図書館から家庭へ
※写真は手元の書籍の表紙を撮影したものです。
ずっと「子どもには良い本を」と思っていた。
名作や長く読み継がれてきた本。何かの力がつきそうな図鑑。本屋の棚の前で立ち止まりながら、どれがいいのかを考えていた。
けれど、実際に子どもが繰り返し開いていたのは、私が選んだ本ではなかった。
図書館で借りてきた、一冊の恐竜の本。
何度も読んで、少しずつ広がっていった。
別の本に出てきたカブトガニに目が留まり「生きる化石」という言葉に出会い、そこからまた別の本へ。気づけば、恐竜だけだったはずの興味が、古い生き物や環境、時間そのものへとつながっていった。
そしてある日、最初に読んでいた恐竜の本を開いて、「ここに、化石があった」と言った。
同じ本なのに、見えているものが変わっている。
その変化は、どこかで積み重なっていたものが、ふと、つながった瞬間のようにも見えた。
私が「良さそう」と思って選んだ本には、こういう動きは起きなかった。たぶんそこには、その子の中にある“芯”がなかったからだと思う。
自分で選んだ一冊には、そのときの興味や気配が、そのまま残っている。だから、繰り返し開かれたり、別のものとつながったり、また戻ってきたりする。その動きは、誰かに教えられたものではなくて、内側から出てきている。
それに気づいてからは、「良い本を選ぶ」という感覚が、少し変わった。
図書館で出会った何度も開かれる本が、ゆっくりと家庭の本棚に残っていく。
そうやってできていった本棚は、そのときどきの「好き」が、そのまま並んでいる。
魚の本のとなりに海の生き物の本が増えていったり、いつのまにか、まったく違うものが並んでいたりする。
ばらばらに見えても、どこかでつながっている。
本棚はただ本を置く場所ではなくて、そういう流れが残る場所なのだと思う。
子どもはときどきそこに戻っていく。何かあったときも、なんでもないときも、同じように。
安心して戻れる場所があるというよりも、そこに置かれているものが、そのまま安心になっているようにも見える。
前に何度も読んだ本を、また開くこともある。
そのたびに、少しずつ違うところを見ている。
くり返しの中で、変わっている。
本棚には、そういう時間ごと、残っていく。
だから、きれいに揃っていなくてもいいし、役に立つかどうかもあまり関係がないのかもしれない。
そこに並んでいるものが、その子の中にあるものと、つながっていることのほうがずっと大きい。
本棚には、自分の中の輪郭がそっと並び立つ。
そしてたぶんそれは、見ているこちら側にも、同じように起きている。





本棚で大きな川のように交わる

▽ 本棚の一冊が、別のかたちになるとき
図書館で選ばれた一冊が、そのあと、どのように残っていくのか。その続きを、本棚の前でたどっています。
