「子どもいてもいい?」に本当は嫌だ、って言いたい。
「子ども、連れてってもいい?」と聞かれたとき、なんと答えるのが正解なのだろうか。
「えー、ヤダァ」と言ったら血も涙もないやべぇ奴になるのだろうか。そんなことを考えると本音が言えなくて、ついつい「いいよ」と言ってしまう。べつに善人になりたいわけじゃないんだけど、まぁ特別断る理由もないしな、という感じである。
2年前から現在にかけて、わたしのまわりで出産ラッシュが続いている。これまでも学生時代の友人のなかには子どもを産んでいる友人はいたけれど、ずっと週1や月1ペースで会っている、言うなればほぼわたしの生活の一部となっている友人となれば話は別だ。
今までのように頻繁には会えなくなるし、旅行やお泊まりはもってのほか。会うとしても「子どもは大丈夫?」とこのわたしですら多少なりとも慮る姿勢を見せている。何なら、わたしから遊びに誘ったことはほとんどない。変に断らせたくないし、余裕があれば向こうから誘ってくれるはずだと思っているからだ。
それでも、友人たちは積極的に声をかけてくれて、「ロッキン行かない?」とこちらからはとても誘えないようなアグレッシブなイベントに泊まりがけで連れ出してくれたり、「メイントピック : 子ども」ではなく、独身時代のように仕事や推しの話だけで1日を終えることもあるのがありがたい。
独身のころのまま付き合える友人は貴重だ。友人も同じことを思っているかもしれない。子どもができたからって関係性が変わるのは悲しいし、気を遣われたくない。そんな想いが伝わってくる。
しかし、遊びの場に子どもがいるとなると、少し話は変わってくる。わたしは、本当に申し訳ないけれど子どもに興味がない。好きじゃないし、関わり方もわからない。そもそも人間にすら興味があるかどうか怪しいのに、「友だちが産んだ」というだけで興味を抱けるかといったら微妙である。「隣のクラスの人」ぐらいの距離感だ。
元来決して「人類みな友だち!」タイプではなく、むしろかなり排他的なので、クラスに40人生徒がいたとして、「この子とは趣味が合う」「この子とは話していて楽しい」と思えるのはせいぜい1人か2人である。(いるだけ良いけどね)
そんな人が、言葉の通じない赤の他人に興味が湧くわけがなく。おまけに、同時期に4人ぐらい男の子が生まれたので、名前すらあやふやである。しかし、本人がそこにいる以上は触れないわけにもいかないので、「髪の毛伸びたね」「大きくなったね」とコメントをする。そうすると、友人は出産時のエピソードや、寝かしつけやミルクの話などをしてくれるが、本当はそんな話が聞きたいわけではない。
ただ、他愛のない話がしたいだけなのだ。
やれ最近読んだ本がおもしろかっただの、やれアイドルのデビュー曲が良かっただの、やれ買ったガジェットが便利だの、やれ仕事でムカつくことがあっただの。
でも、本人(子ども)を差し置いてそんな話はできない。非常にしづらい。隣で机をバンバン叩き、手当たり次第モノを舐めようとする子どもを友人は腕を張って制してくれているが、わたしは気になってチラチラと見てしまい、「怒ってる?」「おなか空いてる?」と話に集中できなくなる。だから、どうしてもトピックをそちら中心に持っていかざるを得ない。
きっと、他愛のない話は子育てに比べたら些末なことだ。わたしのくだらない話を聞いているぐらいならおむつを変えたほうがいいし、ミルクをあげたほうがいいし、機嫌をとったほうがいい。だからいいよ、その子の面倒を見てあげて!!!わたしは一刻も早く帰るから!!!という気持ちでいっぱいになるのだ。
子育てをしている友人にしてみれば、そんな光景すら日常茶飯事だから、「気にしないで〜」なのかもしれないし、いてもいなくても同じよ、ぐらいの感覚なのかもしれないが、わたしにしてみればそこに暴れ回っている凶暴なレッサーパンダがいるぐらいの非日常なので、到底無視ができない。話したいことも聞きたいこともすべて彼方へと吹っ飛んでしまう。
そんなことを、先日行きつけのまつ毛パーマサロンで店長さんにこぼした。かれこれ7年以上お世話になっているサロンで、店長は中学生と社会人のお子さんがいる、いわば子育ての大ベテランである。
すると、返ってきたのは意外な言葉だった。
「それは…わたしも嫌ですよ!!!」
えぇ、子育てしててもそうなんだ。やっぱりその場に子どもがいると話しづらいし、すべてが「トピック : 子育て」になるのは嫌なんだと。
たとえば、本当は友人と仕事の話がしたかったのに、自分が子どもがいるばかりに、子どもについて話されることもよくあるのだそう。これには少しどきりとした。なぜなら、わたしもその話を振ってしまいがちだからである。だってそこに本人がいるからさ…。
でもじゃあ、なぜみんなわたしとの遊びに子どもを連れてくるのだろう。あまり男女差の話はしたくないが、男同士で「遊びにいこうぜ!」となって、「子ども連れていってもいい?」「俺も!」という展開にはなりづらい気がしている。なぜだ。休日で仕事も休みのはずだし、旦那やシッターに預けるという手はないのか。どうしても預けられないのなら、わたしとの約束を別日にリスケすることはできないのか。
だって買い物や推しのライブにも行っているわけだし、わたしと会う日だって、1時間でもいいから預けられるはずじゃん。いろんな事情があるにせよ、2人で会うことが叶わないなら、会いたいって言わないでよ!!とメンヘラ女のようなムーブをかましたくなる。
すると、「この人なら許してくれる、って思われているんじゃないですかね」と店長さんが言った。旦那だろうが親だろうがシッターだろうが、子どもを預けるというのはつまり「お願いをすること」である。伺いを立てるのは面倒だし、借りを作ることにもなる。きっと、事前準備も必要だし、シッターの場合はお金もかかる。何より、きっと大切な子どもを預けるのは心配なことでもあると思う。
その点、「一緒に会う」なら特別な伺いや準備はいらないし、自分の目の届く範囲に子どもがいるので安心である。さらにそこに友人がいてくれたら、きっと本人の息抜きになる。とくに育休中は家に閉じこもって育児をしているわけだから、少しの時間でも話せるのは嬉しいことのはずだ。まさに一石二鳥である。(あくまで想像なので違う理由もあるかもしれないけど)
ただ、一方でわたしはいつも、友人と話した気がしないまま、ちょっと疲れを抱えて帰路についている。
一石ゼロ鳥ぐらいの気分だ。先日うっかり、「こんなことなら今日はひとりで読書していたほうが楽しかったかもしれない」と思った日があって、自分の思考が恐ろしくて泣いてしまった。それを未だに友人にうまく打ち明けられていない。
なんと言うのだろう。「ついで」な気がしてしまうのだ。せっかく会うならちゃんと会いたい。ソワソワせずにしっかり話したい。それを望むのはワガママなんだろうか。「子どもがいるからしょうがないよね」って飲み込まなきゃいけないんだろうか。友人が好きならば、友人の子どもまで好きにならなきゃいけないんだろうか。これが独身に課せられた使命ならばしんどすぎる。
「子ども1人ぐらいで」って思う。わたしだって器の小さい人なのかもしれないと思いながら書いている。でも、イツメンのなかに1人、誰かが混ざっているだけでも話す内容は変わるし、場の空気が一変するというのは誰もが経験したことなんじゃないかと思うのだ。その場に異分子がいるのといないのとでは全然違う。
もちろん、友人が、育児で忙しいなかでも、わたしとちょっとの時間でも会いたいと思ってくれるのは嬉しい。わたしも会いたい。でも、ごめんなさい。わたしが好きなのは、あくまであなたとの時間なのである。あなたと話したいのである。
子育て中は肩身が狭いという。でも、好きでもない子どもと対峙しなくてはならない独身も非常に肩身が狭い。そこに線を引きたいわけじゃなくて、ただ、友人との時間を最大限いいものにしたいだけ。「今日は気を遣ったな」「子どもの話ばっかりだったな」なんて思いたくない。なんとか共存していくためにも、今後友だちとは単体で会いたいと思う。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ