真犯人は校長先生第7章 真夜中のオペレーション・コントロール 2
「何だと?」
私は一瞬だけ思考を走らせた。
エレベーターが地下に到着するまで、おそらくあと三十秒もない。
この一本道の廊下で、大柄な大人の男が隠れられる場所など存在しなかった。
第三管理室の中に逃げ込んでも、生体認証の履歴が霧島景子のものである以上、中で見つかれば一発でアウトだ。
『校長先生、そこから左に五メートル戻ったところに、清掃員用の用具入れがあります! 鍵はかかっていません、急いで!』
高坂君の的確なナビゲーションに従い、私は音もなく廊下を逆走した。
樹脂製の細い扉を開け、モップや洗剤の強烈な化学臭が立ち込める狭い空間へと身を滑り込ませる。扉を数ミリだけ開け、外の様子を伺った。
チン、という間の抜けた電子音とともに、廊下の向こうのエレベーターの扉が開いた。
懐中電灯の強い光が、コンクリートの床を激しく舐めるように照らし出す。
「おかしいな……さっき一瞬、地下のノイズが走ったんだが」
年配の警備員の低い声が、廊下に反響した。彼の足音が、私の隠れている用具入れの前に近づいてくる。
ザッ、ザッ、という足音が近づくたびに、私の肌にチクチクとした緊張感が走る。
私は呼吸を極限まで細くし、万年筆を握る右手に力を込めた。
もしここで見つかれば、私のこれまでの人生、そしてあの子供たちの未来はすべて水の泡になる。
警備員は用具入れの前で立ち止まり、懐中電灯の光を第三管理室のドアへと向けた。
「……生体認証のランプは正常か。気のせいだったかな」
彼はしばらく首を傾げていたが、やがて無線機を取り出した。
「こちら地下、異常なし。カメラの接触不良だと思われる。戻る」
足音が遠ざかり、再びエレベーターの扉が閉まる音がした。
私は用具入れの扉を押し開け、大きく深呼吸をした。
額から冷たい汗が床にぽたりと落ちる。
「危ないところだったな、高坂君」
『……心拍数が一時的に百二十まで上昇していましたよ、校長先生。やはり、大人の肉体的な段取りには不確定要素が多すぎます。早く中へ』
私は再び第三管理室の前に戻り、今度こそ扉を開けて内部へと侵入した。
部屋の中は、サーバーラックが整然と並び、冷却ファンの凄まじい重低音が鳴り響いていた。
室温は十度以下に設定されており、息が白くなる。
部屋の最奥に、霧島景子が言っていた「五十キロの耐火金庫」が鎮座していた。
金庫の扉には、物理的なダイヤル錠と、最新のデジタルキーが組み合わされている。
「さあ、高坂君。ここからが君のプロットの出番だ。この金庫のデジタルキーの暗号、解けるかね?」
『すでにその金庫の型番から、製造元のバックドアルーチンを割り出しています。
僕が送るコマンドを、金庫のUSBポートにデバイス経由で流し込んでください。
ダイヤルの番号は「66――32――09」です』
私は指示通りにデバイスを接続し、ダイヤルを正確に回した。
カチャリ。
重厚なレバーが下がり、耐火金庫の分厚い扉がゆっくりと開いた。
棚の中には、何百本もの磁気テープが並んでいた。その中に、一枚だけ『五月十五日・教育委員会ログバックアップ(物理)』と書かれた赤いラベルのテープがあった。
「見つけたぞ。これが霧島景子の言っていた、私たちの『美しい嘘』を暴く証拠だ」
私はそのテープを手に取り、ウィンドブレーカーの内ポケットにしまい込んだ。
これで終わりだ。
このテープさえ消え去れば、彼女がどれだけ心理学を駆使しようとも、客観的な証拠は世界から完全に消滅する。
だが、私がテープをポケットに収めた瞬間、部屋のスピーカーではなく、私のスマートフォンの画面が突如として明滅を始めた。
画面に映し出されたのは、見覚えのある文字。
――雾島景子からの、リアルタイム着信だった。

