ハワイに連れていく
私が父のことを
「困った人・ ダメ男」と認識したのはいくつの時だったか。
物心つくころには、母から
「あの人はダメな人なのよ」と毎日のように聞かされていたし、実際、父を探して怖い人がやってきたりしてたから、ずいぶん早い段階から父のことを「そういう人なのだ」と認識していたことになる。
浮気をしない、
借金取りにも追われない、
真面目なサラリーマンの父親がほしい、と何度願ったかしれない。
しかし、私の父は何十年経っても相変わらずの遊び人で、
「ああ、パパがこれから真面目になることはないだろうし、この先も迷惑をかけ続けられるんだろうなぁ」と悟ったのが、
私、26歳の時だ。
ふと、
「父のこれまでの数々の悪行を笑い話にしたら、しでかしてきたこと全部を昇華できるのではなかろうか」と思った。
簡単に書いてはいるが、
そんなふうに思わないとやっていられなかったのである。
しかし、いくら家族とはいえ、
自分の親の恥部をネタにするのは良くないかもしれない。
笑い話にするのなら、一応本人にこのことを伝えて了承を得た方がよいだろう。
そう思った私は、父に「新しい店の保証人になってくれ」と頼まれたタイミングで丁重にお断りしながら、
「今後一切そういう話は私のところにもってこないでほしい。 パパには今まで散々迷惑をかけられてきたからこれ以上は無理だ。 悔しいから、これまでのパパの悪事の数々をいつかエッセイか小説にしたいと思っている」
と、話した。
父はポカンとして、私のことを見ていたが、
「はぁ。 なんやお前、怒りっぽいなぁ。そんなツンツンしてたらモテへんで。ほら、そんなに怒らんと、新しい店の計画を聞いてほしいんよ。 あのビルの6階がもうすぐ空くっちゅう情報が入ってやな……」と、父が真剣に聞いてくれず、断っても断っても謎のビジネスに引き込もうとするので私も負けていられない。
「パパのそういうとこ全部書くよ! ネタはいっぱいあるんだから!」
父は面倒くさそうに唇を尖らせながら、私をチラチラ見てこう言った。
「それ、儲かるん?」
「は?」
「パパをモデルに何か書くわけやろ。 それでパパにお金、というのかな。報酬?みたいなんは入ってくるんか? お前の書くもんで、そんな儲けることできんのん?」
びっくりした。
「儲ける」というワードが飛び出たことに驚いて、私もちょっと冷静になった。
たしかに、
父に対して「パパのことをネタにしてエッセイか小説を書くよ」と啖呵をきったわりには、私はそれまで一度もそういうものを書いたことがなかった。
そもそもネタにして書いたところで「稼ぐ」ことなんてできるのだろうか。
私が何も言えずにいると、
父はハハンと大きく笑って、
「ほな、ええで。 お前がパパのええとこを書くわけやろ。格好良く書くわけやろ」
「ええとこもなにも、ええとこないじゃん。格好良くもないし」
「父はアラン・ドロンに似てました、って書くわけやろ」
「似てないじゃん」
「そこは書けや。 アロン・ドロンか、石原の裕ちゃんか……」
本当の本当のところ、
父は俳優の前田吟さんにちょっと似ていた。
これを言うと調子に乗るだろうことはわかっていたので、その場では言わなかったが、前田吟さんを太らせた感じを想像してもらえるとちょうど父になる。
「ほんで、ラグビーのことも書かなあかんで」
父はいそいそと本棚の前まで行き、保管してあるアルバムの中から1冊を手にして戻ってきた。
そこには父の高校・大学時代の写真が貼られていた。
一目で、
「格好つけて写っている」
と思った。
父の人生においての1番の自慢はラグビーだ。
中学・高校・大学はラグビーひとすじだったらしい。
「パパはオール関西やったんやでぇ」と、300回くらい聞かされてきたが本当かどうかはわからない。
そんな父の(おそらく)1番キラキラしていた頃の写真だ。
思いっきり格好つけている。
ラガーマン姿でボールを小脇に挟み、斜め下から撮ったような写真。
明らかに撮影者の方を睨みつけている写真。
レモンでも持たせたら表紙に使われそうな笑顔の写真。
面白い。
格好良くはないが、格好つけすぎていて面白い。
父は満足そうに
「格好ええやろ。 このパパの格好良さをおまえが書きたいというのなら書いたらええがな」
と言った。
格好良くはないし、
何もラグビーをしていた頃の父の話を書くつもりもない、あなたのダメ男ぶりを書くと言ってるのだと話したら、
「ええ〜」
と、ブーたれて、
「そこは書いとけや。 格好良くてモテモテやったからすこーしばかり大変でしたって書いとけや」と、悪い笑顔で言った。
実際に大変なのは「すこーしばかり」ではなかったが、
面倒なので「はいはい」と返事をして、
「で、どうなの? 書いてもいいの」と聞くと、
父は嬉しそうに若かりし頃のアルバムに目を落としながらこう言った。
「ハワイに連れていけや」
「は?」
「売れたらでええねん。 お前が頑張ってパパのことを書くやろ、そうして稼いだお金でハワイに連れていけ。 それだったらええで」
結局、父の存命中には私は書き物をしなかった。
私の結婚式は親族だけでハワイに行ったので、書き物で稼いだわけではないがハワイには連れて行った。
父はハワイに浮かれすぎて、
「アロハ」のハンドサインを間違え、
手元がずっと影絵のキツネだった。
ハワイに居る間中、たらふく飲んで食べて、海もプールもショーも満喫し、多分1番楽しんでいた。
「芸能人が正月からハワイに行くのもわかるわ〜」
と、幸せそうに思い出し笑いしている姿をその後何度か見かけた。
父がこの世から旅立ってすぐに、あのコロナ禍がやってきた。
私はそのタイミングでnoteを始めた。
父の葬式で起きたことが面白かったのと、約束したのに一度も書いていないなと思ったのだ。ちょうど、noteでエッセイのコンテストが開催されていた。
それに父の話を初めて出した。
それから7年が経ち、
そういえば、約束の「ええとこ」を書いていないことに気づいた。
「ええとこ、あったっけ?」
困った父ではあったが、私は父といるときに緊張をしなかった。
自然体で楽しくいられた。
よく2人で飲みにも行った。
うーん……
父の格好良いところ。
そういえば、
私がお酒を飲めるようになってすぐ、高級寿司店に連れて行かれたことがある。
そこで、父に寿司の食べ方を教わった。
我が家はそれまで、寿司といえば出前をとることが多く、大きな桶の中から好きなネタをとって食べていたのだが、
「もうお前も一人前なんやし、寿司の綺麗な食べ方とかこういう店での振る舞い方とかを知っておいた方がええ」
と、
シャリに醤油をつけないとか、
寿司を崩さない綺麗な食べ方とか、
お店での頼み方とか、
そういうことを寿司屋の大将も交えて教わった記憶がある。
あと、
「男の人と飲みに行くときはな、甘くて飲みやすいお酒をあんまり沢山飲むなよ。 酔わされたら大変やから」とか、
そういうことも教わった気がする。
その時は、
(急に真面目ぶっていろいろ教えてきて面倒くさいなー)と、思いながら聞いていたが、
この年齢になって考えると、
父なりの私への愛情だったのかも、と思う。
勉強を教えてもらったこともなければ、勉強をしろと言われたこともない。
そんな父から、遊び人なりの「娘に教えられること」が寿司のスマートな食べ方だったり、危険を回避する飲み方だったりしたのは、
父の言う「ええとこ」だったのかもしれない。
約束の「格好ええとこ」を書いたから、
これからは思いっきり、笑い話を書いて、
いつの日か本当にハワイにいきたいなと思っている。
絶対に
「俺を連れていく約束やんけぇ!」と、
アロハ姿にキツネのポーズであの世から無理やりついてきそうな気がするので、
1番格好良かったラガーマン時代の父の写真をアクスタにでもして連れていってあげよう。
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こんなところまで読んでいただきありがとうございます!私に……良いんですか??嬉しくて舞い上がってます!!うひょー!!!