【小説】16歳、マリヤさまの止まり木💠― 声なき声援と再生の記録 ―🌑第一部:漂流 第一章:玻璃(はり)の教室
不信任を突きつけられたあの日から、聡里を取り巻く世界は、一枚の分厚いガラスで隔てられたようになった。
音は遠のき、色彩は褪せ、すべてが現実感のない舞台装置のように見える。
教室という名の箱の中で、聡里はただ息を潜める観察者だった。
聡里の知能指数、IQが132であると判明したのは、中学三年生の頃の進路相談でのことだった。
両親はそれを知り、「この子は特別だ」と目を輝かせたが、聡里自身にとっては、それは呪いの刻印のように感じられた。
全人口の上位2%のレベル。
数字だけ見れば希少に思えるが、40人学級なら確率的には一人くらいは存在しても不思議ではない程度の、決して「天才」や「神童」と呼ばれるような領域ではない。
聡里はそう理解していた。
だが、そのわずかな差が、思考の速度や物事の捉え方に、埋めがたい溝を生んでいた。
「ねえ見て、今日の推し、ビジュ爆発してない?」
「尊すぎて無理…!」
教室のあちこちで交わされる、熱狂的な言葉たち。
聡里には、その「推し」を消費させるために企業が仕掛けたマーケティングの構造や、集団心理のメカニズムばかりが透けて見えてしまう。
彼女たちのように、理屈抜きで何かに熱狂し、「尊い」と叫べたらどれほど楽だろう。
学校図書室の古い小説で見つけた、『玻璃』という言葉。
透明で、硬くて、でも叩けば簡単に割れてしまうガラスの別名。
その言葉を見つけた時、聡里は「これは私のことだ」と妙に納得してしまった。
この透明な壁の向こう側で笑い合う彼女たちと、こちら側で冷めた分析をしてしまう私。
まるで、自分だけ違う言語を話しているかのようだった。
周囲が二次元の平面で物事を捉えているとしたら、聡里にはそれが三次元の立体に見えてしまう。
さらに時間軸や因果関係という四次元的な視点まで加わって、見えている風景が根本的に違っていた。
だから、孤独だった。
聡里は誰かと繋がりたいと願っていた。
対等な言葉で、思考の深淵を探り合うような対話を渇望していた。
生徒会役員選挙に立候補したのも、その渇望の現れだったのかもしれない。
役員という立場になれば、学校というシステムそのものと対話ができる。
より多角的な視点を持つ人間と出会えるかもしれない。
そんな淡い期待があった。
だが、結果は無慈悲な不信任だった。
高校という名の閉鎖空間で、たった一人で手を挙げた人間を、その他大勢が引きずり下ろす。
その構図は、聡里がずっと感じてきた息苦しさの縮図そのものだった。
「――でさ、昨日のテレビ見た?超ウケるんだけど!」
休み時間、前の席の女子たちが甲高い声で笑い合っている。
その笑い声が、ガラスの向こう側から聞こえてくるようだった。
聡里は窓の外に視線を逃がす。
曇り空の下、校庭の、この高校の前身校の開校時に植えられたという、だからもう百年以上もの樹齢になるらしい落羽松の木が寒々と枝を震わせている。
(ここに、私の居場所はない)
それは、諦めであり、同時に冷徹な覚醒でもあった。
この玻璃の教室の中で、自分を殺して息を潜め続けることは、緩やかな自殺に等しい。
彼女たちの「普通」に自分を合わせることは、自分の魂を削り取って差し出すことと同じだ。
聡里は、そっと机の引き出しからスマートフォンを取り出した。検索窓に、打ち込む。
『高校 中退 手続き』
『16歳 住み込み 仕事』
文字を打ち込む指先に、震えはなかった。
画面に映し出される無機質な情報だけが、聡里にとって唯一の、現実的な出口に見えていた。
この隔絶された世界から抜け出すための、ただ一つの脱出路だった。
