製造業向け|なぜ新人は育たないのか|教えない現場ではなく“教えられない現場”の正体
■新人が育たない
現場でよく聞く言葉がある。
「新人が育たない」
・何度言っても覚えない
・教えたのにできない
・同じミスを繰り返す
・結局、自分でやった方が早い
製造現場ではよくある話だ。
ただ、ここで少し立ち止まった方がいい。
本当に新人だけの問題なのか。
■「教えた」は、かなり曖昧な言葉だ
現場ではよくこう言う。
「ちゃんと教えた」
でも、その中身を分解するとこうなっていることが多い。
・一度説明した
・横で見せた
・やらせてみた
・分からなかったら聞けと言った
これを「教えた」と呼んでいる。
だが、新人側からすると違う。
・何が重要か分からない
・どこを見ればいいか分からない
・どこからがNGか分からない
・いつ聞けばいいか分からない
つまり、説明は受けているが、判断できる状態にはなっていない。
ここが一番大きい。
■新人ができないのは、作業ではなく判断だ
新人教育でよく勘違いされる。
作業を教えれば育つと思われている。
でも、現場で本当に差が出るのは作業ではない。
判断だ。
・これは使っていいのか
・これは不良なのか
・このまま進めていいのか
・止めて確認すべきなのか
・どこまで自分で判断していいのか
ここが分からない。
だから新人は止まる。
あるいは、止まれずに何となくやる。
そして失敗する。
すると現場はこう言う。
「考えて動け」
でも、判断基準を渡していない人間に考えろと言っても無理がある。
■「自分でやった方が早い」が現場を弱くする
自分でやった方が早い。
これは現場では事実だ。
忙しい時ほど、教えるより自分で処理した方が早い。
ただし、それは今日だけの話だ。
今日早く終わらせる代わりに、明日も同じ人がやることになる。
そして来月も同じ人がやる。
来年も同じ人がやる。
結果として、現場はこうなる。
・できる人に仕事が集まる
・新人は育たない
・教える時間がさらに無くなる
・属人化が進む
・できる人が抜けた瞬間に崩れる
短期では早い。
でも、組織としては一番遅い。
■私の工場でも同じことが起きていた
私の工場では技能実習生を雇用している。
数年前は、正直うまく使えていなかった。
実習生は数年で帰国してしまう。
だから教育に力を入れても意味がない。
そう考えて、簡単な仕事だけを任せていた。
・単純作業
・繰り返し作業
・補助的な仕事
難しいことや管理に近い仕事は、日本人がやる。
それが当たり前だと思っていた。
ただ、実際に見ていると少し違った。
個人差はある。
だが、中には複雑な作業を理解できる人もいる。
丁寧に教えれば、こちらが思っていた以上にできる人もいる。
そこで気づいた。
外国人だからできないのではない。
できる状態にしていなかっただけだ。
■外国人で問題が見えやすい理由
外国人は、現場の弱さを分かりやすく表に出す。
日本人なら何となく分かることがある。
・空気を読む
・前後の流れで察する
・周りの動きを見て合わせる
・言葉の曖昧さを補正する
だから、基準が曖昧でも何となく現場が回る。
しかし外国人はそうはいかない。
・どこまでやればいいのか
・何が正しい状態なのか
・なぜそれをやるのか
・何をしたらダメなのか
これが明確でないと動けない。
だからズレが出る。
でも、それは外国人が悪いのではない。
現場の曖昧さが見えているだけだ。
■外国人で回らない現場は、新人でも回らない
ここが一番重要だと思っている。
外国人でうまく回らない現場は、日本人の新人でも本質的には回っていない。
ただ、日本人の場合はごまかせているだけだ。
言葉が通じる。
空気を読む。
怒られたくないから周りに合わせる。
だから、問題が見えにくい。
でも本質は同じだ。
・基準がない
・教え方が決まっていない
・任せる範囲が曖昧
・確認する仕組みがない
この状態では、誰を入れても育ちにくい。
新人が悪いのではない。
外国人が悪いのでもない。
育つ構造になっていないだけだ。
■環境が人を育てる
整理整頓でも同じことが起きる。
外国人が整理整頓をしないと言われることがある。
だが、現場を見ていると違う。
ルールを守らないのではない。
ルールを守らなくても成立する環境になっているだけだ。
置き場が決まっていない。
誰も徹底していない。
やらなくても注意されない。
日本人も守っていない。
その環境に入れば、新人も外国人もその状態を覚える。
人は、教えた通りに育つのではない。
許されている状態に合わせて育つ。
ここを間違えると、教育は全部ズレる。
■仕事を分けることは差別ではない
私の工場では、作業を一度整理している。
難しい作業や管理業務は日本人。
単純作業や繰り返し作業は外国人。
このように分けている。
これは差別ではない。
仕事の性質を分けているだけだ。
・判断が必要な仕事
・例外対応が多い仕事
・管理に直結する仕事
これは、最初から任せるには難しい。
一方で
・手順が決まっている仕事
・繰り返しの仕事
・基準が明確な仕事
これは、仕組みで回しやすい。
だからまず仕事を分解する。
いきなり人に合わせるのではなく、仕事の難易度を分ける。
ここをやらずに「できる」「できない」で判断すると、結局人の問題にされてしまう。
■ただし、ずっと単純作業だけではない
ここも大事だ。
外国人だから単純作業だけ。
そう決めつけるつもりはない。
定着する人であれば、管理や判断に直結する業務にも携わってもらうつもりだ。
重要なのは国籍ではない。
判断基準を持っているかどうかだ。
・基準を理解しているか
・判断がズレないか
・再現性があるか
・周囲に説明できるか
これが揃えば任せられる。
逆に言えば、日本人でもこれができなければ任せられない。
任せる基準は国籍ではない。
判断できるかどうかだ。
■教育で伸びるのは誰か
以前は、教育とは教わる側を伸ばすものだと思っていた。
しかし今は少し違う。
教育で本当に伸びるのは、教える側だ。
人に教えようとすると、考えざるを得ない。
・なぜこの順番なのか
・どこで失敗しやすいのか
・何を見れば良否判断できるのか
・どこまで任せていいのか
・どう説明すれば伝わるのか
これを考える。
すると、今まで感覚でやっていた仕事が分解される。
曖昧だった基準が言葉になる。
自分だけが分かっていた判断が、他人にも渡せる形になる。
つまり教育とは、人を育てる行為であると同時に、現場を整える作業でもある。
■教えられない仕事は、属人化している
教えられない仕事には理由がある。
その人しかできない。
その人の感覚で判断している。
基準が言葉になっていない。
だから教えられない。
そして教えられないから、また同じ人がやる。
これが属人化だ。
属人化とは、技術が高いことではない。
判断基準が外に出ていない状態だ。
教えることは、その判断基準を外に出す作業でもある。
だから教育を面倒だと切り捨てる現場は、いつまでも属人化から抜けられない。
■「日本人がいい」で止まる現場は縮小する
どこの会社も、本音では日本人を雇用したいと思っている。
それは分かる。
言葉が通じる。
文化も近い。
教育もしやすい。
できれば日本人がいい。
ただ、現実はどうか。
採用できない。
入っても続かない。
若い人が来ない。
来てもすぐ辞める。
この現実を見ないまま「日本人がいい」で止まると、現場は縮小していく。
人が足りないまま仕事だけが残る。
できる人に仕事が集まる。
教育する余裕がなくなる。
さらに人が育たなくなる。
その先にあるのは、静かな縮小だ。
■外国人雇用は特別な話ではない
外国人を雇うかどうか。
そこだけを見ると、特別な話に見える。
しかし本質は違う。
これは新人教育の話だ。
さらに言えば、現場をどう作るかの話だ。
・仕事を分解できているか
・基準を言語化できているか
・教える人が育っているか
・誰でもできる形に近づけているか
ここが問われている。
外国人を雇うかどうかではない。
外国人でも新人でも育つ現場になっているか。
ここが本質だ。
■結論
新人が育たないのは、人の問題ではない。
教えているつもりで、判断基準を渡していないだけだ。
外国人が使えないのではない。
曖昧な現場では、外国人ほど問題が見えやすいだけだ。
教育とは、人を伸ばすことではない。
教える側が仕事を分解し、基準を言葉にし、誰でもできる形に近づけることだ。
そして最後に残るのは、この問いだ。
新人が育たない現場は、本当に新人のせいなのか。
外国人で回らない現場は、本当に外国人のせいなのか。
多くの場合、答えは違う。
人が育たないのではない。
育つ構造になっていないだけだ。
