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【全4回連載】大阪都構想と民主主義の危機を考える≪第1回≫私がかつて愛した大阪市と、ある「じゃんけん必勝法」の不気味な罠


かつて愛した街と、今の「異常」な景色

 私は若い頃、通算20年近くもの長い期間を大阪市で暮らしていました。

 当時の大阪には、独特のエネルギーと温かさがありました。人情味あふれる商店街、笑い声が絶えない飲み屋の喧騒、そして何より、見知らぬ人同士でもすぐに打ち解けられるオープンな空気。今でもふとした瞬間に、あの頃の活気を懐かしく思い出すことがあります。

 しかし、もし今、「もう一度大阪市に住みたいか?」と問われれば、私は言葉を濁さざるを得ません。

 なぜなら、現在の「維新」と称する勢力に占拠された大阪市/府は、外部から見ると、あまりに異常な状態に見えてしまうからです。かつての温かさは影を潜め、常に何かと戦い、敵を作り、焦燥感に駆られているような……外部から見ていると、ですが、そんな息苦しさを感じてしまうのです。

 その「異常さ」を決定づけた、私の中で象徴的な出来事があります。
 それは、大阪市の歴史ある自治体としての存続を揺るがした、二度にもわたった『大阪都構想の住民投票』でした。

「じゃんけん必勝法」の正体

 以前、ある知人から「じゃんけん必勝法」というものを教わったことがあります。
「絶対に負けない方法があるんだ」と得意げに語る彼の必勝法とは、こうでした。

「勝つまでやる」

 要するに、そういうことでした。
 たとえ相手に何連敗しようとも、自分が勝つまで何度でも勝負を挑み続け、たまたま自分が勝ったところで「はい、俺の勝ち!」と勝負を終わらせる。なるほど、これなら絶対に勝ちます。

 確かに、自分自身の限界への挑戦や、発明・研究の世界であれば、「成功するまで諦めない」は素晴らしい美徳です。発明王とまで言われたエジソンもそれまでの数限りない失敗の積み重ねを「失敗ではない、うまくいかない方法を発見したのだ」と言いました。

 しかし、相手がいる「勝負事」や、社会の「ルール決定」にこの論理を持ち込んだらどうなるでしょうか。それは途端に、ルールの破壊であり、相手に対する卑怯な横暴へと姿を変えます。

守る側は、永遠に勝ち続けなければならないのか?

 実際に複数回も行われてしまった、大阪都構想の住民投票は、まさにこの「じゃんけん必勝法」の不気味な罠そのものでした。

 一度目の住民投票。大阪市民の皆さんは悩み、考え抜いた末に「大阪市をこのまま守る」という意思を示しました。民主主義のルールに従えば、ここで勝負は決着したはずです。

 しかし、維新の会は「もういっぺんいってみろ」とばかりに、まことに卑怯にも2度目の住民投票を強行しました。そこでも大阪市民の良識は働き、再び「大阪市を守る」という結果が出ました。

 これについて、他の政党の市会議員団の代表者など多くの市民の方は思いました。
「そう遠くない期間に二度目の住民投票など本来あってはならないことだが、市民の良識によって、不当な策略から大阪市は守られた」と。
 ……守られた、はずでした。

 しかし今、議会の多数を占める現状を利用し、維新の一部には「三度目」を画策する動きがあると言われています。

 これは、あまりに非対称で、不公平な戦いです。

 変える側(推進派)は、たとえ10回負けたとしても、たった1回偶然に勝ちさえすれば、その時点ですぐに勝負を撤退して大阪市の解体を実行し、目的を達成できます。
 一度でも彼らが勝てば、歴史と伝統があり将来も有望な「大阪市」という自治体は無くなり、二度と元には戻せません。

 一方で、守る側(市民)は、相手が諦めるまで、何度でも、永遠に勝ち続けなければなりません。
 一度の負けも許されないのです。

 いくら勝率が低くても、回数を重ねるうちに「1回だけ偶然勝つ」ことはあり得ないことではないでしょう。そんな多数派の横暴によって、かけがえのない街が、西日本を代表してきた自治体が、壊されていく……。

 こんな「勝ち方」は、絶対にさせてはならないと私は強く感じています。

次回予告:横暴を防ぐ「歯止め」とは?

 この不公平なゲームの裏には、実は日本の法律の「ある欠陥」が潜んでいました。

 では、このような一部の権力者による「勝つまでやる」という無限ループの横暴を防ぐ術はないのでしょうか?
 守る側の市民は、疲弊して諦めるのを待つしかないのでしょうか?

 次回は、世界の民主主義国家や、日本の他の法律が持っている「不公平なゲームを許さないための知恵」について考えて行きます。(次回記事へ)