません。
IDとパスワードでログインすれば、自分の資産が表示されます。
……あれ?
それなら私は、
何を「持っている」のでしょう。
ここから、取引所という存在が、ただの「暗号資産を買うお店」ではないことが少しずつ見えてきました。
第二章 取引所にある暗号資産の「鍵」は誰が持っている?
前回、セルフカストディ型のウォレットについて調べました。
自分で秘密鍵を管理し、自分で資産を動かすための権限を管理する。
とても簡単に言えば、それが「自分で鍵を持つ」ということでした。
一方、中央集権型の暗号資産取引所に資産を預けている場合は、仕組みが違います。
多くの場合、利用者一人ひとりが自分の秘密鍵を直接管理するのではなく、取引所側が顧客の暗号資産を管理する仕組みになっています。
こうした、他者の資産を預かって管理することを、
カストディ(custody)
と呼びます。
少し難しい言葉ですが、「保管」「管理」「預かり」に近い意味です。
ここで、私は少し混乱しました。
「でも、取引所の画面には『私のビットコイン』として表示されているよね?」
そうなのです。
画面上では、確かに自分の残高として表示されています。
売ることもできます。
条件が整えば、外部のウォレットへ送ることもできます。
でも、
「自分の残高として記録されていること」
と、
「その資産を動かすための秘密鍵を自分自身で管理していること」
は、同じではありません。
ここは、第15作で考えた「持つ」という言葉にもつながります。
私たちは普段、
「ビットコインを持っている」
と簡単に言います。
でも、その「持っている」には、いくつかの形があるのです。
自分で鍵を管理して持つ。
誰かに鍵の管理を任せて持つ。
画面に見えている数字だけでは、その違いは分かりにくい。
でも、その裏側では、
「鍵を誰が管理しているのか」
という大きな違いがあります。
第三章 でも、私たちは昔から「預ける」をしている
ここまで読むと、
「では、誰かに預けるのは危ないの?」
と思うかもしれません。
でも、私はそこで少し立ち止まりました。
考えてみれば、私たちは昔から、大切なものを誰かに預けています。
一番身近なのは、銀行です。
給料が振り込まれる。
ATMで残高を見る。
振り込みをする。
公共料金が引き落とされる。
私たちは毎日のように銀行を使っています。
もちろん、銀行預金と暗号資産取引所への預託は、法律上も仕組み上も同じものではありません。
銀行預金には銀行制度としての法的な枠組みがあり、日本では一定の条件のもとで預金保険制度もあります。
暗号資産には価格変動があり、銀行預金と同じ保護制度がそのまま適用されるわけでもありません。
ここを一緒にして考えることはできません。
それでも、ひとつ共通していることがあります。
私たちは、
「自分ですべてを管理するのではなく、誰かの仕組みに預ける」
ということを、日常的にしているということです。
では、なぜ預けられるのでしょう。
信用しているから。
でも、それだけではありません。
法律があります。
規制があります。
監督があります。
問題が起きたときのための仕組みがあります。
つまり私たちは、
単に「この会社なら大丈夫そう」と思っているだけではなく、
その後ろにある制度や仕組みも含めて信用しているのだと思います。
では、暗号資産取引所ではどうでしょう。
ここでWeb3らしい、少し不思議なことが起こります。
ブロックチェーンは、中央の管理者だけに頼らずに記録や取引を成り立たせるための仕組みとして発展してきました。
ところが、その世界へ入るために、多くの人は「取引所」という中央のサービスを利用します。
誰かだけを信用しなくても成り立つ仕組みへ入るために、まず誰かを信用する。
なんだか少し、不思議です。
第四章 なぜ、わざわざ取引所を使うの?
では、最初からすべて自分のウォレットで管理すればよいのでしょうか。
理屈だけなら、そう考えることもできます。
でも、実際には簡単ではありません。
初めて暗号資産に触れる人が、自分だけですべてを行おうとすると、
ウォレットを用意する。
秘密鍵やシードフレーズを管理する。
送金先アドレスを確認する。
使うネットワークを理解する。
手数料を確認する。
誤送金をしないよう注意する。
いろいろな知識が必要になります。
一文字間違えたらどうなるのだろう。
ネットワークを間違えたら?
シードフレーズをなくしたら?
初心者には、かなり怖い世界です。
そこで、取引所が大きな「入口」になります。
日本円を入金する。
暗号資産を選ぶ。
金額を入力する。
購入する。
比較的分かりやすい操作で、暗号資産を買うことができます。
秘密鍵を自分で直接扱わなくても利用できます。
ログイン情報を忘れても、本人確認などを経てアカウントを回復できる場合があります。
つまり、取引所は単に「売買する場所」ではありません。
Web3の複雑さの一部を、代わりに引き受けてくれている場所
とも考えられます。
だから便利なのです。
でも、ここで大切なのは、
自分がしなくてよくなったことは、
消えてなくなったわけではない
ということです。
誰かが、代わりにしてくれています。
秘密鍵を管理する。
セキュリティを維持する。
売買の仕組みを用意する。
日本円と暗号資産をつなぐ。
私たちは、その仕組みを利用することで便利さを受け取っています。
第五章 「預ける」ということは、何を渡しているのだろう
ここで、私は「預ける」という言葉について考えました。
私たちは、
「銀行にお金を預ける」
と言います。
「取引所に暗号資産を預ける」
とも言います。
もちろん、この二つは制度として同じではありません。
でも、「預ける」という行為そのものを考えると、ひとつ共通するものがあります。
大切なものを誰かに預けるとき、私たちは資産だけを渡しているわけではありません。
そこには、
信用
があります。
「この人なら大丈夫。」
「この会社なら守ってくれる。」
「この仕組みなら、必要なときに返してもらえる。」
そう思うから、預けられます。
つまり、
預けるということは、資産の管理と一緒に、信用も相手へ託すこと
なのかもしれません。
では、その信用は、何によって生まれるのでしょう。
会社が大きいから?
利用者が多いから?
有名だから?
テレビCMをしているから?
長く続いているから?
それらも、判断材料にはなるでしょう。
でも、それだけで本当に十分なのでしょうか。
暗号資産の歴史には、この「信用」について大きく考えさせられる出来事がありました。
第六章 「大きな会社だから安心」とは限らなかった
2022年、世界的な暗号資産取引所だったFTXが経営破綻しました。
FTXは、決して誰も知らない小さなサービスではありませんでした。
世界的に知られ、多くの利用者を抱えていた大手取引所のひとつでした。
それでも、経営への信用が急速に崩れ、資金繰りが悪化し、破綻へと進みました。
日本でも当時、FTX Japanに対して行政処分が行われています。
ここで大切なのは、
「FTXは危険な会社だった」
という一言で終わらせることではないと思います。
もっと大きな問いがあります。
私たちは、何を見て「信用できる」と判断しているのでしょう。
会社の大きさ。
知名度。
利用者数。
広告。
有名人。
きれいなアプリ。
それらは、「安心そう」と感じる材料にはなります。
でも、
安心そうに見えることと、本当に安全であることは同じではありません。
以前、「価値と信用」について調べたときにも、似たことを考えました。
みんなが価値があると思うから、価値が生まれるものがあります。
信用も、どこか似ています。
多くの人が信用している。
有名だから信用できる気がする。
長く続いているから大丈夫だと思う。
私たちは、知らないうちに、いろいろなものを手がかりに「信用」を作っています。
でも、
「みんなが信用している」ことと、「絶対に安全である」ことは同じではありません。
FTXの出来事は、そのことを強く見せた事例のひとつだったのだと思います。
第七章 では、日本の取引所なら絶対に安全?
ここで、日本に住んでいる私たちにとって重要なことがあります。
日本では、暗号資産交換業を行うための登録制度があります。
顧客資産の管理。
セキュリティ。
利用者への情報提供。
事業者として守るべきルール。
こうした利用者保護のための枠組みが設けられています。
過去の暗号資産流出などの問題を受けながら、制度は少しずつ整備・強化されてきました。
では、
「金融庁に登録されている国内取引所なら100%安全」
なのでしょうか。
もちろん、そういう意味ではありません。
どんな会社にも、リスクはあります。
経営上の問題が起きる可能性。
システム障害。
サイバー攻撃。
人為的なミス。
規制があるからといって、すべての事故を防げるわけではありません。
ルールは、
「絶対に何も起きない魔法」
ではないのです。
それでも、ルールがあることには大きな意味があります。
誰でも勝手に事業を始めてよいわけではない。
顧客の資産をどう管理するのか。
どんな体制が必要なのか。
問題が起きたとき、誰が監督するのか。
そうした枠組みを作ることで、利用者を守ろうとしています。
ここで私は、
「信用」というものが、少し違って見えてきました。
信用とは、
「私はこの会社を信じます」
という気持ちだけではない。
信じられる状態を作るための仕組みも、信用の一部なのではないか。
そう思いました。
第八章 では、自己管理なら安全なの?
ここまで読むと、
「やっぱり取引所に預けず、自分のウォレットで管理した方が安全なのでは?」
と思うかもしれません。
でも、前回の記事で見てきたことを思い出します。
秘密鍵。
シードフレーズ。
紛失。
盗難。
フィッシング。
誤送金。
そして、自分に何かあったときの継承。
自己管理には、自己管理の難しさがあります。
シードフレーズを完全に失えば、誰かに、
「再発行してください」
と頼めるとは限りません。
詐欺にだまされて秘密情報を渡してしまえば、資産を失う可能性があります。
つまり、
取引所に預ければリスクがある。
自分で管理してもリスクがある。
では、どちらが安全なのでしょう。
私は最初、
「どちらが安全なのか」
という答えを探そうとしていました。
でも、調べていくうちに、
質問そのものを少し変えた方がいいのではないか
と思うようになりました。
「どちらが安全か。」
ではなく、
「どんなリスクを、誰が引き受けるのか。」
取引所へ預けるなら、
事業者の経営や管理、システムなどに関するリスクがあります。
自分で管理するなら、
秘密鍵の保管や誤操作など、自分自身の管理に関するリスクがあります。
リスクが、
「あるか、ないか」
ではない。
リスクの場所が変わる。
そう考えると、少し分かりやすくなりました。
第九章 便利さは、「誰かに任せること」でできている
ここまで調べてきて、私は暗号資産とは少し離れたことを考えていました。
私たちの生活は、
「誰かに任せること」
で、とても便利になっています。
銀行にお金を預ける。
クラウドに写真を保存する。
メールをサービス会社のサーバーに置く。
スマートフォンのデータをバックアップしてもらう。
全部を自分だけで管理しようと思えば、とても大変です。
だから私たちは、一部を誰かに任せます。
そして、その代わりに便利さを受け取っています。
考えてみれば、
便利さとは、自分がしなくてもよいことが増えること
なのかもしれません。
でも、
自分がしなくなったことは、消えてなくなったわけではありません。
誰かが代わりにしています。
取引所も同じです。
秘密鍵を管理する。
セキュリティを維持する。
取引の仕組みを作る。
日本円と暗号資産をつなぐ。
難しい部分を代わりに引き受けてくれるから、私たちは簡単に使えます。
だから、
便利さと信用は、とても近いところにある。
のだと思います。
便利になればなるほど、
「誰を信用して、この便利さを使っているのか」
が見えにくくなることもあります。
ボタンひとつで買える。
パスワードを入力すればログインできる。
数字が画面に表示される。
あまりにも簡単なので、その後ろにある仕組みを意識しなくなる。
でも、その仕組みが止まったとき、
初めて気づくのかもしれません。
私は、この便利さを誰かに任せていたんだ。
と。
第十章 「自分で持つ」と「誰かに預ける」の間に
第15作では、
ウォレットについて考えました。
第16作では、
秘密鍵とシードフレーズについて考えました。
そして今回、
暗号資産取引所について調べました。
三つの記事を通して、ずっと同じ問いの周りを歩いていたような気がします。
それは、
「持つとは何だろう。」
という問いです。
自分で秘密鍵を持つ。
誰かに管理を任せる。
どちらにも意味があります。
どちらにも便利さがあります。
そして、
どちらにもリスクがあります。
Web3では、
「自分で持つこと」
が大切にされてきました。
誰かの許可がなければ動かせない資産ではなく、
自分自身でコントロールできる資産。
そこには、大きな自由があります。
でも、
「自分で持つことだけが正しい」
と単純に考える必要もないように思います。
すべての人が秘密鍵を安全に管理できるわけではありません。
複雑な技術が苦手な人もいます。
誰かに任せることで使える人もいます。
困ったときに助けてもらえることが、安心につながる人もいます。
だから大切なのは、
「預けるか、預けないか」
という二択ではないのだと思います。
自分が何を、誰に預けているのかを知っていること。
そして、
その代わりに何を受け取り、どんなリスクを引き受けているのかを知ること。
なのではないでしょうか。
取引所について調べ始めたとき、
私は「暗号資産を売買する場所」について書くつもりでした。
でも、最後に考えていたのは、
やっぱり人のことでした。
人は、ひとりですべてを管理することはできません。
だから誰かに任せます。
誰かを信じます。
そして社会は、その信用ができるだけ壊れないように、ルールや制度を作ってきました。
Web3は、
「信用なんて必要ない世界」
を作ろうとしているのではないのかもしれません。
むしろ、
「私たちは一体、何を信用しているのか。」
それを、もう一度見えるようにしているのかもしれません。
人を信用するのか。
会社を信用するのか。
制度を信用するのか。
それとも、暗号技術やコードを信用するのか。
そして、おそらく現実の世界では、そのどれかひとつだけを選ぶわけではありません。
いくつもの信用を組み合わせながら、私たちは暮らしています。
「自分で持つ自由」と、
「誰かに任せる安心」。
その間のどこを選ぶのか。
答えは、ひとつではありません。
でも、
知らずに預けることと、知ったうえで預けることは、同じではない。
私は今回、それが一番大切なことなのではないかと思いました。
