絶望した。わたしは、人生に期待しすぎている。
今から贅沢なことを言う。
最近、ミステリー小説ばかりを読んでいる。なかでもハマっているのが「イヤミス」と呼ばれるジャンルで、いわゆるバッドエンドとも捉えられるようなラストを迎えるものだったり、最後に大きなどんでん返しが起きたりと、ジェットコースターのようなスリリングな展開がたまらなくて癖になる。ゾクゾクする。
以前、香港のディズニーランドに行ったときに、最後まで走り抜けた…と思ったジェットコースターが最後の最後で逆走を始め、倍の速度で後ろ向きに入り口まで走っていくという展開のものがあって、その予想のつかなさにびっくりしたし、コースターを降りてからもしばらくは興奮が収まらなかった。
そんな「刺激物」のようなものを求めて、ヨーロッパにやって来たわけだけど、どうもわたしは旅に慣れてしまったようで、初めて異国の地に降り立ったときのような高揚感は失われているような気がする。
それが、ひどく悲しくてたまらない。
社会人2年目で友だちと行ったモルディヴでは、嘘みたいに真っ青な海に感動して、初めてのダイビングでウミガメを見て喜んで、海の上で食べる朝食をいろんな角度から撮って、海辺の砂で足を埋めてマーメイドの形にかたどって遊んで、と120%エンジョイした自信がある。
社会人4年目で行った1週間のイタリア旅行でも、毎日のように都市に合わせてコンセプトを決めてファッションを変えたり、現地のアクティビティを楽しんだり、船を間違えて危うく違う島に行ってしまいそうになったりと、一つひとつの思い出が色濃く残っている。
でも、今は。降り立ったことのない場所にいても、どこかぼんやりとしている。なんだろう。何のために来たんだっけ?なんて思ってしまうのだ。
観光地を巡って、現地の食事をして、街を歩いて、素敵な景色を見て、映える写真を撮って。Instagramの私はキラキラ旅女子に見えるけれど、実際のわたしは未だに旅の目的がうまく見つけられなくてちょっと苦しんでいる。
日が暮れるのが遅いヨーロッパ。毎日のようにカラリと晴れるヨーロッパ。ここでは素敵な夕焼けが見られるけど、こうして「あぁ綺麗だな」を繰り返しながら60年ぐらい経って死ぬのかなとか考えている自分が嫌になってしまう。
こんなに素敵な場所にいながら、なぜか絶望しているのである。
AIに相談したら、「毎日の小さな幸せを見つけましょう」と言われ、パートナーからは「足るを知ること」と言われたけれど、人生って、人生って、こんな感じなのかしらん。
そりゃたまに起こるよ、ドラマティックなことは。思いがけない仕事が舞い込んできたときは嬉しいし、自分が書いたことに反響がもらえるのもありがたいし、取れないと思っていたライブのチケットが当たるとか、素敵なワンピースに出会うとか、推しの最新ビジュがめっちゃいいとか、それで十分幸せなんだろうね。
でも、そっか、幸せってこの程度なのかぁ、とがっかりしている自分もいる。
心が打ち震えるような感動とか。頭を抱えるぐらいの衝撃とか。天にも昇るような喜びとか。そういうのを求めるのは贅沢なんだろうか。
人生には、「ささやかな喜び」しか残されていないのかなぁ。だとすれば、それはわたしにとっては絶望だ。わたしは多分、ささやかな喜び程度じゃ満足できない。なんというか、「天井」が見える。「こうしたら、ああなるだろうな」という天井。
かといって、ライターになってフリーランスになって海外を飛び回りながら仕事もして好きなこともして、側から見れば大変贅沢な暮らしをしているわたしは、これ以上何をがんばればいいのかわからないし、どちらの方向に向かって歩いていったらいいのかもわからない。
自分のためとか、誰かのためとか、後世のために何かしたいこともないし、どうしようかなぁと思いながら生きているのが今である。ねぇ大変贅沢な悩みでしょ??
超稼いでFIREしたわけでもなく、トップアイドルになったわけでもなく、ベストセラー作家になったわけでもないのに、ささやか〜な夢を叶えきった先に、こんな変ちくりんな絶望が待っているとは思わなかった。それこそ夢にも。
自分探しの旅はいらん。自分は十二分に持っている。やりたいことはやっている。めっちゃお金があるわけではないが、自分の欲しいものは手に入っている。あとは一体何が足りないのだわたしよ。
そうしてわたしは今日も刺激を求めて、ミステリ小説を読みながら、とんでもない展開にドキドキしながら、自分の長い長い人生に絶望している。
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