見出し画像

歯磨きと反抗期

子供の頃、寝る前の歯磨きが面倒でしかたがなかった。
「はやく寝なさい」「歯磨きしたの?」親から幾度となく言われていたことを思い出す。
なぜか理由は覚えていないが、とにかく面倒でしかたがなかった私は、「磨いた〜」と嘘をつきそのまま眠りにつくこともあった。

40代となった今にして思えば、考えられない。
親に嘘をつくなんて…些細なことかもしれないが、なぜそんなことを。なんて、自分のことながらまずそこに引っかかってしまった。
歳を重ね、卑屈な小心者がすっかり板についた今の自分には、親にしれっと嘘をつき歯を磨かずに眠りにつくなんて…。自分のことながら想像がつかないほどの所業に思えるから不思議だ。
いわゆる真面目で良い子だった私にとって、それは相当大きな反抗だったのだが、本当に誰のためにもならない、世界で指折りの小さな小さな反抗期だったのかもしれない。

そんな怠惰なことをしていたのは、記憶の限り、小学生のほんの一時期だったと思う。
ある時、小学校で歯科検診が行われ、虫歯なし、と診断されたものの、ハミガキをしっかりしましょうと書かれていた。
多くの生徒に同じように書かれていた、歯磨きを推奨する歯医者さんからの当然の一言なのだが、当時の私はその一文で「バレた!」と思ったのだ。

親に嘘をつき、歯磨きせずに眠りについたことがこんなにも簡単にバレてしまった…しかも歯磨きしない不潔な子供と認識されてしまった…こんな恥ずかしい状況で、この先どう生きていけば良いのだろう…。
なんとも馬鹿げたことに聞こえるが、というか実際馬鹿げているが、当時の私からすれば、この世の終わりに匹敵するくらいの、なかなかの一大事だったのだ。
人知れず恥ずかしさで押しつぶされそうになり、その日を境に、毎日しっかり歯を磨くようになった。家族からは「いつまで歯磨いてるんだ」と言われるほどに。

その後、歯医者さんは、虫歯など何かトラブルがあったときに行く所という認識があったので、しばらく縁がなかった。
そのため、すっかり大人になり親知らずを抜くと決意した際、本当に久々に歯医者さんへ足を運んだ。恐怖心を押し殺し、思い切って上下左右の親知らずを抜いていただいた。
そして、どうやら虫歯やトラブルがなくても、定期的に歯のメンテナンスをしたほうが良いらしいと、その時に初めて知ることになる。

久しぶりに行った歯医者さんは、時代と共に、子供の頃の印象とはだいぶ変っていた。
治療をするいわゆる「病院」のようなイメージから、美容院やエステのような、定期的にお手入れをする場所に。
始めは、歯のメンテナンスなんて芸能人じゃないんだから…なんて思ってしまった昭和生まれの卑屈な私であったが、話を聞き知識を更新し、ものは試しだと半年に一度お手入れに通うようになった。

気づけば「よく磨けていますよ」この一言で、とても安心している自分がいた。
正しい歯磨きのやり方なんて改めて習ったことはなく、漠然と自分なりにしっかり磨いていたにすぎないが、これでよかったんだ!と自信が持てたりもする。
何より、良い大人になり、人から褒められることなんてそうそうない私には、そんな一言すらも褒められた功績として密かに心に刻んでいる。…重たい患者だ。

ハミガキと書かれたあの日を境に、今やどんなに疲れていても、朝も夜も、とにかく歯を磨かずにはいられない自分がいる。けして苦ではなく、そうしないとむしろ気持ち悪いのだ。
歯医者さんで勧められたフロスも加わり、今やルーティーンと化している。
そして、ベタではあるが、おいしいものを自分の歯で食べられる幸せを噛みしめる度合いが、年齢とともに上昇している気がしてならない。

きれいな歯の方が良いに決まっているし、おいしいものを噛みしめられることは幸せだ。
そんなごくごく当たり前のことを実現できるように導いてくれていたのかと思うと、やはり親の言う事、大人の言う事は聞くものだなと、だいぶいい大人になった今になり実感していたりする。

#いい歯のために

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が受賞したコンテスト