製造業向け|その仕事、まだ記憶で回していませんか|判断できる工場に変わるための記録思考
■その仕事、まだ誰かの記憶で作っていませんか
「あれ、前回どうした?」
「たしか前はこうだった」
「〇〇さんなら覚えている」
工場では、こういう会話がよくある。
前回の作り方。
材料の種類。
加工の注意点。
梱包の仕方。
客先ごとの細かい違い。
それを誰かが覚えていて、その記憶を頼りに仕事が進む。
一見、普通に見える。
むしろ、経験のある人がいる強い現場に見えるかもしれない。
でも、私はこの状態を少し危ないと思っている。
なぜなら、その仕事は会社の仕組みではなく
誰かの記憶で回っているからだ。
■記憶で回る工場は、人が変わると止まる
経験の長い職人は強い。
前回の納まりを覚えている。
どこで苦労したかを覚えている。
どの材料を使ったかを覚えている。
どこで失敗しやすいかを覚えている。
これは間違いなく現場の財産だ。
ただし、その情報が頭の中にしかないなら会社の資産にはなっていない。
その人が休んだら分からない。
担当が変わったら分からない。
退職したら消える。
記憶違いがあれば、同じ失敗を繰り返す。
つまり、記憶で回る工場はベテランがいる間だけ成立している。
人が変わった瞬間に、過去の経験が一気に失われる。
これはかなり危ない。
■覚えている人がいる工場は強く見える
「あの人に聞けば分かる」
これは現場ではよくある。
たしかに、その人に聞けば早い。
前回のことも分かる。
判断も早い。
話も進む。
でも、それは本当に工場として強い状態なのか。
私は違うと思っている。
本当に強い工場は、覚えている人がいる工場ではない。
覚えていなくても分かる工場だ。
誰かの頭の中を探しに行かなくても、過去の情報にたどり着ける。
前回の製作内容が確認できる。
写真が残っている。
注意点が残っている。
変更履歴が残っている。
この状態になって初めて、工場は個人の記憶から抜け出せる。
■記録とは、きれいな書類を作ることではない
記録というと、どうしても書類を思い浮かべる。
作業日報
検査記録
チェックシート
報告書
図面の赤字
もちろん、それも大事だ。
ただ、私は記録の目的はそこではないと思っている。
記録とは、きれいな書類を作ることではない。
次に同じ仕事をするとき、迷わない状態を残すことだ。
前回どう作ったのか。
どこに注意したのか。
何が問題だったのか。
どこを改善したのか。
どの状態で出荷したのか。
これが次に使える形で残っていれば、それは立派な記録だ。
■今は写真も動画も記録になる
昔は、誰かが覚えるしかなかった。
図面にメモを書く。
職人が記憶する。
ノートに残す。
紙のファイルを探す。
それしか方法がなかった時代もある。
でも今は違う。
誰もがスマホを持っている。
写真が撮れる。
動画も残せる。
過去データも検索できる。
製作履歴も残せる。
完成状態も残せる。
梱包状態も残せる。
記録は、紙の書類だけではない。
写真1枚で分かることがある。
動画10秒で伝わることがある。
文章で長く説明するより、見た方が早いことも多い。
完成状態
納まり
加工の向き
治具の使い方
組み立ての順番
梱包の仕方
出荷前の状態
こういうものは、文字よりも写真や動画の方が強い。
現場の記憶を、見える形で残せる時代になっている。
■当工場も以前は記憶に頼っていた
当工場も、以前はかなり現場の記憶に頼っていた。
再製作品やリピート品が来ると、
「前回どう作ったか」
「誰がやったか」
「どこに注意したか」
を人に聞いていた。
聞けば分かる。
覚えている人がいれば早い。
でもそれは、その人がいることを前提にしたやり方だった。
人がいなければ止まる。
記憶が曖昧ならズレる。
過去の注意点が残っていなければ、また同じところで迷う。
これでは、工場として強くならない。
今は少しずつ変わってきた。
以前はPCを触れなかった職人たちも、教育を進めることで
過去データを活用できるようになってきた。
再製作品やリピート品も、記憶だけで作るのではなく
データを見て製作する。
これは単なるデジタル化ではない。
職人の経験を、会社の資産に変える作業だ。
■データ化は職人を否定するものではない
現場では、データ化や記録に抵抗が出ることがある。
「面倒だ」
「そんなことをしている時間がない」
「現場はパソコン仕事じゃない」
「職人の勘でやればいい」
そう思う気持ちも分かる。
ただ、データ化は職人を否定するものではない。
むしろ逆だ。
職人が積み上げてきた経験を、消さないためにある。
図面には書かれていない注意点。
加工して初めて分かるクセ。
前回失敗したポイント。
客先ごとの細かい違い。
梱包で気をつける部分。
こういう情報は、現場で積み上げてきた価値だ。
その価値を個人の頭の中だけに置いておくのは、もったいない。
記録に残せば、次の人が使える。
若手も見られる。
担当が変わっても引き継げる。
同じ失敗を減らせる。
データ化とは、職人の仕事を軽く見ることではない。
職人の経験を、次に使える形に変えることだ。
■頭は記憶ではなく判断に使う
私は、頭は記憶のために使うものではないと思っている。
もちろん、何も覚えなくていいという話ではない。
ただ、何でも頭に詰め込めばいいわけではない。
人の頭は、記憶装置ではない。
本来は、
なぜこうなったのか。
もっと楽にできないか。
次はどうすれば迷わないか。
どこを変えればミスが減るか。
どうすれば若手でも同じ品質で作れるか。
こういうことを考えるために使うべきだ。
前回どうしたかを思い出すことに頭を使うより、
次はどう改善するかに頭を使った方がいい。
記憶は外に出せる。
写真で残せる。
動画で残せる。
データで残せる。
過去履歴で確認できる。
外に出せるものは、外に出す。
その分、人は判断と改善に頭を使う。
この考え方が大事だと思っている。
■材料単価も同じ
昔、営業からこう教えられたことがある。
「材料の値段は頭に叩き込んでおけ」
「客先から聞かれたら即答できるようにしろ」
たしかに、一見すると仕事ができるように見える。
聞かれてすぐ答えられる。
相場感がある。
話が早い。
でも、私はこの考え方には違和感があった。
材料価格は変わる。
価格変動するものを、細かく頭に叩き込む意味は薄い。
むしろ危ない。
その時点では正しかった数字も、今は違うかもしれない。
古い記憶で答えれば、見積がズレる。
見積がズレれば、利益がズレる。
利益がズレれば、最後は工場がその差額を背負う。
株でもあるまいし、その場で判断する必要はない。
材料単価をその場で即答するメリットはほとんどない。
本当に大事なのは、早く答えることではない。
正しい数字で判断することだ。
■即答力より確認力
客先から聞かれたときに、すぐ答えられることは便利だ。
でも、即答した数字が古ければ意味がない。
それなら、
「確認して回答します」
でいい。
これは逃げではない。
正確な仕事だ。
変動する数字ほど、記憶だけで答えてはいけない。
見積をたくさんやっていれば、ある程度の相場感は身につく。
高い。
安い。
危ない。
確認が必要。
この感覚は大事だ。
ただし、最終的な数字は確認する。
記憶で答えるのではなく、現在の数字で判断する。
即答できる人がすごいのではない。
古い数字で答えない人の方が、見積では信頼できる。
■覚えるより、確認できる状態を作る
これからの工場に必要なのは、何でも覚える力ではない。
すぐ確認できる状態を作る力だ。
過去の製作情報を見られる。
前回の写真を確認できる。
動画で作業手順を見られる。
材料単価を確認できる。
過去見積を検索できる。
変更履歴を追える。
注意点が残っている。
こういう状態を作っておけば、人の頭に頼りすぎなくて済む。
聞かれたら、調べればいい。
迷ったら、過去情報を見ればいい。
判断が必要なら、最新情報を確認すればいい。
覚えていることより、確認できること。
これからはそちらの方が強い。
■記録があると、若手も判断できる
記録がない工場では、若手は毎回人に聞くしかない。
「前回どうしましたか」
「これはこのやり方でいいですか」
「この客先は何か注意点がありますか」
聞くこと自体は悪くない。
でも、毎回人に聞かないと進まないなら、それは教育ではなく依存だ。
記録があれば、若手はまず自分で確認できる。
過去の製作内容を見る。
写真を見る。
注意点を読む。
前回の失敗を確認する。
その上で考える。
ここまで来て初めて、現場は「自分で考えろ」と言える。
何も残していないのに、考えろと言うのは無理がある。
判断するためには、材料が必要だ。
その材料が、記録だ。
■記憶で回る工場から、記録で判断する工場へ
工場に必要なのは、一回うまく作れることではない。
同じ品質で、何度も作れることだ。
そのためには、記憶だけでは弱い。
前回の情報が残っている。
注意点が残っている。
写真が残っている。
動画が残っている。
変更履歴が残っている。
見積の根拠が残っている。
こういう状態になって初めて、工場は再現性を持つ。
記憶で作る工場は、人によって品質が変わる。
記録で判断する工場は、誰が見ても同じ方向に進める。
現場の記憶は大切だ。
ただし、記憶だけに頼る工場は危ない。
ベテランがいる間は回る。
でも人が変わった瞬間に崩れる。
本当に残すべきなのは、個人の頭の中にある情報ではない。
過去の仕事を、次の仕事に使える形にすることだ。
頭は、覚えるためではなく、考えるために使う。
記憶で回る工場から、記録で判断する工場へ。
この変化ができたとき、職人の経験は個人の能力で終わらず
工場全体の力に変わる。
