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「折り鶴とどこが違うの?」という問いに、なぜ引っかかったのか

研修講師、手話通訳士の横山熊太郎です。

AIを活用しながら、シニア向けの情報や、書籍やガジェットの紹介などをしています。

この度の地震を受け、ある有名人が被災地へコメを送ると発表しました。それに対して、「折り鶴とどこが違うのか」という批判が寄せられた、という記事を読みました。

おそらく批判の趣旨は、こういうことだと思います。

折り鶴は、今まさに困っている被災者の役には立たない。コメについても、被災地で本当に必要とされているかどうかを確かめずに送るのであれば、独りよがりな支援になってしまうのではないか。

私は、このやり取り自体について、どちらが正しい、どちらが間違っていると思ったわけではありません。

ただ、「折り鶴とどこが違うのか」という言葉を目にしたとき、とっさに思い出したことがありました。


小林秀雄の「質問」についての言葉

小林秀雄という人をご存じでしょうか。

評論家であり、本居宣長の研究でも知られる故人です。

私にとって、小林秀雄の著書はとにかく難しいものでした。それでも、どうにか読んで理解したいと躍起になっていた時期があり、何冊も読みました。

私が「なぜ」と問うことや、物事を考えるときの基本的な姿勢には、この人から受けた影響が大きいと思います。

その小林秀雄が『学生との対話』の中で、次のような趣旨のことを語っていました。

「質問というものは、よく考えてしなければならない。だからこそ、質問することは大切なのだ」

正確な引用ではありませんが、私はそのように記憶しています。

それ以来、誰かに質問するときには、まず自分の意見を整えるよう心がけてきました。

ちなみに小林秀雄は、学生を集めて対話を定期的に行っていたようで、そのやり取りを収めた本です。論客。というんでしょうね。

「折り鶴とどこが違うの?」に足りないもの

ここで、冒頭の「折り鶴とどこが違うのか」という問いに戻ります。

私が気になったのは、この問いが相手任せに見えたことです。問いかけた人自身の意見が含まれていない、あるいは、説明が足りないように感じました。

もし私が同じ疑問を投げかけるなら、たとえば次のように言うと思います。

「折り鶴を被災地へ送る行為は、今まさに苦しんでいる被災者への支援としては的外れだと私は思います。被災者の実情を知り、それに合った支援とは何かを考えて行動することが大切です。初めからコメを送ることを前提にした今回の行為は、折り鶴を送る心理と同じではないでしょうか。違うというのであれば、その理由を説明してください」

少なくとも、ここまで自分の考えを示せば、何を問題にしているのかが相手に伝わります。

小林秀雄なら、これくらいのことは言わなければ、質問として受け付けてくれないのではないか。そんなことを考えました。

質問する前に、自分は何を考えたのか

自分が考えたことを述べ、そのうえで質問をする。

そうすれば、答える側も、何を問われているのかを理解しやすくなります。質問した側と答える側が、同じ問題について考えるための土台もできます。

反対に、自分の立場や考えを明らかにせず、短い疑問だけを相手に投げると、その意図を読み解く作業まで相手に委ねることになります。

「折り鶴とどこが違うの?」

この一言を見たとき、私は、安易な質問とはこういうものなのかもしれないと思いました。

もちろん、これはあくまでも私個人の意見です。

「本居宣長」は、正直言って読むのに挫折しました

小林秀雄を知るには、第三者がかたるオーディオブックがわかりやすいです

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