【掌編小説】道を聞かれる女
「すみません」
まただ。
私はコンビニに入ろうとした体の向きを変え、こっそりと身構えた。
「はい、何でしょうか」
「道を聞きたくて⋯⋯このカフェなんですけど」
知りません!
何なら、私も今から連泊しているホテルに帰る、初めて大阪のこの地へ足を踏み入れた、正真正銘の観光客です!
とは言えず、若い女性が差し出すスマホ画面をのぞき込む。
「商店街の中にある店ですか?」
「はい、たぶん」
見覚えがあった。
今朝、このカフェでモーニングを食べたのだから、当然だ。
「この道をまっすぐ行くと、右手にあると思います」
そう言うと女性は笑顔になり、お礼を言って足早に遠ざかっていった。
私は深く息をつき、その背中を見送る。
関西各地をふらりと一人で旅するのが、私の休日の楽しみ方。その旅のなかで、このように道を聞かれるのも一度や二度ではなかった。
道を聞かれるのが嫌な訳ではない。
地元の道案内なら、いつでも大歓迎だ。
ただ、道を聞かれるのはいつだって、自分も旅行中のとき。逆に、私の方が聞きたいぐらいの気分なのだ。
***
あるとき、奈良に行った私は、近鉄奈良駅に到着して意気揚々と歩き出した。すると一人の男性に話しかけられた。
「JR奈良駅にはどう行けばいいですか?」
そのときの私は、二つの駅が離れた位置にあることを知らなかった。案内看板はないのかな、と不思議に思いながらも、
「ごめんなさい、わかりません」
と答えた。男性は残念そうに頭を下げて離れていった。
その表情に罪悪感を抱きつつも、気ままに奈良公園を散策し、ふと、元興寺に行ってみようと思いつく。
「ならまち」と呼ばれる、風情漂う空間を通り目的地へ向かっていると、「スミマセン」と声を掛けられた。
見ると、夫婦と思しき外国人の男女が、私に地図を差し出していた。男性の指が、地図上のある一点を指している。
「元興寺?」
そう呟くと、「イエス!」と力のこもった返答があった。少し考えてから勇気を振り絞り、私はカタコトの英語で言う。
「レッツゴー、トゥゲザー」
この英語が正しかいのかどうか、定かではなかった。しかし二人はそろって破顔し、「サンキュー」と頷いた。彼らと共に奈良のまちを歩く。二人は、カナダから来たと言っていた。
元興寺の門前で、二人は「サンキュー」ともう一度言ってくれた。私も笑顔で「ハブ ア ナイスデイ」と言った。うん、この英語は間違っていないはず。
なんだか、ちょっと良いことをした気分。
私は弾む気持ちのまま、軽い足取りで奈良のまちを堪能した。
***
それからも、旅行中に道を聞かれることは多くあった。
あるとき、ふと思い立って神戸へ行くことにした。今いる場所から三ノ宮駅に行くには、尼崎駅で電車を乗り換える必要がある。
尼崎駅で下車したとき、一人の女性がカタコトで「スミマセン」と声を掛けてきた。
「次のデンシャ、ココに行く?」
差し出されたスマホを見ると、行き先は明石。乗り換えの電車は奇しくも、私が乗ろうとしていた電車と同じだった。
「ホームが違いますよ」
一緒に乗り換えのホームに行くことにした。無事、目的の電車に二人で乗り込む。
三ノ宮駅で私が降りるとき、彼女は「アリガトウ」と笑顔で手を振ってくれた。
小さな感謝に対する、小さな喜び。
その余韻を味わいつつ、三ノ宮駅からセンター街を通り抜けていたとき、向こうから歩いてきたおばあさんに、こう言われた。
「ちょっと、お聞きするんやけどねぇ。仏壇屋、どこにあるかご存知ない?」
⋯⋯なぜ、私が仏壇屋を知っていると思われたのでしょうか。むしろ、貴女の方がご存知のような雰囲気を漂わせていらっしゃいますが。
「ごめんなさい、わかりません」
内心ツッコミを入れながら、おばあさんにそう答える。おばあさんは残念そうに肩を落とし、上品に会釈してから、横を通り過ぎていった。
おばあさん、ごめんなさい。
さすがに仏壇屋は、守備範囲外です。
⋯⋯守備範囲も何も、私はただの観光客なのですが。
***
そんな回想をしながらホテルで眠りにつき、翌朝早く起きて、優雅に一人、昨日と同じ店のモーニングを楽しむ。このモーニングを堪能したくて、あえて素泊まりにしたのだ。
カラン、と来客を知らせるベルが鳴った。
見ると、昨日カフェへの道を尋ねてきた女性だった。彼女は顔を綻ばせ、私に近づいてくる。
「昨日は、ありがとうございました。この店、気に入りすぎて、今日も来ちゃいました」
「辿り着けてよかった! いい店ですよね、ここ」
笑い合った後、ふと彼女は私の向かいの席に目を向けて言う。
「お一人ですか?」
「そうなんです」
彼女はおずおずと切り出した。
「私も一人なんです。ご一緒しても?」
旅先で道を聞かれると、本当に困る。
こんなご縁ができてしまうから。
「どうぞ! 一緒に食べましょう!」
私は笑顔で、彼女にそう答えた。
こちらの企画で書かせていただきました。
画面は、みんなのフォトギャラリーよりお借りしました。
