見出し画像

【掌編小説】ネモフィラの咲く丘(#せりふ三題噺)

 ネモフィラが咲くあの丘には、決して誰も近づいてはならない。なぜなら⋯⋯。

「ほんとにいたんだって!」
「そんなわけないでしょ。嘘をつくんじゃないわよ」
「ネモフィラは『成功』の花。手に入れることができれば、栄華が約束されるというじゃないか。お前は俺たちの幼馴染なのに、なぜ邪魔をしようとするんだ」

 必死に止めるミラを意に介さず、アンジュとラファエルは丘へ向かおうとする。ミラは二人の前に立ち塞がった。

「嘘じゃない! 私ほんとに見たんだもの。言い伝え通り、あの丘には人を食べる魔物が住んでいるのよ。足を踏み入れたが最後、骨も残らないわ!」

 必死の形相で訴えるミラに、ラファエルは冷たい声を浴びせる。

「じゃあ、一度丘に行ったお前が生きているのはなぜだ?」
「そ、それは」
「やっぱり、私たちを騙して自分だけ得をしようとしているのね。止めようとしたって無駄よ」

 勢いを失ったミラを押しのけ、籠を持ったアンジュとラファエルは丘へ向かった。

「どうしよう、誰も近づけたりしないって約束したのに」

 ミラは青ざめて呟くと、急いで二人の後を追いかけた。

 息を切らしたミラが丘にたどり着いたとき、二人はすでにネモフィラを摘んで籠に放り入れていた。ラファエルの長靴がネモフィラの花を踏みつけているのを見たミラは、色を失って叫ぶ。

「だめよ、花を置いてすぐにそこから離れて!」

 言い終わらないうちに、強い風がざあっと吹き抜けた。風に触れた小さなネモフィラは、その色を黒へと変える。またたく間に丘全体が暗闇に包まれた。

「誰だ、我の眠りを妨げる者は」
 この世のものとも思えない恐ろしい声があたりに響き渡った。

「きゃあ! ごめんなさい、花は置いていくから許して! 私なんて食べても、骨ばかりで美味しくないわ!」
 アンジュは耳を押さえながらその場にしゃがみ込んで懇願する。

「な、何者だ!」
 ラファエルも大きくたじろいだ。

「ほう、許してほしいとな。ならば、丘の守護者たるこの我が与える試練に打ち勝ってみせよ」
 声は二人を嘲笑うかのごとく言った。

「そなたらはどうやら、お互いを好いているようだな」
「そ、それは恋人ですもの。試練に打ち勝てば許してくれるって本当? どんな試練なの?」
 アンジュはそろりと立ち上がる。
 
「そなたらがお互いの罪を許すことができれば、今回のことは不問に付す」
「罪?」
「まずその女だが、過去に浮気をしておったことがある」
「なんだと!」
 ラファエルは叫び、アンジュを鋭く睨めつけた。アンジュは慌てふためき、ごくりと唾を飲み込む。

「そ、そんなことしてない」
 アンジュが言った途端、ピシャーンと雷が鳴った。

「きゃあ! ごめんなさい、肉屋のトマと浮気してました! でも、もう昔のことよ!」
「と、いうわけだが。男、そなたこの女を許せるか?」
 ラファエルは黙り込んだ。アンジュは震えながら手を組み、ラファエルを見つめている。

「⋯⋯今はもう、浮気はしていないか?」
 やがてぽつりとラファエルが呟いた。
「してない! してないわ!」
 アンジュは悲鳴に近い声で叫ぶ。

「⋯⋯わかった。許す」
 ラファエルは目を閉じて大きく息を吐きだした後、そう言った。アンジュは「ありがとう。ごめんなさい、二度としないわ」とその場にへたり込む。ラファエルの言葉をきっかけに、丘のネモフィラが半分青く染まった。

 守護者の声が再び丘に響き渡る。

「さて、では男のほうだが。女よ、亡くなったそなたの父は二人の仲を反対していただろう?」
「ええ⋯⋯」
「そなたの父を殺したのは、その男だ」
「な⋯⋯んですって?」
 アンジュは呆然とラファエルを見つめる。

「アンジュ、許してくれ⋯⋯。君の父親は、金のない俺に娘をやることはできないと言ったんだ。俺はどうしてもお前のことが諦め切れなくて、それで」
「なんてこと」
 沈黙があたりを満たした。やがて守護者の声がそっと尋ねる。

「女よ。この男を許せるか」
「⋯⋯いいえ、許せないわ」
 アンジュは顔を手で覆うと、低く呻いた。
「ならば、この試練は失敗だ。二人とも地獄へ行くがよい」

 次の瞬間、二人の姿はかき消えた。

「ごめんなさい、彼らを止められなかったわ」
 一部始終を見ていたミラは懺悔するようにネモフィラをそっと撫でた。途端、丘は青い光に包まれる。

「仕方ありません。それに、彼らは死してなお同じ道を歩める。それが許されたのだから、あなたが気に病むことはありませんよ」

 でも丘に近づく者が出ないよう、引き続き魔物の噂は流してくださいね、と声は言った。先ほどとは打って変わって、鈴を転がすような可憐さを宿している。

「私の正体はこのように小さなネモフィラです。けれどもこの丘を守るためなら、悪魔にもなりましょう。そなたのものを含め、この丘には多くの想いが眠っている。その静謐さを破り、辱める者は、何人たりとも許しはしません」

「はい」
 ミラはそっとネモフィラに頬を寄せた。守護者の声がそよ風のようにミラを包み込む。

「そなたのように愛する者を心から許し、相手が死してもなお一途に想い続ける者は、そう多くはありません。そなたは一度、冥土まで愛する者を追いかけた。まるで、かつての自分を見ているかのようでした」

 だからこそ、いつかそなたにこの丘の守護を引き継ぎたいと思っています、と声は続ける。ミラは頷き、ネモフィラの下にそっと想いを馳せた。


初めて、西洋風の物語に挑戦しました。
こちらのお題で書かせていただきました。

画像は、みんなのフォトギャラリーよりお借りしました。

#せりふ三題噺
#長靴ネモフィラ骨

この記事が参加している募集